●ホーリー・モーターズ(レオス・カラックス)


Holy Motors/2012/Leos Carax      ★★★★

◆『キネマ旬報』の連載《ハック・ザ・スクリーン》(4月下旬号)に満を持した作品論「ホーリー・シットのアナグラム」を書いたので、ここではそのときに使った資料とメモを羅列することにする。

◆ドニ・ラヴァンが一人いれば、一日で11の映画が出来るという話。

◆その分、肉付きのキャラクターという面が薄れ、デジタル・エッフェクツや特殊撮影で肉体をいくらでも操作できるということである。

◆オスカー(ドニ・ラヴァン)が演じる11のシークエンス:

◆献辞が、関係者やカラックスの母親(Joan Dupont)をずらずらと並べたあと、etで区切ってGeorges FranjuとHenry Jamesを挙げている。ジョルジュ・フランジュは、最後のほうで、運転手のセリーヌ(エディト・スコブ)が仮面をつけるシーンで暗示される『顔のない眼』(1960)の監督であり、それに若きスコブが出て、顔を失い仮面をつけている娘を演じたことと関係がある。ヘンリー・ジェイムズは、老いた叔父(ラヴァン)が死ぬのをエリーズ・ロモーが看取るシーンが、ヘンリー・ジェイムズの小説『ある婦人の肖像』から取られているからである。

◆最後に、リムジンたちがライトを点滅させながら、英語とフランス語で(リムジンの出身か?)会話をするが、その内容は以下の通り:
英語:
      あああ(疲れた)、俺のクライアントは、一日中、街のあちこちをはしらせやがった。
      転がる石は苔をも付かずよね。
      静かに、苔なんか誰もいらないよ。
フランス語:
      342-7-AC-92(車番)さんはあいかわらず鋭い。
英語:
      メタファーなんだよ、転がる石は苔をも付かずという経験さ。
      おいらは転がる石(ローリング・ストーンズ)なんだ。
      静かに! われわれは眠らなければ。
フランス語:
      まあ、いずれたっぷり眠れるよ。廃車置場に送られるのは先のことじゃないからね。
      われわえは不適当になりつつある。
      なぜ?
      静かに!
      古い5700-BC-78は真実を言っているよ。もう見えるマシーンはいらないんだ。
      そうだ、もうモーターアクションもいらないんだよ。
      もうねぇ。
      (一斉に)アーメン
◆最初と途中に出てくる古いフィルム→Etienne-Jules Mareyのもの

◆モーション・キャプチャーのシステムで取り込んだデータをサンプリングして出来る映像(男と女が蛇のようにからむ)は、フレンチ・アヴァンギャルドのレトリズム(Lettrism)を真似ているともいえる。

◆最後のほうでリムジンが入って行く巨大な駐車場のは、〝HOLY MOTORS〟という文字のネオンが見えるが、そのなかの〝O〟のネオンが消えていて、〝HOLY MOT RS〟と見える。このアナグラム的な意味については、『キネマ旬報』の連載で考察した。

◆ドニ・ラヴァンが出るカラックスの映画(『ボーイ・ミーツ・ガール』[Boy Meets Girl/1984]、『汚れた血』[Mauvais sang/1986]、『ポンヌフの恋人』[Les amants du Pont-Neuf/1991])では、彼が演じる人物の名はすべて〝ALEX〟だった。これが、今回は、〝OSCAR〟になる。これは、カラックスの本名ALEX OSCAR Dupontからの使いまわしにすぎないのか? それとももっと意図的なのか? ちなみに、カラックス好みのアナグラムでは、OSCAR=OS+CAR→コンピュータのOSと自動車である。

◆あきらかに、この映画には、自動車と映画と肉体の〝古きよき〟連帯が危機に瀕しているという時代意識がある。代わって、コンピュータの支配が全般化し、肉体はみずから動くことをしぶり、その重さや嵩(かさ)を失う。肉的なものは電子的にデジタル合成される。

◆印象に残った言及:
Richard Brody: In the Garage with “Holy Motors”
A Spontaneous LOLA collective: Hail Holy Motors

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