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ウォー・ゲーム

 海外に用事ができ、予算を立てようと思ってある航空会社に電話した。出発予定は一月か二月で、いくつかの都市をまわらなければならないので、どのようなコースの可能性があるのか、またその場合の運賃はいくらかを知りたかった。ところが、電話にでた男性は、出発日を決めてくれないとなにも答えられないという。こちらは、出発日のほうもこれから決めるためにデータを集めているのだが、相手は何月何日までに厳密に決めてくれないとコンピュータにインプットできないというのである。
 こんなことなら、航空会社のコンピュータをこちらの端末(もしあればの話)に接続して、ぜんぶ自分で調査したほうが気が楽というものだが、実際に、これからの社会は、なんでも自分で行なう方向へ向かって進むだろう。そのときには、ホーム・バンキングやホーム・ショッピングもごくあたりまえになるはずで、世界の都市には、たとえ道路はなくとも光ファイバーのケーブルだけはつながっている家があるような「有線化社会」(Wired society)が成立する。
 ただしその場合、銀行、企業、さらには軍事基地といった高度の情報中枢と個々人の家とがケーブルで結びあい、全体が神経組織のような巨大な情報回路を形成するので、その微細な部分でトラブルが起こると、全体が恐るべき混乱に陥る可能性がある。「有線化社会」化が日増しに進んでいるアメリカでは、そうした危険を回避するために、情報回路の分権化を進めようとしているが、現状では、たとえばNSA(National Security Agency=国家安全保障局)の巨大コンピュータを銀行、企業、軍、そして個人が共用しており、個人が公権力によってがっちりと情報管理されるいっぽうで、エレクトロニクス狂が自宅のパソコンを使って大企業や軍の情報システムに大混乱を与えるといった事件も起こっている。
『ウォー・ゲーム』は、まさにそうしたアクシデントの規模をすこし大きくしてみた話で、実際にもし、この映画の話のように、全面核戦争の判断までもコンピュータにまかせてしまうようなことになれば、コンピューター狂の一市民が、自宅の端末機を操作して遊んでいるうちに、それが軍のコンピュータ・プログラム(映画では「ワーパー」WOPR=War Operation Plan Response と呼ばれる)に接続してしまい、遊んでいるほうはTVゲームで「対ソ全面核戦争」をしているつもりだが、現実にはそれがゲームではなく、ほんとうに軍の指令部のほうでは、核ミサイルの発射システムが作動してしまうということになりかねない。
 ニューヨーク発ソウル行きの大韓航空機がソ連軍の戦闘機によって撃墜された事件でも、今日の軍事システムがいかにエレクトロニクス化されているかが明らかになったが、ある意味で現代の戦争は、もはや人間を必要としないのであり、このことは戦争だけではなく、あらゆる産業システムのなかにしだいに浸透しつつある傾向である。
 スクリーンやメーターに表示されることが最終的な「現実」となり、肉眼で物を見たり、手で物に触ったりすることが第二次的なことになり、物がそもそも情報になる。ここでは、知覚するということが、すでにスクリーンの映像やメーターの数字を見るということにすりかわってしまうのである。映画のなかで、司令部のスクリーンに、ソ連から核ミサイルがシアトルとラスベガスへ向かって飛んで来ているという情報が映り、それを確認するために戦闘機が緊急発進するが、肉眼ではもちろんのこと、戦闘機のレーダーにもそのミサイルの姿はとらえられず、戦闘員がそのことを司令部へ報告すると、逆に、なにをぼやぼやしているのだとどやされてしまう。これは、もはや笑えぬ現実である。
 コンピュータにさまざまなデータをインプットして、可能的な事態をスクリーン上に摸作してみることを「シミュレイション」、そうして作られた模擬モデルを「シミュラクラ」というが、コンピュータの性質が向上するにつれて、このシミュレイションが精密になり、スクリーン上で見るかぎり「現実」そっくりのシミュラクラを構成できるようになってきた。映画にでてくるWOPRというコンピュータは、まさに第三次世界大戦のシミュラクラをたえずシミュレイトしているのだが、こういう時代には、シミュラクラと現実とをとりちがえる人間がふえてくる。
 日本では、「ウォークマン世代」がそういう批判にさらされているが、『ウォー・ゲーム』もふくめて最近のアメリカ映画には(たとえば、ディズニー・プロの『トロン』にみられるように)、コンピュータに精通することによって、逆にそうした危険を乗り越えるような青少年像が好んで描かれる。それがアメリカ社会の願望なのか、それとも新たにはじまりつつある現実なのか、NSAのコンピュータにきいてみたいものである。
監督=ジョン・バダム/出演=マシュー・ブロデリック、ダブニー・コールマン他/83年米◎83/11/ 4『CAT』




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