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恋におちて

『恋におちて』は、既婚の中年男女がふとしたことから出会い、恋に陥る〈ボーイ・ミーツ・ガール〉映画としてよりも、マンハッタンという都市が郊外生活者の一人の男と一人の女とを出会わせ、その郊外生活を変えさせてしまう都市映画として見たほうがはるかにおもしろい。
 主演のロバート・デ・ニーロとメリル・ストリープの演技は見事であり、とりわけストリープの出来はデ・ニーロを食うほどにすばらしいが、二人の出会いと愛の振幅が同時にマンハッタンという都市のリズムに呼応しているのは、ウール・グロスバード監督がニューヨークをよく知っているからだろう。
 デ・ニーロとストリープが毎日利用する列車が発着するグランド・セントラル駅構内、二人が初めて出会うフィフス・アヴェニューのリッツォーリ書店、彼の工事現場があるポート・オーソリティ付近、彼女の父親が入院しているファースト・アヴェニューの大学病院、ストリープが友達と歩いてくるアーヴィング・プレイス……画面に登場する具体的な都市像が、単なる書割ではなく、登場人物の身ぶりや感情、そしてさらには全体のストーリーを形づくる条件になっている。
 この映画が都市的環境の相違をよく生かしている点は、二人の保守的な性意識と、ハーベイ・カイテルが演じるデ・ニーロの友人のそれとのちがいにも現われている。チャキチャキの都会人であるカイテルには、愛しあってもなかなか一線を越えようとしないデ・ニーロとストリープの関係が納得できない。二人はいずれも、ハドソン河ぞいにマンハッタンを北上した郊外のウェストチェスターに住んでいて、仕事でマンハッタンに出、そのあいだにデートをくりかえすのだが、このような郊外都市に住むミドル・クラスの平均的な性行動は、日本で考えられているよりはるかにつましいのである。
〈ボーイ・ミーツ・ガール〉映画は、しばしばハプニングを恋の契機に用いるが、実は、大都市ほどハプニングが恋に転化しにくいところはない。たしかに、大都市は偶然の出来事にあふれている。しかし、それが人々を自動的に結びつけることは少ないのだ。さもなければ、大都市の人々は孤独に陥る暇もなくなるだろう。
 だから、最初のシーンで、デ・ニーロがストリープにうっかりぶつかってしまうハプニングは、次の瞬間には単なる偶然ではなくなっていたのであり、二人の——あるいは彼または彼女の——心のどこかにはこのハプニングを愛の出会いに転化したいという気持が動いたはずなのだ。都市の恋は、ハプニングではなく、たくらみなのだから。
監督=ウール・グロスバード/脚本=マイケル・クリストファー/出演=ロバート・デ・ニーロ、メリル・ストリープ他/84年米◎85/ 2/ 5『ミセス』




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