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2010年

『2001年宇宙の旅』の続篇にあたる『2010年』をみて失望したという人が多い。が、『カメラ毎日』の休刊にくらべれば、『2010年』は、はるかに希望に満ちあふれている。
 たしかに〈世界平和〉を祈願するローマ法皇庁か、中南米で手を焼いているアメリカ合衆国政府あたりの宣伝映画を思わせるような筋立てにはがっかりさせられる。二〇一〇年にもなって、あいもかわらず合衆国が中南米問題を解決できないというのでは、地球外生命体とのコミュニケイションなどおぼつかないではないか。
 しかし、そんなおそまつさには目をつぶり、いまから二十五年後の合衆国では黒人の大統領が出現し、ソ連では女性優位が強まり……といったエピソードはただのご愛敬なのだと思ってしまえば、おもしろいところはまだまだ発見できる。
 せっかくロイ・シャイダーを起用したけれど、アルバート・プレナーの装置デザインやリチャード・エドランドのSFXの視覚的効果の美しさと迫力に食われてしまって、生ま身の役者の方は全くサエなかったが、これは今後の映画の方向を示唆してもいる。しかし、生ま身の役者の演ずるドラマにもおもしろいところがなかったわけではない。?嘯Q001年?宸ナ〈反乱〉を起こした人工知能HAL9000の設計者のチャンドラ博士(ボブ・バラバン−−この人は、『真夜中のカーボーイ』で、映画館で隣りあわせたジョン・ボイトのチンチンをなめて気持が悪くなり、トイレでゲーゲーやるニューアカ風の青年を演じたんだってね)とHALとの再会シーンがそうだ。
 HALの装置のなかに入って、あの〈反乱〉のときにボーマン船長(キア・デュリア)によってはずされてしまったユニット回路を修復してゆくチャンドラの手つきとものごしがすでに性的なのだが、機能を回復したHALに初めて話しかけるとき、「ほかの人だとHALがとまどうといけない」とか言ってHALを独占するチャンドラの態度はもう完全にハッカーとコンピュータの愛情関係なのだ。だから、HALが搭載されている宇宙船ディスカバリー号を放擲しなければならなくなったとき、この二人(?)がかわす会話は、へたなメロドラマよりもはるかに〈感動的〉で、場内のあちこちでススリ泣きの声が聴こえたくらいだった。(?@?^)
 おそらく、今後のメロドラマや〈純愛もの〉は、男と女や、子供と動物とのあいだではなく、人とコンピュータとのあいだでより〈感動的〉に展開されるにちがいない。
 が、わたし自身にとって最もおもしろかったシーンは、『2001年』では十分には映像化されていなかったボーマン船長の身体の一種のモナド化が、今回は正しく映像化され、彼の身体が時空を横断して消えたり現われたり、溶解したりするシーンだ。というのも、身体が電子的操作によって〈幽霊〉化するということが、まさにいま〈人間〉というものを終わらせようとしているのであり、そしてそれが〈写真〉の時代の終わりを動機づけてもいるからである。
監督・脚本=ピーター・ハイムズ/出演=ロイ・シャイダー、ジョン・リスゴー他/84年米◎85/ 2/26『カメラ毎日』




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