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オーストラリア映画現代

 シドニーのキングス・クロス・ロードに「アメリカン・カフェ」という名のイタリアン・カフェがある。わたしはこの店の前を通ると、ほとんど魔力にかかったかのように足が止まってしまい、エスプレッソを飲むということになるのだが、最高にイタリア的な味のコーヒーを飲ませるこの店が「アメリカン・カフェ」というのもおもしろい。これは、多分にオーストラリア的なユーモアではないか。
 似たような例はメルボルンにもある。ライゴン・ストリートといえば、いまではオーストラリアン・ヤッピーの闊歩するナウい街として有名だが、もともとはイタリア人移民の街として発達した。そのためいまでもイタリア人経営の店が多く、ここに来ればいつでもおいしいエスプレッソにありつける。
 そのライゴン・ストリートにある「ティアーモ」は、一九六〇年代末から七〇年代初めにかけてカウンター・カルチャーのスポットとして名を馳せた「タマニ」が改名した店で、経営者や店内のインテリアは昔のままである。いまでもある種のボヘミアン・カルチャー的雰囲気をただよわせているので、わたしはメルボルンに行くとまずここを訪れる。
 おもしろいのは、この店で食べさせるアップル・パイがニューヨークの「伝統的な」アップル・パイそのままの味をしていることだ。わたしは、ニューヨークで最もポピュラーな食べものの一つであるアップル・パイがどのような経路を経て入ってきたのか(ひょっとしてイタリア人移民がもたらしたのか)は知らないが、メルボルンのイタリアン・カフェで「ニューヨーク」に出会うというのがいかにもオーストラリア的だと思うのだ。
 オーストラリアというと、「雄大な自然」とか「男らしいメイトシップ」とか、一体に素朴で粗野なイメージが定着しているが、わたしは、こうしたオフ・ビートな要素こそ現代オーストラリアを特徴づけるものだという気がする。
 これはどこからくるのだろうか? 異質なものが同時に併存するのでなければ、決してそのようなことは起こりえないだろう。たしかにオーストラリアには、アボリジニからハイテクまでの長大で異質な時空間が併存している。そのため、ここでは、時空間の軸の移動がひんぱんに起こり、いま非常に「田舎くさい」と思えたことが、次の瞬間、「都会的」なものに転換するのである。
 映画『クロコダイル・ダンディー』が良い例だ。この映画は、単純に見れば、ニューヨークがオーストラリアの奥地以上にジャングル的だったという話として解釈することもできるが、逆に考えれば、オーストラリアの山奥で通用することは、都会のジャングルでも通用するというオーストラリア文化の〈脱領域性〉についての話として見ることもできる。
 フランク・モアハウスの短編小説にもとづく映画『コカコーラ・キッド』でも、初め神秘的・土俗的なムードをただよわせながら街頭で民族楽器のディジェリドゥを吹いているアボリジニの男が、次には電子装置がずらりと並んだスタジオのなかでニューミュージックのプレイヤーたちとインタープレイをしている。
 もし、地球上にUFOが飛来したとすれば、それに接触したことのある最古の現存民はアボリジニだろうという話をきいたことがある。その真偽は別として、たしかにオーストラリアには〈前史的なもの〉と〈超歴史的なもの〉とが共存しているようなところがある。
 映画『マッドマックス』は、まさにそうした要素をもっているかぎりで「オーストラリア映画」なのだろう。この映画は、散漫に見ると、五〇年代流のアメリカ感覚にあこがれながら撮った三流アクションでしかない。が、よく見るとこれは、古代の「英雄物語」とSFとが同時に描かれているようなファンタジーなのである。
 原作者のテリー・ハイズは、『マッドマックス』を書くまえ、オーストラリアの新聞のニューヨーク特派員をしていた。『マッドマックス』のなかに見出せる「都市の終末」的なイメージは、おそらく原作者のニューヨーク体験と無縁ではないはずだ。というのもニューヨークは、ある意味では「荒野」であり「砂漠」であるからだ。
 メルボルンの本屋で手にするまでは知らなかったのだが、テリー・ハイズは、『}ッドマックス』を出したあと、『U・ベスト・オブ・メルボルン』という実用的なガイドブックを書いている。この実に地味なポケットブックは、たぶんいまでは絶版になっていると思うが、わたしはこの本のセンスのよい都市把握をいまだに愛している。
 ここでとりあげられている店や場所の適切さもさることながら、たとえば「本屋」という項目に、「本屋は、列車のなかで読むものを買う場所であるだけではなく……本を拾い読みし、心を静める避難所であるべきだ」といったコメントがあるように、この本は単なるガイドブックに終わっていない。
 ところで、本書の冒頭の扉裏には、「あたうかぎりのこの最善の世界では、すべての出来事がつながっている」という『カンディード』のなかのヴォルテールの言葉が引用されている。これは、メルボルンについてだけでなく、今日のオーストラリア全般にあてはまることのようにわたしには思える。
[クロコダイル・ダンディー]前出[コカコーラ・キッド]前出[マッドマックス]前出◎88/ 8/ 8『MUSIC TODAY』




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