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ジャック・ジョンソン

 ジャズがリバイバルしている。映画で古いニューズリールや無声映画のタッチを使うことはイマい方法である。
 こういう時代に『ジャック・ジョンソン』を見ると、これは極く最近作られた「劇映画」ではないかと錯覚しかねない。が、これは、いまから二十年近くもまえに作られたドキュメンタリーなのである。
 そこでは、ジャック・ジョンソンが一九〇八年にシドニーでトミー・バーンズからヘビー級のチャンピオンの座を奪う試合からはじまって、一九四六年に自動車事故でこの世を去るまでのさまざまな実写フィルムが使われているが、全体が有機的なリズムとトーンで統一されているため、問題の人物が生き生きと浮かび上がってくる。
 それは、マイルス・デイヴィスが担当した音楽が抜群のノリを示しているからでもあるし、また、ジャック・ジョンソンの役でナレーションを入れているブロック・ピーターズの声がいかにもジャック・ジョンソンらしい雰囲気をかもし出しているからである。
 黒人特有の少し野太い声で、「おれはジャック・ジョンソン。世界ヘビー級チャンピオン。おれは黒人だ。やつらはこのことを一度もおれに忘れさせたことはなかった。おれは黒人だ。それでいい。おれもやつらにそのことを決して忘れさせないからな」というくだりなど、ジャック・ジョンソンがみずから語っているかのようである。
 しかし、この映画の迫力は、やはり、ジャック・ジョンソンの猛烈な個性から来るのだろう。こういう人物には、たった一枚のスナップ写真の顔だけでも、その個性と魅力を強烈に放射してしまうようなところがある。
 とにかく猛烈な男である。黒人であるというだけで小さくなっていなければならなかった時代に、白人の相手を再三マットに沈め、白人世界にくやしさと憎悪、いや暴動すらまきおこす。女房やガールフレンドは、みな白人の女性ばかりだ。それが白人社会のうらみを買って陰謀がらみのスキャンダルに巻き込まれ、投獄されても、ジャック・ジョンソンはへこたれない。アメリカがダメならパリがあるじゃないか。この楽天主義には頭が下がる。
 彼からは全く悲愴さが感じられない。繰り返すが、彼が生きていた時代は、黒人がまだ人間として認められなかったような時代である。そこであれだけのことをやりながら、その身ぶりが実に軽やかなのだ。バーニー・オールドフィールドなどというスゴ腕のレーサーを相手にレーシング・カーを走らせたかと思うと、スペインでは一時期闘牛士になったりもする。ハリウッド映画にも出演した。驚くべき《ブリコレール》(創造的な何でも屋)である。
 ロシア革命から二つの大戦までの激動の時代を軽やかに駆け抜け、死後二十年たって、黒人差別撤廃運動のヒーローにも祭り上げられた男。一説では、彼は、スパイでもあったという。そうだとしたら、それだけでも、もう一本映画が作れる。
監督=ウィリアム・ケートン/出演=ジャック・ジョンソン、ジェイムズ・ジェフリーズ◎89/ 4/25『ゼロサン』




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