粉川哲夫の本
電子人間の未来
都市から庭へ、庭からテレビへ
日本だけでなく、世界のどの都市へ行っても、近年、都市の活気の重心が急速に移動しているのを感じる。東京で言えば、北東部に対する南西部に盛り場の中心が移っており、経済活動の中心を占めるオフィスや作業場も渋谷区、新宿区、港区などの南西部に移行してきた。わたしが住んでいる渋谷区にしても、この十数年のあいだに人の集まる場所が大分変化した。道玄坂や百軒店は依然として繁華街ではあるが、昔は人が集まらなかった公園通りや中央街(こういう名もなかった)の方がいまでは渋谷のメイン・ストリートになっている。
都市の中心と交通とは密接な関係をもっている。鉄道が主要な交通機関であったとき、大会社は競ってその本店を東京駅や上野駅の近くに置こうとした。その他の場所でも、駅前は都市の中心だった。が、鉄道に代わって自動車がより一般的な交通手段になるにつれて、今度は、車にとって便利なところに都市の童心が移りはじめた。また、鉄道自身も、電車や都電に代わって地下 鉄が発達することによって、中心という観念自身が変わってきた。駅と都市との関係も、従来のそれとは根本的にちがっている。新しい地下鉄は、メトロポリタンという大きな中心だけを考え る都市像から、多数の中心をもつ都市像への変化を動機づけた。
地下鉄銀座線と千代田線とをくらべてみればわかるように、前者は、渋谷―銀座―日本橋―上野―浅草といった伝統的な"大都市"を結びつけている。ここでは人々は、都市の中心だけを移動するのであり、この地下鉄は、そうした中心を最短距離で結ぶ交通だった。
今日の地下鉄には、もはや中心がない。それは、網の目のように広がり、そのなかではすべてが中心になれるし、逆にまた、ひとたび中心になっても、その位置はすぐ奪われてしまう。こうした地下鉄網が東京の南西部で発達し、北東部で未発達であるということから、東京の都市の活気がどうしても南西部に片寄りがちだということの一面が説明されるだろう。すでに中心が決められてしまっている都市と、いつでも中心を変えられる都市とでは、情報の流れ方が決定的にちがうだけでなく、スウィツチ操作で中心をどこへでも移動できるヴィデオ・スクリーンが一つの価値規準になる今日の電子情報化社会では、前者よりも後者の方が"今日的"な都市になってしまうのである。
回路をいくつも選べるということは、情報的に高価値であると考えられるので、都市も一つだけでなく、いくつもの回路をもつところが活気をもってくる。もともと大都市には、いくつかの交通手段が重層的に入っているが、新たに活気づいている街を見てみると、そこにはいくつかの交通回路があり、そこへ行くには色々の選択ができるのである。たとえば、六本木には、地下鉄日比谷線と千代田線(乃木坂)との両方でアクセスすることができる。原宿には、国鉄、千代田線、銀座線、半蔵門線が通っている。これだけあればどこからでもアクセスすることができ、しかも千代田線と日比谷線は、山の手と下町のベッドタウンを縦断しており、たがいに異質の文化圏の人々をまぜあわせるのである。これらの地下鉄を、始点から終点まで通して乗ってみると、東京でもこんなに住民の風俗がちがうのかということに驚かされるだろう。
ニューヨークの地下鉄は、しばしば"危険だ"と言われる。わたし自身は、ニューヨークにいるときにはほとんど毎日利用したが、一度も事故にあったことはなかった。一度だけギョッとしたのは、ブルックリンとマンハッタンを結ぶ地下鉄のなかで、隣に座っていた白人の男が、布のバッグからいきなり太い針金のようなものを出し、それでイスの下の電気装置をショートさせたときだった。バチンという青白い火花が出たとき、わたしは一瞬何が起こったかわからなかったが、その男は、いたずらっぼい目で笑いながらわたしを見、悠然とその針金をバッグにもどした。まわりの人も騒ぎもせずに、地下鉄はそのまま走っていたが、わたしは、いまだにこの人が何のためにそんなことをやったのかわからない。とにかく、ニューヨークには色々な連中がいるので あり、そうした多様な人々が、地下鉄という狭いスペースのなかにとじこめられるので、ときにはとんでもないことが起きるのである。もし、ニューヨークの地下鉄が"危険だ"というテーゼが本当だとしたら、それは、そうした予想外のポッシビリティの一つの極を言い表わしているにすぎない。それは、一面では"危険"であるとともに、他面では実に"おもしろい"のである。
クリスマスも近づいたある夜、ダウンタウンからアップタウンヘ向かう地下鉄に乗ると、じばらくして、スチール・ドラムを首から下げた黒人が乗ってきて、美しい演奏を披露した。ニューヨークの地下鉄のなかには、"危険"という神話が支配しているので、客同士の関係は、バスや列車のなかよりもピリピリしている。が、このスチール・ドラム演奏のおかげで、車内が急になごやかになった。演奏後、その黒人が箱をもって車内をまわったとき、大半の人がそこに小銭を投げ入れたことは言うまでもない。本当はこういう感じこそがニューヨーク的なのだとわたしは思う。
その点で、一九八四年の暮に起こった地下鉄内のピストル事件は、ニューヨークの都市環境の変化を物語っている。事件は、四人の黒人青年の一団に小銭をせびられた中年の白人男が、それをたかりと早合点して、恐怖にかられ、所持していたピストルを四人に向けて乱射して逃げたのであった。この男は、マンハッタンに住み、強盗事件を経験して神経が過敏になっていたところに金をせびられたので発作的に事に及んだらしい。四人の青年には、強姦やおどしの前科のある者もいたが、そのときは、決しておどしたわけではなかったという。が、いずれにしても、ここには、不幸な出会いがあり、また、マンハッタンからよそ者を締め出そうとするヤッピー的なミドル・クラスの排他的意識の先進を感じざるをえない。
地下鉄は、もともと、さまざまな人々がまじりあう場であり、ときには犯罪者もそこに乗りあわせる。都市の街路がすでにそのような性格をもっていたが、より規模の大きいスペースである地下鉄ではい街路よりもハプニングの度合が高まる。この四人の黒人たちは、ブロンクスのスラムに住み、マンハッタンは彼らの遊び場だった。彼らを可能的犯罪者としてしかとらえない目からすれば、地下鉄は、犯罪者の通路である。四人に重傷を与えた白人は、おそらく地下鉄をその程度のものとしてしか見ていなかったのではないか? しかし、他面で、サルサもブレイク・ダンスも、グラフィティ・アートも、もとはみなマンハッタンの外のスラムから入ってきたのである。マンハッタンがおもしろく、いつも活気にみちているのは、地下鉄のネットワークが早くから発達し、さまざまな地域の、さまざまな人々をさまざまに出会わせるからである。
中心がないという点では、マンハッタンの地下鉄は最高で、その空間のほとんどすべての部分を均等に地下鉄が網目をつくり、さらにその網目のなかをもっと細かくバスのシステムが区切っている。それは、まさにヴィデオ・スクリーンのようであり、任意の場所から出発して、ほとんど任意の点に出現する――地上に出る――ことが可能である。その意味では、マンハッタンの交通網は、早くから電子情報技術によるネットワークを先取りしていた。
しかし、都市とエレクトロニック・テグーロジーとのアナロジーを考えるならば、こうした中心のないネットワーク性とともに、移動という観念の終わりということを考える必要がある。これまで都市は、移動の装置とともに活気づいてきた。人や物を大量に速く移動させる装置にめぐまれた都市は、活気づいてきた。しかし、交通網が発達し、どの場所も移動の点では等価になってくると、移動すること自体は、それほど重要ではなくなってくる。どこからでもアクセスできるかつてのメトロポリタンは、その特権性を失い、他の街と同じ位置に身を置くことになる。街と街、都市と都市は、どれかが中心となって他を支配するのではなくて、それそれがその地域的、住民的唯一性を生かして他との相異を明確にすることによってしか活気を保つことはできなくなるだろう。しかしそのとき、都市は、移動の要点ではなく居住の要所となるはずである。
これは、都市が庭と化すことでもある。庭には何かしら移動へのあきらめが集約されている。「日本人は、庭の愛好民族だといわれる」という書き出しで庭について論じている上田篤『日本人とすまい』(」岩波書店)によると、『万葉集』の庭の描写や『作庭記』の記述から判断し、「日本庭園の池は、海を模してきたもの」であり、「日本人の庭づくり」は「海への回帰をしめすもの」だという。
しかし、京都の鞍馬山には、いまから六五〇万年前に「護法魔王導(サナート・クラマ)」が金星より「婚の君」たちを従えてここに降り立ったという「天車」(宇宙船)を模した「白砂盛」があり、これは、日本庭園の原形をなしているという伝説がある。他所でも書いたとおり(『都市の記憶』、創林社)、この白砂盛は、底面の直径が一メートルあまりの円錐台形をしており、宇宙船の円盤にそっくりなのである。とすると、この円錐台形をひきのばした形の日本庭園は、「海への回帰をしめす」というよりも、宇宙への回帰を示唆することになる。
とはいえ、いずれの場合にも、庭は、何かしら"起源"への回帰を理念的に形象化しており、"起源"信仰の文化装置として機能してきたことがおぼろげながら想定できる。鞍馬山の白砂盛が日本庭園の原形だというわたしの解釈は――鞍馬寺で発行されているパンフレットの説明をうのみにしたものであって、何ら実証的な裏付をとってはいないのだが――イマージネイションにあふれており、庭を愛好する日本人が庭においてその宇宙信仰を表現していると考えることは、少なからず歴史的空想の快楽を与えてくれる。
しかも、この白砂盛は、金星からの宇宙船を型どったものだということになっているのだから、庭信仰のなかには、"起源"志向とともに、移動や旅への願望的な志向が含蓄されていることにもなり、庭を海に関係づけるよりも、はるかにおもしろいだろう。
鞍馬山で白砂盛のことをはじめて知ったとき、わたしがまず思い出したのは、ニューヨークのマンハッタンをそっくりそのまま宇宙船として宇宙に浮かべたジェイムズ・フリッシュのSF『地球人よ、故郷に還れ』(砧一郎訳、早川書房)だった。われわれが表象する宇宙船は、通常、円盤の型をしており、事実、鞍馬の白砂盛もそうなのだが、その円盤の内部に都市があったり、池や川や山があってもかまわないのである。とすれば、庭とは、建物の従属物ではなくて、建物こそが庭の一部であったはずなのだ。
日本人は庭好きだと言われてきたにもかかわらず、庭をもつ条件はますます悪くなり、庭をも
たない人が増えている。しかし、庭が文化装置として重要な意味をもっているのだとしたら、そ
れは、別のものがその機能を代替しているはずだし、庭という現象をそこまで広げて考えなけれ
ばならないだろう。
都市の生活者の多くが庭をもでないのは、地価が高くなり、空地が少なくなったからであり、
せいぜい中庭か屋上庭園のような共同の庭しかない建物がふえたからであるが、にもかかわらず、5
庭のない生活に甘んじられる――どころか満足できる――のは、これまで庭と考えられてきたも
のの文化装置的な機能を別のものがそれ以上に有力に満たすようになったからではないか?
都心で、限られた空地しかない人が、庭を作るか、それともガレージやパーキング・スペース
を作って車をもつかの選択をせまられたとしたら、多くの人は、庭を犠牲にする方を選ぶだろう。
しかし、このことは、一つの欲求を犠牲にして、他方の欲求に乗りかえることではないのだ。す
でに述べたように、庭には満たされざる移動への志向が表現されている。庭に花鳥風月をもちこ
むのも、距離への欲求であり、そこにない山や川や空を別の方法で近づけるためである。とすれ
ば、距離を短縮する道具としての自動車は、そうした庭の機能をより即物的なやり方で満たすわ
けで、庭には宇宙的な距離を縮める機能があるのに対して、自動車には極めて現世的な距離を近
づける機能しかないということを除けば、すべてがますます即物的となる時代には、距離を短縮
する文化装置として底よりも自動車が優先されても不思議ではない。
ただし、自動車でどこまで行っても、ふだん見なれた日常的風景を超えるものに出会うことは
できず、まして宇宙への夢を満たしてくれるなどということは全くありえないということが明確
になるにつれて、車によって庭の宇宙論的機能を代替することはむずかしくなってくる。郊外の
生活者が庭と車を両方もっているのは、それだけのスペースにめぐまれているからというだけで
はなくて、郊外生活の必要から車をもちそれを実用的=現世的に用いれば用いるほど、庭の宇宙
論的必要性が切迫してくるからである。
ところで、今後は、ある限られた空地があって、その使用を一つに限定しなければならないよ
うな選択を迫られた場合、車のパーキング・スペースよりも、衛星放送を直接受信するためのB
Sアンテナを設置することを選ぶ人がふえるかもしれない。このパラボラ・アンテナは、小型の
ものなら五〇センチメートル程度の直径であり、それ自体の重量は軽いのだが、風圧に耐えるた
めにしっかりした基礎と支柱がいるので、車一台分のスペースが必要になる。その代わり、この
装置があれば、将来、世界中のテレビ番組を見ることができるようになるかもしれないし、いず
れにしても自動車よりははるかに大きな距離を縮める欲求を充たすことができる。実際、衛星通
信は、ある種の宇宙交通であるわけだから、庭=宇宙船テーゼからすると、それは、これまで
"庭"と考えられてきたもの以上に庭的なものに近づいたということにもなる。
その意味では、今日、テレビが庭の機能を果たしており、都市生活者が庭をもたなくても生活
できるのは、テレビの浸透のためかもしれない。今日、テレビは、ますます"環境テレビ"にな
ってきて、今後液晶型の壁掛けテレビ(LCD)が普及すると、テレビは壁に掛けられた絵や部
屋のインテリアとみなされるようになってゆくはずだが、このときテレビは、距離と移動の装置
としての庭=宇宙船、これまでの庭、都市生活者のあいだで流行している鉢植栽培といった庭現
象のすべてを一つに統合した形の未来の底となるにちがいない。すでに、庭の池に映った月をな
がめながら酒を飲む者よりも、テレビのかたわらでビールやワインを飲む人の方が圧倒的に数が
多くなっている。むろん、それが庭のもつ本来的な機能を十分に果たしているとは言いがたいとしても。
テレビと庭の関係を考えるとき、ジャージー・コシンスキーの小説『ビーイング・ゼア』(バンダ
ム・ブックス)を忘れることはできない。この物語の初老の主人公は、私生児がもらい子として育て
られた幼少時代からずっと家の庭の外へは一歩も出たことがなく、長じてはこの家の庭師として
働いてきた。"外界"に接するのは、かつてはラジオ、後年ではテレビを通じてだけだが、本当
は、彼にとっては"外界"という観念都なく、彼の世界は庭とテレビの映像だけなのである。
この小説は、"現実"世界をテレビの世界ととりちがえてしまった男の話としても読めるし、
ハル・アシュビーの映画化(邦題「チャンス』)は、その方向で原作を解釈している。しかし、彼は、
限られた形でではあれ、映像とは異なる庭という"現実"世界を知っていたわけであり、そこで
何十年間も木々や草花の手入れをしてきたのだった。ということは、彼にとっては、庭とテレビ
の世界とのあいだには存在的な区別がないということであり、唯一のちがいは、彼がテレビに対
して普通の人とは異なる接し方をすると同時に、庭に対しても普通の人とは違った対応のしかた
をするということである。
そもそも、庭師であるということは、世界をミクロ・レベルでとらえることだ。そこには世界
の全体があるはずだから、庭とはミクロコスモスである。ミクロなレベルが見えなければ草木を
育てることはできないし、庭師になることはできない。『ビーイング・ゼア』の主人公チャンスに
とって、テレビは、世界をミクロ・レベルでとらえる手段――というよりも、"現実"世界をミク
ロ・レベルで構成しなおしたもの――あるいは"現実"世界よりももっとミクロなレベルで構成
されている世界だった。だから、コシンスキーは、"外界"にはじめて出たときのチャンスの印
象を次のように描いている。
彼は驚いた。街路、車、建物、人々、かすかな音は、すでに彼の記憶に焼きついている
諸々の映像だった。これまでのところ、門の外側にあったものはすべて、テレビで見てきた
ものに似ていた。ちがいがあるとすれば、ものや人がもっと大きくて、動きがのろく、単調
であつかいにくいことだった。
つまり、チャンスにとっては、"外界"はテレビの世界よりも大きいだけであって、実質的な
ちがいはなく、それは、おそらく、"外界"が自分の慣れ親しんできた底よりも大きいというこ
とと大差がないのである。言いかえれば、彼にとって"現実"世界と映像世界との関係は、庭や
林の樹木と盆栽とのあいだの関係でしかないわけである。
庭から盆栽へ、さらには盆栽からテレビヘという方向は、よりミクロなものへの志向であり、
空間的な距離を時問的な距離へ転換しようとする欲求の方向である。庭とは、要するに、宇宙的
な距離を《いま・ここ》の距離として体験するための場でありメディアであるとすれば、庭の現
象学的歴史は、この《いま・ここ》が、次第に、物的・空間的なひろがりを失って、感覚的・時
問的なひろがり(持続)だけになってゆく傾向を示している。最も今日的な庭が、電子的持続の
なかに自己を見出しているのもこのためである。
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