粉川哲夫の本          電子人間の未来


ヴィデオが落書きになるとき

    キース・ヘリングやドンディ・ホワイトとともに落書きは一挙にアートヘの通路を見出した。これは、落書きまでもとりこまずにはいられないニューヨーク美術界の貧欲さと停滞を示していると言えるが、他面では今日の芸術の新しい方向を示唆してもいる。
  都市の落書きの歴史は非常に古く、発掘されたポンペイの遺跡からはおびただしい数の落書きが発見できる。ニューヨークで地下鉄の落書きがさかんになるのは、一九六〇年代後半から七〇年代にかけてであるが、それはアートとは無縁のサブカルチャーの位置にとどまってきた。ポンペイの市民にとって落書きは、新聞やポスターやチラシの機能を果たしていたらしいが、ニュヨークの地下鉄の落書きも、当初は、風刺やパロディのメッセージをもった実用的な表現の性格が強く、今日見られるような装飾的な性格は薄かった。
    その意味では、キュレイターやディーラーたちがそれをアートの世界にとりこんで機能転換する以前に、それ自身の内部ですでにその有用性を脱構築していたと言ってよい。わたしの知るかぎりでも、すでに一九七〇年代のなかばに、ニューヨークの地下鉄の落書きは、一つの落書きの上に別の落書きが重層的に描かれ、落書きの一つひとつの意味が解体され、全体として車輌の内部の雰囲気を一変させるデザイン的機能を発揮するものになっていた。これは、ニューヨークという都市が政治環境としての活力を失っていったこととも無関係ではないが、すでにメディア全体がメッセージの伝達という機能をやめようとしていたためである。
    マクルーハンの「メディアはメッセージである」という宣言は、メディアがメッセージの伝達機能をもっということを意味するのではなくて、メッセージがメディアの機能しかた次第で決まってしまうということを意味する。したがって、それは、メッセージの死亡宣言であり、メッセージにとっては、ニーチェの「神は死せり」に等しい意味をもっていた。メッセージが、あらかじめ存在し、それがメディアによって忠実にあるいは歪曲されて伝達されるというのではなくて、はじめからメディア操作だけでどうにでもなってしまうのは、メディア環境が全般化することによってのみ可能である。つまり、街路があってその一部で孤立的にラジオが鳴っているというのではなくて、街路中でラジオが鳴っていること、あるいは街路も室内もラジオもテレビも、そしてほかのあらゆるメディアが、同じコードで記号交換を行なっていること――このような条件がととのいさえすれぱ、メッセージはメディアの機能しかた次第でどうにでもなる。
    こうしたメディアの全般化もメッセージの"死"も、それぞれの個別的メディアがいりくみあい、テレビが落書きを映し、落書きがテレビのマンガのひとこまを模写することによって完壁なものとなってゆくが、ニューヨークの地下鉄の落書きとマス・メディアは、一九七〇年代の後半から一九八○年代の初頭にかけての十年弱の期問に、このような惰性化の過程を深めてゆき、土地の人々は落書きに対して――たとえ新たな落書きが描かれても――無関心になっていった。
 が、それではなぜ落書きはアートとしてふたたび人々の注目を集めることができたのか?落書きという都市のサブカルチャーが画廊という別の記号環境に移動されて別の意味をもったのだとしても、それは、単なる作品=商品としての価値が生じたにすぎず、アート=方法としての可能性が生まれたことにはならないであろう。
    落書きがアートになったのは、それまで落書きにおいてつねに起こっていたにもかかわらず見失われてきた部分が急に見えるようになったからである。"グラフィティ・アーティスト"の短縮形である"フィディ・アーティスト"という言葉が語られるようになるのは、ヒップ・ホップ・カルチャーとともにであるが、これは、それまで"作者主体"を匿名化することによって機能してきた落書きにとっては大きな変化である。ただし、これは、落書きが"主体"を明示し、"作品"としての性格をもつようになったということではなく、久しくその存在が恒久化してしまい、その生動性が感じられなくなっていた落書きに、それがそのつど書かれるものだということをあらためて強調することになったということなのだと考えるべきだろう。なるほど、ヘリングは、「わたしには、地下鉄のなかで書くドローイングと数千ドルで売れる作品とのあいだにはちがいがない」(『フラッシュ・アート』、一九八四年三月号)と言っているが、彼がアトリエでやることは、彼が地下鉄駅でやることをより意識的な形で提示しているにすぎないのだ。
    ヘリングによると、彼が一番関心をもっているのは、「状況における偶然(チャンス)の役割――事物をそれ自身によって起こるがままにすること」であり、彼の絵は、「決してあらかじめ計画されたことがなく」「自動筆記や身ぶり的抽象化により近い」のだという。それゆえ彼は、「このように"偶然"的な状況に開かれているためには、アーティストの側にパフォーマンスのレベルが必要になる」と言い、アーティストをはっきりと「パフォーマー」として規定している。
  その際、注目すべきことは、ヘリングとともに落書きが、メディアによってどうにでもなるマクルーハン的な"メッセージ"とは異なるメッセージをとりもどす点である。つまりメッセージの"死"を一且くぐり抜けたところのメッセージであり、何かの言語的命題としてでなく、一つのパフォーマンスが起きたという出来事の唯一性(サンギュラリテ)を伝えてくるようなメッセージである。
    もともと落書きは、それが――たとえば当局や人の目を気にしながら大急ぎで――描かれた唯一的な状況をひしひしと感じさせる点で、落書きをまねた装飾とも、ミュラル・ペインティングとも異なっている。つまりそれは、"偶然性"や出来事性に身を置いたパフォーマーの存在(ただしその"主体"の存在ではなくて、その特定の出来事性の存在)なしには意味がない。ニューヨークの地下鉄の車輌内部に描かれた落書きが当初もっていた有用性というものも、実は、概念の道具的な有用性ではなくて、それが与える出来事的唯一性がその"観客"にもう一つの唯一性をよび起こすのに役立つという意味での有用性にすぎない。
    情報環境の画一化やマス・メディア化は、たとえばテレビや雑誌でマンハッタンの地下鉄の落書きを一つの風俗として報道することで落書きを、"永劫回帰"する同一コードの回路のなかに統合してしまうわけだが、バフォーマーとしての"フィディ・アーティスト"は、神出鬼没して新たな落書きを描くことによって、そのような回路を切り裂いてしまう。キース・ヘリングの場合に、彼が地下鉄駅の壁(のちには彼のために設けられた黒い紙の特別のスペース)に何を描いたかよりも、彼がそこにやって来たという出来事の方が人々の関心をひくのも、まさにこのためにほかならない。
    だから、落書きのアクションは、もはや何かをつくり出すアクションではない。少なくとも、落書きが都市のサブカルチャー的情報環境のなかに統合されているマンハッタンのようなところでは、落書きのアクションは、すでにあるもの――どうしようもなく惰性的にあるもの――のミクロな部分をわずかに変えることによって全体の様相を一変させる解体のアクションである。
    惰性化した情報環境の回路をこのように解体するアクションとしてのアートは、落書きだけではなく、テレビやラジオのような電子メディアの領域にも存在する。たとえば、ナムジュン・パイタの「グッド・モーニング・Mr.オーウェル」は、衛星通信の回路に"落書き"を描きこむアクションであり、ふだんは全地球の場所性を剥奪する機能を果たす衛星通信を、逆にニューヨークやパリという場所性を露出させるメディアに交換しようとした。おそらく、ヨーゼフ・ボイスが、さまざまな政治的チャンネルのなかに一見不釣合いな形で出現しようとしたのも、政治の回路が個人性や出来事の一回性を匿名の集団性や反復性に解消しがちなことを意識したうえのことにちがいない。また、クリストの"梱包の芸術"も、落書きをするかわりに包むのであり、建物をそのミクロ部分としてもつ都市、島をミクロ部分としてもつ地球といった規模で、平板化した情報回路にパンクチュエイションを入れるのである。
    これらは、いずれも、匿名的に機能しているはずの"作者主体"や、作られているという"客体性"をあえて操作的(オペラティヴ)に誇示する点で共通した方法をとっているが、この方法が今日の最も進んだ"犯罪"とその捜査との相互アクションのうちに暗黙に採り入れられているのは興味ぶかい。すなわちグリコ・森永事件で容疑者の一人として嫌疑をかけられている男(の映像)がスーパ一・マーケットの防犯ヴィデオに映った映り方は、どんなにすばやく神出鬼没するフィディ・アーティストよりも匿名的であり、また、それを一人の"主体"としてヴィデオ処理(編集)し、マス・メディアに流した警察の技術(アート)は、これまでのいかなる環境ヴィデオ・アーティストの技術よりも優れて操作的である。ここには、エレクトロニックスが発達したメディア環境における落書きからパフォーマンス・アートにいたる現代アートが実験的に示したことが、確実に権力の方法として逆取りされているのである。

    以上のことは、より本質的に言って、すべての問題が空間性から時間性の問題に移行しつつあるということでもある。テクノロジーも、政治も戦争も、情報も価値もリアリティも、時間性をめくって展開している。空間を拡大したり微分=差異化したりするテクノロジーから、空間の移動速度を瞬間的な"同時性"にまで加速させるテクノロジーへ。空間の占有と支配にこだわる地政学(ゲオポリティクス)から時間政治(クロノポリティクス)へ。物流の貨幣経済から情報の時間経済へ。
    ここでは、都市の街路はテレコミュニケイションのネットワークに代置され、戦争は恒常化(作動を一瞬も止めることができない電子監視装置の増殖――そのかたわらでの「イラン――イラク」型の果てるともなき戦争)するか、瞬間化(その最高形態としての核戦争、そのミニ形態としての米のリビア爆撃)するかしかなくなり、人々は金よりも情報を、そして、さらには時間をより多く欲するようになる。
    こうした時間性の時代には、空間的に"ミクロ"なものと、"マクロ"なものとの区別は世界を変革する力の尺度とはならなくなる。空間的に"ミクロ"なものが"マクロ"なものを決定することもありえる。したがって、ここでは、これまで世界のマクロなレベルに関わってきた"政治家"と世界のミクロなレベルに関わってきた"芸術家"との社会的機能が逆転することもありえる。芸術家はすでに政治家である。ただし、ミクロ・ポリティクスの政治家として。
  ナムジュン・パイクは、今日のミクロ・ポリティクスの最も先端的なレベルに関わろうとしてきた。パイクは、電子的映像とサウンドにおける時間操作の政治家である。ここで、パイクのポリティクスを浮きぼりにするために、言語における時間操作の政治家であったカフカの時間政治をちょっとみてみたい。
    空間の政治は記号の差異性とともに――つまりは記号学とともに――終焉に達するが、記号学的なものはソシュールとともに始まったわけではない。ソシュールが一九〇六年にジュネーブ大学で訥々と記号学の基礎を論じはじめる何年もまえに、カフカは一人の作中人物に次のように言わせていた。
お月さん、すまないけど、お前はもうお月さんじゃないんだぞ。そりゃ、お前のことを昔から"月"と呼んでたからって、今もってお前を"月"と呼ぶのは、おれの手ぬかりさ。おれがお前のことを「おかしな色の提灯の忘れ物」とでも呼ぶとすると、そうら見ろ、急に高慢ちきでなくなってしまうじゃないか……。(「酔どれとの対話」)
    言語の"実践"レベルではすでに「記号の恣意性」が進行していたのであり、「記号の恣意性」を単なる理論から実践にひきうつし活用したという点では、文化人類学者や言語学者よりも、ベルリンやニューヨークの広告業社や第三帝国の文化省の連中の方が早かったのである。言語芸術の分野では、カフカにみるまでもなく、「記号の恣意性」は、今世紀のはじめにはすでに自明のことであり、ソシュールはそうした"芸術的直観"を遅ればせながら学説化したにすぎなかった。
  "芸術的直観"を利用することに敏感なのは、学者よりも政治家であり、カフカはすぐれた「政治家」――ミクロ・ポリティクスの政治家――であった(『フェリーツェヘの手紙』はその証拠になるだろう)ので、彼は、一九二四年までのその短い生涯のあいだに、言語による時間操作の可能性をことごとく実験しつくした。カフカにとって言語は、そうしたパフォーマンスのためのメディアであったので、書いたものを活字にすることは、それほど重要ではなかった。というよりも、彼は活字化された言語のもつ時間操作的な機能をあまり信じてはいなかった。
    これは、文字メディアがまだマス・メディアとしての機能をもっていなかったカフカの時代には正しい現状認識だったといえる。しかし、皮肉なことに、のちに友人の手で活字化されたカフカの言語は、数十年にわたって(カフカ・ブームは一九四〇年代から六〇年代まで続いた)世界中の人々の時間を操作することになるのである。
    しかしながら、"カフカ・ブーム"を操作したのは、カフカの言語ではなくて、商業資本やイデオロギーだった。カフカが、自分の言語的パフォーマンスを活字化することにかなり無関心だったのも、活字化された言語において失われるものをカフカが正しく洞察していたからだった。すなわち時間性である。
    時間性とは、意識操作の核心であり、有能な政治家はつねに時間性に注目する。カフカが手紙や朗読のテキストという形態で書くことを好んだのも、そこでは活字化された言語とはちがって、書かれた言語の時間性を操作できる立場に立てるからだった。それは、個人が時間性を操作できる"素手の領域"にとどまることであり、文字が"素手"の延長であるかぎり、やむをえぬ選択かもしれない。
    ナムジュン・パイクが挑戦するのは、まさにこの限界である。彼にとって、ニーチェが「神は死んだ」といったのと同じ程度に「紙は死んだ」(「マルクスからシュペングラー……」、『季刊フィルム』、一九七一年第八号)のであり、"素手の領域"を越えて個人が時間性を操作できる条件が現われていると考えるからである。パイクは、そのような転機を六〇年代にみる。
もし革命というものが、一九二〇年のロシア人にとって電化であり、四〇年のアメリカ人にとって壁から壁までのカーペットの出現であるとしたら、六〇年における革命とは、心から心へ、衛星から衛星への電子化です。 (「ナム・シュン・パイクの芸術とテクノロジー」、『季刊フィルム』、一九七一年第八号)
    たしかに、電子テクノロジーの発達は、わたしの時間性が、わたしの"素手の領域"を越えて作用することを可能にするかにみえる。活字の時間性つまり活字の経験され方は恣意的である。が、電子的な映像やサウンドの時間性は、ある程度までそれらが発現した"素手の領域"にシンクロナイズされている。したがって、映像やサウンドは、活字とはちがい、わたしが感じ考えるのと同じ経験を同時に他者に共有させることが容易である。テレビは、本よりも効果的なメディアであり、同時性の時間メディアである。
    しかし、政治家と独裁者とは区別されなければならない。独裁者とは、技術を失った無能な政治家である。真の政治家は、自己の心的意識過程を他者に共有させようと強いるわけではない。政治家は、自分が自由であると同じだけ他者も自由であるような場をつくろうとする。だから、活字の政治家は、「記号の恣意性」を記号操作の自由性へ転換しようとした。すなわち、レクチュールという場の再発見である。この自由は、"作者主体"というものを不問に付し、記号作用の外に置くことによってのみ獲得されるべきものであるが、活字の政治家の仕事は、まさに"作者"の"素手"から活字=本に向かって流れる時間を絶ち切り、別の時間が流れる場をつくることであった。
    電子的映像とサウンドの政治家の仕事は、これとはちがっている。映像やサウンドも記号でありうるが、記号としての映像やサウンドを扱うのは活字の政治家である。記号とは何ものか(超越論的主体)についての記号であり、そうした「何ものか」を時問的に限りなく遠ざけることが活字のポリティクスだとすれば、電子的映像やサウンドにもそのような操作が可能である。しかし、映像やサウンドには別の政治が機能する場がある。活字の政治は、別の時間つまりズレや差異をつくり出すことである。それに対して、映像やサウンドの政治は、同時性としての時間性をつくり出す。
    したがって、ここでは"錯覚"や"韜晦"は政治的有効性をもたない。活字においてはそれらは、ときには"創造的"な時間を形成しうるが、映像やサウンドにおいて"錯覚"や"韜晦"が有効なのは、それらが参照すべき(レフェレンシャル)"超越論的主体"との差異がきわだっているからではなくて、それらが時間の同時性という点において高い稠密度を形成しているかぎりにおいてである。したがって、ここでは事実上、"錯覚"や"韜晦"という概念自体が成立できなくなる。
    映像とサウンドの政治は、差異性のなかにおいてではなくて、ハイデッガーが「時熟」(ツァイティグング  Zeitigung)と呼んでいることのなかに存在する。これは、デリダが「差異」(difference)と「差延」(differance)とを区別したようなレベルの問題ではない。デリダの「差延」は、依然として時間のポリティクスのなかにではなくて、空間のポリティクスのなかにとどまっている。「差延」とは、空間を――つまりは活字(グラム)的なもの――をいかに差異化するかという空間の政治戦略であるにすぎない。これに対して、「時熟」とは、時間を空間的な差異性(微分された時間)としてではなく、場の質として、あるいは場の質を操作する戦略としてとらえることに関連している。時間の政治を思考しつづけたハイデッガーは次のように書いている。
時間は時熟する。時熟とは、熟させ、現われさせることである。時間的なものとは、現われ=現われたものである。時間は何を時熟させるのか? 答は、同=時的(グライヒザイティク)なもの、すなわち、時間のなかで同じ唯一のしかたで現われるもの、をである。 (「言語の本質」、『言葉への途中』所収)
    ナムジュン・パイクは、一九五七年から五九年までフライブルク高等音楽院に学んでいるが、フライブルクは、ハイデッガーが時間の思考を展開した場所だった。パイクヘのハイデッガーの影響は、必ずしも直接的なものではなく、両者が言語、表現、テクノロジーなどの問題を時間の側面から考えていたという点で両者のあいだに多くの共通するテーマを見出せるということにすぎないが、にもかかわらず、パイクの発言にはハイデッガーの著作から直接影響されたとみられるものが多々発見できる。パイクは、「タイム・コラージュ」という示唆的な文章のなかで次のように書いている。
 videoというのは、一つの場所にすべてのinformationを集めて、その場所、あるいはその一瞬のdensity(密度)を高くする機能をもっている。それは、ドイツ語で詩をDichtung(稠密化)という語源的いい方に通じる。しかしvideoには また全然ちがった機能がある。それは一つの事象の密度を稀薄にし、四方八方へ 散らしてしまうことである。(『ナム・ジュン・パイク・タイム・コラージュ』)
    タイム・コラージュとは、同時性という時間性の密度を稿密にしたり稀薄にしたりする技術であり戦略である。それは、時問的な差異性の政治であるといえばいえなくもないが、この差異は決して表象できない差異であろう。パイクは、密度の高い情報の場に身をさらすことを「エクスターズ」という言葉でいいあらわすことを好む。 「エクスターズ」とは、単なる「忘我」や「恍惚」ではなくて、ハイデッガーが「エクシステンツ」を「実存」と「脱我」とをまたぐ概念として用いている文脈を意識したいい方である。つまり「エクスターズ」とは、超越論的な主体がどこにもいないことであり、そのような無化の経験なのである。
    我――主体――を消去することが主要なパイクのヴィデオは、我によって見られるものではなく、我を脱するにするものである。その意味で、「TV仏陀」はきわめて暗示的な作品だ。仏(一九八四年の都美術館の展示では不動明王)には我がない。その仏がテレビに向かっている。小さなTVモニターには仏の姿が映っているが、仏はそれを見てはいないはずだ。パイクの政治は、人が仏としてヴィデオに接することを仕掛ける。それは、さしあたり「忘我」の「恍惚」的な体験をもたらすが、その場を離れたとき、あなたはそこで何も見ていなかったことを再発見する。「ヴィラミッド」は、まさにそのような体験を驚くほど効果的に印象づける装置である。五十台以上のテレビを積み上げて、テンポの早いヴィデオ画像を重層的に映し出すこの作品のまえにたたずむならば、あなたは、そののエロティシズム呼ぶべき情報時間のなかで身動きできなくなるだろう。が、そこから身をもぎ離したあなたが、いま見たはずの映像のひとこまひとこまを見出そうとするとき、自分が不可思議な自己喪失=無化のなかにいたことを発見するだろう。
    時間芸術は、空間の政治がのさばっている時代には、世界に対する何らかの異化効果をもつことができる。が、時間の政治が次第に全般化するにつれて、時間芸術自体がシステムと権力となり、時間の内部で"階級闘争"と権力闘争が生じるようになる。
    だから、パイクのヴィデオ・パフォーマンスが「芸術作品」として固定されるとき、それはミクロな――したがってこれからは最も強力な――権力装置にもなりえる。パイクはこのことを十分に承知しているので、ジャド・ヤルカツトのインタヴユー(「ナム・シュン・パイクの芸術とテクノロジー」)のなかで、「あなたはCIAにどんな貢献をしていますか?」ときかれて、「実に多くの貢献をしています」――なぜなら、彼がもっている走査線のデーターやヴィデオ・テククノロジーは諜報活動や情報操作に役立つからだ――と答えている。これは、彼のユーモアであり、同時に真実である。しかし、パイクは、同じインタヴユーのなかで「芸術家とエンジニアの協力がより進んで、芸術家とエンジニアがひとりの人問に統合される日の来ることを期待しています」といい、芸術が支配的テクノロジーの従属をはねのける可能性を強く確信している。この信念は今日も変わっていないようにみえる。

次ページ      目次