粉川哲夫の本
電子人間の未来
あとがき
本書でくりかえし述べたように、今日の支配的な文化や社会は、電子テクノロジーによってますます大きく規定されている。わたしたちはその身体器官を電子装置と交換したわけではないにもかかわらず、 でに《電子人間》になっていると言えるほどその影響は大きい。電子装置が人間に近づくよりも、人間が電子装置に同化する方躯早かったのだ。
こうした動向が支配的なものであるとすれば、それを観念のなかで拒否しても意味がないだろう。
《電子人間》の過去に執着するよりも、むしろ《電子人間》の未来を洞察し、そこからいま何ができるか、何をしなければならないかを考える方が現実的である。さもなければ《電子人間》の現在を無批判に肯定することになるだけだろう。
本書の考察は、一見"理論"的な記述が続く場合でも、終章の「メモラビリア」で示唆したように、わたし自身がメディアやバフォーマンスの活動に関わるなかで得た経験をもとにしている。従って本書は、"実践"に定式や方向を与えるような"理論"(まだこんな"近代"の迫物を構築しようとしている"理論家"がいる!)を提供するものではなく、既に起こったこと、現に起こりつつあることについての反省作業にすぎない。
が、もしこの反省作業が単なる「過去への執着」ではなく、現在のなかに未来的契機を発見するための、過去への訣別の作業だとすれば、この反省作業のなかから、今日の支配システムのなかに気泡のごとく存在するいくつもの隙間の位置が示唆されているはずである。おそらく、新たな実践やアクションはそのような隙間のなかで生まれるであろう。新しい実践やアクションは、つねに解放状態のなかでしか生まれないのであり、"理論"にできることは、せいぜいそうした《スペース》の位置を示唆することである。
願わくは、本書自身が、そうした《スペース》の一つ――ミクロなフリー・スペースの一つであってほしいと思う。つまり、本書を、同化や解読の対象としてよりも、むしろ一つのコミュニケーション・スペースとして利用することが生ずればよいと思うのである。
本書で使用した諸々の文章を最初に書かせてくれた市川徹、伊藤卓、大島洋、木村妙子、熊沢敏之、澤井洋紀、高崎俊夫、田中和男、西井一夫、西堂行人、増井淳、三上豊、三田格、宮坂英一、森口秀志、吉村明彦の諸氏は、それらが本書のような形で《集合》されることを期待しておられなかったかもしれない。このように《集合》させた責任はあくまで筆者にあるとしても、この方々の協力なしには本書は成立しえなかった。この場をかりて御礼申し上げる。
編集の津野海太郎、松原明美、装丁の平野甲賀の諸氏とは、例によって本書の制作過程を適レ、創造的な《コミュニケイション》の時間をすごさせていただいた。ありがとうございました。
一九八六年九月二五日
粉川哲夫
次ページ
目次