国際化のゆらぎのなかで 11

鳥居のある資本主義

 東京の変化はめまぐるしいといわれるが、一年間でそれは、どの程度変化するのだろうか? 第二章でわたしは、テレビ朝日通りから元麻布二丁目、仙台坂をへて二の橋に至る一帯を歩き、その「国際度」を調べた。それは、調度一年まえのことである。そこで、同じコースをもう一度歩いてみれば、そこに何らかの変化を発見することが出来るだろう。そしてその変化から、この一年間にこの都市で起こった最も顕著な傾向が何であるかを判断することが出来るかもしれない。そう思い、わたしは元号の換わった一九八九年一月のある日、首都高速三号線の下の六本木通りから中国大使館のある通りに歩を進めた。  まず、通りの外観ががらりと変わっていることに驚かされる。この四車線道路は、西麻布三丁目と元麻布二丁目との境界線をなしているのだが、変化は特に西麻布三丁目側が著しい。「華麗」なデザインの新しいビルが建ち、外見だけは「国際化」している。横文字の看板をかかげた店が増え、広尾の地中海通りや青山のキラー通りに近づいてきた。一見アメリカの地方都市のショッピング・センタ ーにある店を思わせるような食料品店も出来た。  住宅のコンクリート壁が青いペンキで塗られている。最近では壁や階段にペンキを塗りつけることが抵抗なく行われるようになったが、これは近年の習慣だ。以前だと、そういうことをやっているのは「外人」の家だけで、大抵の日本人は、木材やコンクリートの表面を色調の強い色で塗りつぶしてしまうことを嫌った。  マンションの入口の植え込みのところにあるKeep off the Gardenという文字のある立て札は、以前からあったと思う。が、そのそばに、以前には気づかなかった立て札があるのが目につく。それは、「犬の糞は飼い主が必ず始末しましょう」と日本語で書かれたいう立て札で、これに気づいたのは、昨年隅田川沿いの落書きをリサーチしたおかげである。犬や猫の糞に対する拒否を示した表示はこの都市の一性格にもなっているのであった。  それにしても、「植え込みに入らないでください」という日本語の表示がないのに、犬の糞の方は日本語だけというのはどういうことなのだろうか? ひょっとして、植え込みに入るのは英語をしゃべる「外人」だけ、犬に糞をさせるのは「日本人」だけということなのだろうか? おそらく、そこで犬に糞をさせる「日本人」がいるのだろう。だからその表示は日本語でなければならない。それに対して、植え込みに入る者はめったになく、英語の表示はデザインにすぎないのである。  一般に日本の都市では、看板の横文字はメセッージ性よりもデザイン性を重視している。だから、もし、状況が変わって英文字よりも漢字やアラビア文字の方がデザイン的に「新鮮だ」ということになれば、英文字の看板はただちに漢字やアラビア文字のそれに変わりうるのである。  「デザイン」という言葉は、「デ・サイン」つまり記号化ということと関連している。従って、デザイン的なものとはつねに「表層的」なものであり、それが大きく変化したからといって「深層」に変化が起きたとは言えない。もっとも、最近は、「深層」などというものはないのであって、すべては「表層」だけだという論説がはびこっているから、この伝でいくと、表層がめまぐるしく変化する東京は、世界中で最も「記号論的」な都市だということになる。  しかし、昭和の終りから平成の始まりにかけての一連のうっとおしい出来事が示唆したことは、「空虚な中心」といわれたものに確固とした実体的な中心があったということではなかったか?皇室や宮内庁は意図せずに「あいまい」な存在であり続けたのではなくて、極めて意図的な情報操作によってそうなったのであり、実際に宮内庁は極めて洗練された「中央情報局」であった。皇居を「空虚な中心」に見立てたロラン・バルトは、まさにデイヴィッド・バ ーガミニが「天皇の陰謀」と呼んだところのものを完全に無視していたと言わざるをえない。  さて、愛育病院の手前を麻布高校の方に入ると、街路の「華麗」さは目立たなくなる。仙台坂の下り口のところにある洋服屋は、昔通りの古い建物のままであり、「国際家畜病院」の看板も変わらずにあった。しかし、韓国大使館のまえを通りすぎたとき、左手の、かつて屋敷があった場所が完全な空き地になっているのを発見した。いかにも「地上げ」という感じの空地化である。  そして驚いたことに、そこから仙台坂を下っていくと、以前には店舗のあった場所が軒並み空地になっており、通りの様子が一変しているのだった。きっと、今年中に「華麗」なビルが建ち、ここもキラー通りのようになるのだろう。が、いま白昼に身をさらしているこの通りは、オリンピック前夜ないしは「復興」直後の東京を思わせる。  仙台坂を下りきったところが二の橋だが、ここに出る手前の道を左に折れたところに韓国レストランと韓国食品店があり、昨年来たときにはその一角が、ある種「コリアン・ストリート」とでも言うべき雰囲気をかもし出していた。しかし、ここにも地上げの波が押し寄せ、空き地が出来ている。そのため、明らかにこの通りのエスニック度は落ち、アジアの都市東京が最も自然な形でもつべき都市の国際化が後退しているのだった。  これは、非常に暗示的な現象である。東京を単なる外見だけで判断すると、昨年よりも今年の方が国際化しているように見えるかもしれない。しかし、エスニック度は決して前進してはいないのであって、たとえばパリのユシュット通りがギリシャ人経営の店で占領されてしまったような仕方で通りの雰囲気が一変する気配はなくなっている。東京では、エスニック度は「国際化」に反比例するのであり、「国際化」とは上べだけの「アメリカ化」なのである。  都市の国際化とは、本来、都市にさまざまな国々の出身者が住むことにほかならないが、東京でそのようなことは決して起きそうにない。かつて「フリー・エントリー」だったバングラデシュからの旅行者に対して八九年一月十五日からビザが課せられることになったが、これによって、国内で単純労働に就いているバングラデシュ人の数はかなり減るはずである。こうした処置が「外国人労働者」の管理上で効果的であることは言うまでもないとしても、都市の国際化にとっては弊害である。結局のところ、日本の都市は表層だけの国際化しかできないのであり、その「深層」は変わらずに保持されるのである。  日本で「国際的」と言われるものが、概ね「アメリカ的」ないしは西洋的であるのは、それらが、日本にとってつねに「表層」であり続けるからである。「深層」に影響を与えうるもの、「肉」となりえるものは厳密に排除されるのであって、皮膚の色が似ており、どこかで文化的共通性をもっているアジアの都市文化は何らかの差別のもとでしか容認されないのである。  これはいたるところで見出すことの出来る現象であって、ラジオやテレビに登場する英語のアナウンスなども良い例である。J WAVEというFM放送局の番組では英語のアナウンスが多く、天気予報も英語で放送されるが、ニューヨークやパリの天気を英語で言っておいて、肝心の東京の天気になるととたんに英語なまりの日本語で始める。結局、ここでも英語はただのデザインでしかないのである。  現在のところ、英語はデザインとしての「国際化」の有力な道具であるが、日本で英語を使うということは国境を越えるということを意味しないのであり、日本では英語もまた差別され、日本語のもとに従属されているのである。日本語は、しばしば、外来語だらけで実体がないなどという人がいるが、これだけ外来語を内包しながら、いささかもその「深層」を変えずにいられる言語もめずらしいだろう。  韓国旅行から帰って来た人から、「あそこには戦前の日本があるからね」という言葉を聞くことがよくある。それは、「女が安いからね」という言葉にくらべれば、はるかに差別意識の少ない言葉かもしれない。しかし、外国に行って日本(たとえ時間軸の異なる日本であれ)しか見出せないというのは傲慢な感覚ではないか? たとえ、韓国に戦前の日本を思わせる町並みがあるとしても、発見しなければならないのは日本との差異の方だろう。日本がいつまでたっても国際化できないのは、手元にあるアジアの差異を無視し、「アジアはみな一つ」などとうそぶいているからである。差別とは差異の無視であり、同一化である。  ただし、こうした差別を「日本人」の習性などに還元するのは誤りだろう。差別は、すべて「唯物論的」な基礎をもっているのであって、それが意識を規定し、ついには意識に沈殿してしまうのである。日本の都市がつねに表層しか変わらず、またその「国際化」が西洋化としての「差異」しかもつことができないのは、日本では土地の権利と建物のそれとが厳密に区別されているからではなかろうか?   いま日本の企業が円高に乗じて不動産投機をほしいままにしている国々では、「借地法」というものはなく、建物を買えば必ず土地の権利がついてくる。日本の「マンション」に当たるアメリカのCO OPでも、それぞれの所有者は、土地の権利を配分所有するのであり、日本のように借地権だけを買うということはない。  地主・家主・借家人がそれぞれ違うことが多く、そして結局のところ地主が一番強いという日本の現状は、とりわけ借家人に対して〈この生活は暫定的なものにすぎない〉という意識を植えつける。この国では建物の持ち主が同一でも、地主が変わるということがあり得るから、建物を所有するぐらいでは誰も本当には自律気分にひたることはできない。都市において自律感覚をもつ一つの方法は、土地付きの建物を所有して、みずからそこに住むことであるが、いまの東京でそれが出来るのは極くかぎられた者だけである。その結果、人々はマイホームを所有したいというパラノイアにますますつきまとわれることになる。  土地にかぎらず電波であれ教育であれ、すべてのものに対して、自律権を与えず、どこかに上からの管理の糸口を残しておこうとする国家政策は、日本のお家芸であるが、それがいま少しづつ限界を露呈し始めている。一生働いても東京では家をもつことが出来ないという不満の高まりもその一つであるが、この不満は、かりに安い土地が大量に放出されたとしても決して解消されないだろう。そもそも現在の法制化で、あるいは土地を担保にして金融機関から借り入れた金が海外投資に向けられている現在の状況下で、土地の価格が下がるなどということはありえないわけだが、もしそれを仮定したとしても、この不満は生き続けるだろう。というのも、この不満は、土地をもてないということから発しているのではなくて、自分に与えられたスペースが自分の自由にならないということに発しているからである。  元号が変わった日の翌日、原宿の「歩行者天国」で天皇制反対の政治パフォーマンスをやった「秋の嵐」というグループが、張り込んでいた警察に規制され、取材中のジャーナリスト一名を含む五人が逮捕されるという事件が起きたが、その「容疑」は道路交通法違反であった。日本では、「歩行者天国」といえども、それは市民のフリー・スペースではなく、憲法で保障されているはずの自由な表現を、道路交通法第七六条の「禁止事項」(「公安委員会が、道路における交通の危険を生じさせ、または著しく交通の妨害となるおそれがあると認めて定めた行為」)に容易にすりかえて押さえ込んでしまえるような独占的なスペースなのである。  借家人は家主、家主は地主、地主は国家、国家は天皇、天皇は天照大神(!?)という〈超越論的〉なものを残しておかなければならないという先送りの管理構造がどこかで完結されなければならないのだが、それはまだ当分続きそうである。とはいえ、平成とともに始まった諸儀式と国家の関係を見るとき、それは明らかに形骸化しており、国家に対して天皇制がもつ〈超越論性〉は低下しているのである。大葬において、天皇家の儀式と国家儀式とが垂れ幕一枚で仕切られ、鳥居が芝居のセットのように取り外されるという滑稽さは、決して天皇制の強化を暗示してはいない。  天皇の重態・死をめぐるマス・メディアの報道が一元的であったためか、天皇制の批判者の内部でも、「天皇制の強固な存在」にあらためて驚き、そのあげく「高度資本主義」と天皇制との「驚くべき整合性」を主張する素朴な意見が浮上しているこのごろだが、そのような意見は、実は、日本の経済発展を買いかぶりすぎているのであり、また、「高度資本主義」のもつ潜勢力を見くびっているのである。  天皇制が存続しているのは、それが日本経済の過剰な発展を抑止し、それが世界経済の抑止弁になると見なされているからである。日本の経済発展がこれ以上進むことは世界経済にとって危険である。資本主義システムは、もう大分以前から、わずかの加速によっても失速する可能性を内包し始めているからである。  その意味では、大葬に世界の首脳が集まるのは、単に「経済大国」日本の手前、ヒロヒトの戦争責任には目をつぶって外向的な挨拶を送るためでは決してなく、むしろ国際経済における天皇制の抑止弁的機能を暗黙に評価しているからであるという言い方も出来る。  だからその点では、資本主義と天皇制はうまく「整合」していると当面はいえるかもしれないが、その資本主義は、「高度資本主義」などではなく、もっと進みうる(が、それだけ自己崩壊の危険をもつ)資本主義が戦略的に後退したところで、天皇制と出会っているにすぎないのである。両者の利害が一致するのは束の間にすぎない。それゆえ、この抑止弁のために得をするのは日本ではなく、アメリカやフランスやドイツであるということは知っておくべきだろう。



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