五〇年代のマイノリティ

  アメリカは「人種のるつぼ」だというが、さまざまな地域や国々から住み着いた人々の文化や生活様式を「るつぼ」で溶かして一色の「アメリカ人」にするという政策は、結局のところ成功しなかった。だから、いまでは、「人種のサラダボール」という言い方の方が正しい。
  しかし、一九五〇年代のアメリカは、まだ、統合的な国家を信じていたし、そうした傾向と手を取り合いながら工業化の産業と世界の警察官としての軍が力をふるった。だから、この時代は、国家に身をすりよせる者にとっては、「よき時代」であったが、国家によって統合される側のマイノリティにとっては、多くの場合、みじめな時代であった。
『シェフとギャルソン、リストランテの夜』は、そんな時代のニュージャージーの海辺の小さな町キーンスバーグでイタリア人兄弟がレストランを開く物語である。
  イタリア料理といえば、いまでは、人気のあるエスニック料理の筆頭にのぼるが、この時代のアメリカでは、それが「純正」であればあるほど、受け入れられる度合いは低かった。最高のごちそうは、分厚くて大きなステーキであり、イタリア料理で好まれるのは、スパゲッティ・ミートボールどまりという始末。
  が、まだ英語にイタリア語が混じりがちな兄プリモ(トニー・シャルーブ)は、シェフとして、故郷ボローニャの味を崩そうとしない。だから、ギャルソン役の弟セコンド(スタンリー・テュッチ)は、苦労がたえない。客は一向にこず、貯金は底をつく。
  困ったセコンドは、近くで成功した店を開いているパスカル(イアン・ホルム)に助けを求める。この店は、派手な盛りつけを演出したり、歌を聞かせたりしていかにもの「イタリア料理」を売り物にしている。プリモに言わせれば、この店では、「毎晩料理がレイプされている」。が、この小さなイタリア人コミュニティでは、頼れるのはこの男ぐらいだ。
  商売人のパスカルは、金は貸してくれなかったが、人気歌手のルイ・プリマを呼んでくれるという。人気歌手が食べに来てくれれば、噂がひろまり、客が集まるだとうというわけだ。セコンドは、素直に喜び、兄を説得して準備に入る。
  スタンリー・テュッチが監督もつとめているこの映画は、ディテールがきめこまかく描かれている。頑固だがシャイな兄、セコンドとその恋人フィリス(ミニ・ドライバー)、セコンドとも関係をもつているパスカルの情婦ガブリエラ(イザベラ・ロッセリーニ)、うまい料理を食べさせてもらい、金の代わりに絵を置いていく貧乏画家、キャデラックのセールスをやっているいかにも時代を感じさせるトッぽい兄ちゃん・・・らが見せる表情や身ぶり。ここには、典型的な「ハリウッド映画」のパターンはなく、初期のマーティン・スコセッシが撮っていたような、アメリカ社会のなかのマイノリティとしてのイタリア人の観点が堅持されている。
  大詰めは、人気歌手を迎えるためのディナー・パーティをめぐるシーンだ。近年日本のテレビでは、料理を見せ物にする番組がさかんである。それは、バブル経済が生んだ成金文化の最後の名残りである。この映画も料理シーンを見せるが、全然方向が異なる。
  この映画の料理シーンが感動的なのは、そこからローカルな文化を、それこそ生存をかけてつらぬこうとする気迫と根性が伝わってくるからであり、ともに食べるということのなかにひそむ真の共同性に観客を巻き込むからだ。
 『料理の鉄人』のような番組がくだらないのは、それらが、ともに食べるということの喜びを貧弱な形でしか描けないからだ。日本では、口うるさい選民的な料理文化ははびこっても、個的でありながら、同時に濃密な共同性を体現した料理文化は浸透しない。
  ピカピカの成金文化に染まっていた五〇年代のアメリカも、そのような料理文化とは無縁だったので、この映画の終わりは、ハッピーエンドではない。が、逆にそのことが、この映画の奥行きを深いものにしている。

(『シェフとギャルソン、リストランテの夜』 
週刊金曜日、1997年1月31日号、p.42)