帰郷のない時代へ

映画を見終わって気づくのは、この映画は、単にアウシュヴィッツの悲惨さや、そこからの「奇跡的な生還」を描いているのではないということだった。この映画は、それ以上に、生きるということの〈根〉や〈拠点〉の問題に観客をつれこむところで終わる。
原作は、ユダヤ系イタリア人作家、プリーモ・レーヴィの『休戦』(1963年)。作者自身の体験にもとづく有名な小説であるが、フランチェスコ・ロージが、原作の発表から30年以上もたってこの作品を映画化したとき、そこには、作者自身が言うべくして言わなかったことが前面に引き出された。
映画の終わりの方で、主人公プリーモは、無事、トリノの実家にもどり、暖かい部屋のテーブルで、香ばしそうなパンをちぎり、ミルクに浸しれ口に持っていく。しかし、その平穏さが、彼には、なじめない。それまで、自分は、一片のパンのために闘わなければならないような過酷な日々を送ってきた。この世界には、そのような生活がある。わたしは、こんなことをしていていいのだとうか、という疑問と居心地の悪さ。
作家としてのレーヴィ自身は、その疑問を、以後、小説を書くということによって答えようとした。しかし、彼は、1987年、自らの生を絶つことによって、最終的にこの問いに答えたように、わたしには思われる。
尋常な見方ではないかもしれないが、わたしは、この映画を見ながら、プーリモが、帰還した故郷でよりも、アウシュヴィッツからソ連領内を抜ける帰還の過程のなかでの方が、生き生きとし、発見と驚きの新鮮さのなかで生きていたように思う。そうだとすれば、一度、このような、過程にこそ生の緊張がある時間を経験してしまうと、もはや、定住したり、固定した場所に安住するということが不可能になるだろう。
アウシュヴィッツに捕らわれていたプリーモらは、ソ連軍によって解放される。だから、ソ連は彼らにとって、救い主である。が、それ以上に、この映画では、ロシアへの深い想いと愛のようなものが、随所に現われているようにみえる。それは、連邦国家ソ連への愛ではなくて、さまざまな民族と癖のある個々人のいるロシア社会への愛である。
 この映画には、同じアウシュヴィッツの収容者であったモルドというアクの強い人物が、プリーモの「師匠」といった役どころで登場する。しかし、この人物によってプリーモが変わったと考えるのは誤りだろう。彼の影響がなかったわけではないが、それ以上に、脱出の旅というものの特性が、この映画では強く描かれている。それは、人を流れのなかにゆだねたままにするのだ。
プリーモにとってもはやリアリティは、固定した場所のなかにではなく、流れゆく時間のなかにある。これは、固定した場を故郷とし、安住を価値とする通常の意味での生と縁を切るということだいうことだ。
そんなことを思わせる素晴らしいシーンがある。それは、帰郷の列車が出発しようとしている駅頭の出来事を映したシーンである。一時滞在のなかで知り合い、愛しあったロシアの女とユダヤ人の青年が泣きながら別れを惜しんでいる。が、そこへ、乗り込もうとした同じ仲間の一人の青年が、泣いている女に気づき、なぐさめる。列車は走り出す。みなが窓からこの青年に「早く乗れ」と叫ぶ。だが、彼は、突然、「おれは、この人と暮すよ」と叫び、女を抱き締める。走りはじめる列車。車窓で弾かれるバイオリンの音が画面にかぶさる。所詮はメロだが、この光景を見る主人公の目は、人生なんて、こう生きたいものだと語ったいるように見える。
ロージーは、この映画化を早くから計画していたが、実際には、ベルリンの壁の崩壊とボスニアの民族紛争によって、最後の決意を固めたという。それは、彼が、民族や郷土やホームという観念の終わりを見たからであり、それらを越える生き方の必要性を洞察したからである。
(週刊金曜日,1998年6月5日・221号,60p.)