演劇がラディカルであったころ

左翼を気取ることがファッションであった一九三〇年代中期のニューヨーク。が、その理念を感情の高揚とともに体験させてくれる場は、党や組合ではなくて、劇場であった。そして、マーク・ブリッツスタインの「ミュージカル」『クレイドル・ウィル・ロック』は、そうした劇場を最も熱くさせ活気づけた舞台であり、同時にまた、やがて明確になる「反共」と「赤狩り」への道の分岐点ともなった上演でもあった。
ティム・ロビンスは、この上演までの過程のドラマティックな事態を歴史の忘却からよびさました。テイムは、役者として有名だが、『ボブ・ロバーツ』や『デッドマン・ウォキング』のようないずれも権力批判的な含みを強く持つ、すぐれた作品を監督してもいる。
この映画のなかで、ブリッツスタイン(ハンク・アザリア)の夢想のなかにベルト・ブレヒトの姿がたびたび現れるが、当時のニューヨーク演劇には、スタニスラフスキー、メイエルホリド、ワフタンゴフといった革命以後のロシア演劇はもとより、世界の演劇の先端部分を意識した演劇活動が高まっていた。
ハリー・フラナガン(チェリー・ジョーンズ)は、外部の新しい動きを紹介・導入するとともに、アメリカにおける新しい演劇運動を組織することに情熱を燃やす知的で魅力的なアクティヴィストであった。彼女は、民主党の援助を戦略的に取り付け、「フェデラル・シアター・プロジェクト」(FTP)を立ち上げたが、短期間ながら、FTPのもとで制作された数百におよぶさまざまな様式の舞台は、アメリカ現代演劇史を塗り替えた。
革新的な舞台でフラナガンの目にとまらないものはなかった。映画には出て来ないが、『クレイドル・ウィル・ロック』も、ブリッツスタインが、ジョン・ハウスマン(ケアリー・エルウィズ)のアパートでピアノを弾き、独演した未完成のバージョンをフラナガンが聴き、すぐさま、ハウスマンのプロデュース、ハウスマンの仲間のオーソン・ウェルズの演出でFTPが舞台にすることを決めたのだった(フラナガンの回想録『アレーナ』)。
しかし、その具体化には、一九三七年という時代の重圧と矛盾がのしかかった。「左翼がファッション」への反動が始ろうとしていた。ティム・ロビンスは、一方で、ナチズムの台頭、共和党の巻き返しといったマクロな政治情勢の変化をスケッチすると同時に、FTPの事務所の窓口で働く「普通の」女性(ジョーン・キューザック)やFTPのもとで仕事をしていた(元は共産党員だった)芸人(ビル・マレー)らの個人的な心情の屈折や偏見のなかで、いかにして「反共」精神が生まれ、そして、FTPを内部から解体させていったかをも描くことを忘れない。
この点は、ディエゴ・リヴェラ(ルーベン・ブラデス)のようなラディカルな画家の作品に惚れ込みながら、結局は彼を助成できなかったネルソン・ロックフェラー(ジョン・キューザック)、アメリカの財閥とムッソリーニとの仲介役をしたマルゲリータ・サルファッティ(スザン・サランドン)ら、権力側の人間たちの意識の微妙な屈折を描く場合においても同様である。
FTPへの圧力が加わって、『クレイドル・ウィル・ロック』の上演が出来なくなったとき、急遽、劇場を替え、セットなしの殺風景な空間でハプニング的な上演が始る感動的なシーンが、この映画の大詰めである。この「何もない空間」での上演は、予期しない出来事だったのだが、すぐさまオーソン・ウェルズは、この「何もない空間」スタイルを意識的に採用して『ジュリアス・シーザー』を演出し、高い評価を受け、このスタイルが、ブロードウェイの新スタイルになった。
ウェルズにとって『クレイドル・ウィル・ロック』は、彼の「マーキュリー・シアター」の事実上の旗揚げであり、そして、それはまた、FTPの終焉を予示する舞台でもあった。

週刊金曜日、2000年9月29日(333)号、42ページ