関連サイト

Idiosyncrasy(個人性・特異体質・癖)


2006-10-19
メール・セラピー

ときどき(気圧や気候の変化のパターンがある)猛烈にメールをよこすひとがいる。なるべく応答するようにしているが、1通がかなり長いので、「メールは短文に向いたメディアです」と書いたら、ブツ切れの、バロウズ的カットアップ風のメールが連続的に送られて来た。こちらが返事を書くあいだに次のが来るので、やりとりがクロスしてしまう。わたしは、途中でやめてしまったが、読みなおしてみて、その断片が、必ずしもわたしに宛てられたものではない、つまりモノローグ(内なる無数の「自我」というより、ミクロ化したモナド的単位)のようなものであることに気づいた。
日記にもそういう機能があるが、わたしはメールではそういうことをしなかった。が、ケータイ・メールの場合、自分が自分に送るということは、面白い効果を持つかもしれない。「セラピー」と言ってしまえば、月並みだが、ケータイの熱心なユーザーはすでに日常的にそういうことをしているのかもしれない。


2006-09-23
電話インタヴュー

メールを開いたら、オーストラリアのルーファスから電話インタヴューの質問事項を簡単に羅列しているのが見つかった。が、読んでみると、先日彼に送ったMIT Pressのわたしのインタヴューと相当のダブりがある。それと、ミニFMというものが、最初から「ナローキャスティング」だという前提で質問している。そんなことは、もう何度も書いているし、いろいろな形で論評している。 「ナローキャスティング」なんて、いまでは、どの放送局でも取り入れている。あのグローバル・メディアのCNNですらそうだ。それと、いまでは、「ナローキャスティング」は、「ブロードキャスティング」の対立項ではない。そもそも、「ブロード(広く)キャスティング(放射すること)」というものがなくなり、ラジオもテレビも、ナローキャスティングを取り込んだ形になっている。だから、わたしは、普通の放送をこえた「ポリモーファス・メディア」を提唱してきたのだ。 こりゃ、早めにメールで説明しておかなければならないと思い、キーボードをたたきはじめたら、電話がなった。またしても、うかつなことに、電話インタヴューの時間は5時で、いまがその時間になっていることを忘れていたのだった。結局、電話で30分も話す。こちらのトロい英語のせいで時間がかかったのだが、ルーファスはあまり気にしていない模様。 どうせ長引くと思い、最初、わたしは、Skypeでの会話をすすめたが、彼は、Skypeをやっていないと言った。ということは、インターネットにもあまり深入りしていない可能性がある。とすると、ミニFMが「ナローキャスティング」だと思っても仕方がないかもしれない。話のなかで、ハバマスの「公共論」などが出てきて、ビビった。というのも、わたしは、ハバマスのメディア論も「公共論」も全然ダメだと思っている人間なので、ハバマスなどを肯定的なひきあいに出されたりすると、異なる前提の説明に苦労するからだ。 要するに、もう「パブリック」なものの再活性化とか復活とかいう発想はダメということだ。パブリック/プライベイトのセット概念がもう終わっている。「プライベート」の腹のなかから出てきたオープン・ソース・ムーブメントが「パブリック」でもあるような時代じゃないか。プライベイト・カンパニーのマイクロソフトがIEをフリーで「パブリック」に提供しなければそのプライベート性(商売)が成り立たない時代じゃないか。


2006-09-06
性別の偽装問題

六本木で植草信和さんに会ってから、秋葉原のラジオデパートのシオヤ無線に行ったら、ご主人が「男子ご誕生ですね」と言ったので、瞬間何のことかわからなかった。すぐにその意味を理解したが、彼からそんな話題が出るとは思わなかったのだ。
夜、テレビで愛育病院の院長が、秋篠宮が(生まれてくる子の)性別を知りたくないと言われたので、自分も知らないようにしたし、担当医にも調べないように命令したといったことを言っていた。おいおい、患者の命をあつかう医師が、いまの時代に、胎児の性別を見てみぬふりをするなどということができるのだろうか? できるとしても、そんなことをしていいのだろうか? むろん、院長の発言は、政治的なタテマエ発言だが、それをテレビも新聞もとがった形では問題にしない。一方で、誰が皇位を継承するのか、女系天皇は可か不可かといった議論をあおっており、秋篠宮の子供の性別がきわめて政治的な問題になっていたのだから、医学的に性別がわかった時点で公開するのが、「国民」の知る権利に対する国家の義務ではないのか? 国家=政府がそれをしないのなら、マスコミが代わってするのが、その「使命」(ミッション)というものではないのか?
こういう姿を見ると、日本のマスコミはあいかわらず御用メディアであるという、淋しい印象をぬぐえない。


2006-09-02
「コピーライトはもう古い」

・・・とウェブサイトに表記して久しいが、ネットの方向は、確実にコピーライトなどというものを無意味にする方向へ向っている。YouTubeやVeohのような投稿サイトを見ても、ネットがコピーライトなどでは動いていないことがよくわかる。
一昨日、ニューヨーク在住というDJからメールが来て、わたしの「New York Paranoia」サイトにある写真をCDのジャケットに使いたいがいいか、よければ印刷クォリティの画像がほしい――という。CDは、80年代初頭のニューヨーク・ヒップホップをミックスしたもので、写真は、当時ニューヨークで進みつつあったジェントリフィケーションを示す地上げされた建設用地をわたしが撮ったもの。せっかく使ってもらうのなら、希望通りにしたいと思い、フィルムから2400dpiにスキャンしなおして送る。
サイトでは「コピーライト・フリー」(Anti-copyright)と明記しているので、この人のように許可を求めてくる人は少ない。使っても、その成果物(こういう表現があるのを最近まで知らなかった)を送ってくる人はごくまれだから、わたしの写真がどのくらい使われているかは把握していないが、公開している以上、使ってくれる人がいるということを知ること(あるいはそう妄想すること)がウェブを続ける原動力になる。 NHKの受信料の納入を法律で義務づける動きがあるらしいが、受信を物の売買と同レベルで考えているところが全くもって時代錯誤だ。情報は交換の論理では動いていない。
その昔、「左翼」の集会で情報資本主義との関連でこのような話をしたら、会場にいた菅孝行が、「あんたどうやって食ってるの?!」と怒気をはらんだ野次が飛ばした。むろん、わたしは交換経済を否定するものではない。わたしが否定しようがすまいが、交換経済はちゃんと存在するし、今後も存在しつづけるだろう。情報経済が交換経済にとってかわるとは言っていない。が、問題は、それと並行しながら、別のロジックにしたがうシステムが増殖しつつあるということを理解しなければ、いまの社会も経済も文化もわからないだろうということなのだ。
わたしは、ボランティアがいいというようなことを言っているのではない。が、「ボランティア」的要素は今後ますます生活のなかに広がっていかざるをえないだろうし、他方、働かなくても食っていける(盛大に食うことはできないにしても)要素も増えていくはずだ。が、他面、「食う」ことはできても、「生きる」意味が見出せないという傾向も高まるだろう。「食える」からといってハッピーであるとはかぎらない傾向は高まる。 ところで、この文章を書いているさなかにコロンビアの人から、原住民のためにラジオ局を開きたいのでわたしの「anarchy」サイトを参考にしながら送信機を作ろうとしているが、「Does the variable capacitance diode, (AKA Mr dificult) have any cousin, friend or comrade that can work instead of him?」というメールが来た。
この表現、ユニークではないか? 言いたいことは、「バリキャップ・ダイオード」の代品はないかということなのだが、「彼に代わって働く従兄弟か友達か同志はいないか?」というのだから。こいつは、送らにゃなるめぇ。このバリキャップ・ダイオード、秋葉原では1本10円たらずだが、国によっては入手がむずかしい。


2006-07- 27
鈴木みどりさんのこと

今日は試写に行くのをやめて書き残したシネマノートを書こうと思っていたところへ、ニューヨークのディーディ・ハレックからメール。それは、鈴木みどりさんが23日に乳ガンで亡くなったことを知らせるWACC(The World Association for Christian Communication)の報道のコピーだった。え、鈴木みどりが死んじゃったの!
この数日、新聞を読まなかった。気をつけていたニュースは、イスラエルのレバノン攻撃のみ。これは、「世界同時多発戦争」の本格的なはじまりだ。
鈴木みどりを知ったのは、1980年代の前半だった。わたしが自由ラジオの運動をやっているのを知って、連絡してきたのだった。彼女は、FCT (forum for children's televison)という研究グループをやっており、そこで自由ラジオをやれるのではないかというのだった。何度か会って自由ラジオの話やパブリックアクセスの現状などの話をしたが、FCTとして自由ラジオを開局するまでにはならなかった。彼女は、ヴァイタリティのある人だったが、そのエネルギーと関心は、ラジオ局を開くよりも、会議や研究会を組織する方にあったようだ。
よく電話をしてきて、「ねえ、・・・してくれない」という口癖を聞いた。最初、そのぶきらぼうで「男」っぽい態度が鼻についたときもあったが、そのうち、彼女の日本語は「英語」なんだと思いはじめた。彼女は、スタンフォード大学のコミュニケーション学部で修士号を取っていた。英語は達者で、ジャパンタイムズで仕事もしていたこともあったと聞いた。
あるとき、ジェリー・マンダーの『テレビを排除するための4つの議論』の話になり、彼女は、「ねえ、翻訳したいんだけど、出版社を紹介してくれない」と言った。わたしは若干マンダーのメディア観に批判的ではあったのだが、メディア論としては翻訳されるべき一冊だと思い、当時時事通信社の編集者でわたしに連載を書かせていた平塚信夫さんを紹介した。それは、1985年に『テレビ・危険なメディア』というタイトルで刊行された。
ゲラができあがったころ、彼女から電話があり、「ねえ、帯を書いてくれない」という例のディスクールを聞いた。苦笑しながら引き受けたわたしは、こんな帯を書いた。「テレビは、現実を映すメディアではない。それは、『現実』をつくり、私たちをそこに巻き込む巨大な装置である。この『現実』には出口があるのか? 本書はこの問いに重要なヒントをあたえる」。
エネルギッシュなみどりさんは、その後、ジェリー・マンダーを呼び、東京でシンポジウムを開いた。このときも、「ねえ、来てくれない」という電話があり、(まだこのころは「会議」ぎらいではなかったので)パネルの一人として発表をし、マンダーと議論をした。面白い会議だった。
90年代になって、彼女は、「ねえ、パブリック・アクセスで面白い人紹介してくれない」という電話をしてきた。わたしは、迷わず、前から彼女に話をしているペーパー・タイガー・テレビジョンの創立者のディーディ・ハレックを紹介することにした。みどりさんは、キリスト教の団体といっしょにディディーを呼び、会議を開く計画を立てた。それは、実現し、面白い会議になった。ディディにとっても、初訪問の日本を知るいいチャンスになった。
1992年にみどりさんが出した最初の自著『テレビ・誰のためのメディアか』(学藝書林)以後、彼女は、京都の立命館大学で教えるようになった。このころから、彼女に会う機会がなくなった。わたしも、「兼業」にまきこまれ、忙しく、また、彼女自身、日本のフェミニスト系メディア・アクティヴストとして知られるようになり、世界の国際会議を飛び歩くようになっていた。ときどき近況を知らせるハガキをもらったり、新著を送ってくれたりした。そこには、かつてのメディア批判が「メディア・リテラシー」という比較的新興のセオリーのなかに居場所を見出しているようだった。
メディア・リテラシーに関しては、ディーディを呼んだ会議のときも議論をしたことがあった。わたしは、その「リテラシー」という名称が、文字とのつながりを引きずっているかぎりで、メディア・リテラシーは、映像や音を余すところなく論じることはできないだろうと言った。「そんなことないわよ」という声は聞いたが、ちゃんとした反論を聞く機会はとうとうなかった。
数年まえ、またディディ・ハレックを呼んで何かやりたいとうメールをもらった。が、昨年、大阪のremoが主催した集まりでディディが呼ばれたが、みどりさんの姿はなかった。みどりさんの弟子筋にあたるガビ(ガブリエル・ハード)さんから、わたしに「よろしく」という伝言をもらったが、どうして来ないのかなと思った。いまにして思うと、彼女はすでに体が思わしくなかったのかもしれない。
わたしは、人の死を悲しいとは思わない。習慣上涙が出たりするとしても、喪失という感じはしない。みどりさんは、彼女の多数の本、ネット上の文章、彼女の知り合いや教え子たちが引用したり、言及したりしている文章のなかで生きている。文字や形にならなくても、わたしにとっては、わたしの記憶のなかで生きている。そこには悲しみが介入する余地はない。でも、一応サヨナラね。


2006-07-21
戦争も平和も天皇だのみの日本

昨日の夕刊で、靖国神社A級戦犯合祀問題について昭和天皇が否定的な意見を述べていたというニュースを読んだ。当時宮内庁長官だった富田朝彦のメモに残されていたという。それでふと思い出したのは、先日見たソクーロフの『太陽』と寺崎英成の『昭和天皇独白録』だった。
『太陽』にはあまり政治的発言の描写はないが、裕仁が「平和主義者」であったという解釈を採用している気配が強い。今回のニュースと『太陽』はフィットするトーンを持っているので、両方合わせてキャンペーンをやったら面白いのではないかとも思う。
いまの時期に富田メモが明るみに出るのは、むろん、魂胆があってのことだ。どう見ても安倍総理の実現が優勢になってきたいま、牽制をくわえることもあろう。
しかし、このメモに対する小泉のコメントが興味深かった。彼は、メモから読み取れる裕仁の見解を、それは「あの人の――すぐに『あの方』と言いなおしたが」思いにすぎないと切って捨てた。そうか、小泉にとっては、天皇も「あの人」なんだと、時代の変化を思った。ひとむかしまえなら、この一言で、「民族右翼」が小泉に恫喝を加えただろう。
しかし、小泉が思わず言った「あの人」発言は、天皇制国家として憲法で明記している日本も、グローバルな資本主義国家であり、天皇制の論理では動いてはいないことを示唆する。ということは、世界が戦争を必要とすれば、そのロジックで動くということであり、天皇の、まして前代の天皇の「発言」ぐらいで国家は左右されないのである。
『昭和天皇独白録』を読むと、天皇自身が願っていたことと国家の実際の路線とのずれがかなりあることがよくわかる。この記録では、天皇が軍部の路線にかなり抵抗したように受け取れる個所があるが、天皇が何か事を進めるための水戸黄門的な「印籠」の役割をしていたこと、そしてそのことを天皇自身承知していたことがよくわかる。
天皇という存在は、もともと個人的なものではないわけだから、彼が「平和主義者」であったかどうかは、問題にならない。これは、公人一般についても言えることで、小泉がしばしば用いるレトリックの「心の問題だから」の欺瞞もここにある。彼が公人でなければ、彼の行動は「心の問題」で済むかもしれない。しかし、一個人の「心の問題」でも、たとえば、その彼ないしは彼女が、「心の問題」として行なった行為の結果、人が死んだり、怪我をしたり、あるいは不快な気持ちをいだく場合には、「心の問題」では済まなくなる。が、無人島でロビンソン・クルーソー的な生活でもしているのでないかぎり、他人に影響をあたえない「心」などないから、小泉の言う「心の問題」というのは、公人でなくても、欺瞞なのである。そんなことは、50年もまえの哲学でも論証していたことで、一個の「心」に閉ざしておけるような問題など、ありはしないのである。
むろん、小泉は、それを承知で言っている。彼の言う「心」は、彼自身の個人的な「心」ではなくて、彼の賛同者や子分たちの「心」であり、「野心」である。
日本が「天皇教」の国で、何か大きな動きを作るには天皇を利用しなければやっていけないのなら、戦争を天皇の名のもとにやるよりは、平和を天皇の名のもとに維持する方がましだろう。
しかし、いま、1億なり数千万なりの個人を国家の名のもとに統合し、一つの方向に向かって行動させるようなことが有効性を失っている。戦争も平和も、「ゲリラ」的に存在する。そういう戦争を「テロ」と呼ぶならば、「ゲリラ」的なつかのまの平和の新しい呼び名があっても悪くない。いまその名称が浮かばないが、それが天皇とは全然関係がないことはたしかである。


2006- 07-20
「自由ラジオ」はそんなにダメだったか?

気圧のせいか、外出する気力を失い、コンピュータのまえに漫然と腰を下ろしているところへ、井崎正敏さんの新著『倫理としてのメディア』(NTT出版)がとどく。井崎さんは、その昔、筑摩書房の編集者として、『情報資本主義批判』と『スペースを生きる思想』という本を作ってくれた。
遠い昔のこととはいえ、いっときある種の状況や思想を共有したと思っている(幻想かもしれないが)こともあって、パブリック・アクセスやコミュニティ・メディア、さらには自由ラジオへの言及(それはほとんど傍注的なものだったのだが)が気になり、お礼のメールを書いているうちに、次第に言動が批判調になる。
「管理された電波網にゲリラ的に参入した『自由ラジオ』はそのこと自体を自己目的化するか、サヨク的な議論だけが交わされる場におおむね終始し、稀有な例外を除いて一般に開かれていなかった」と井崎氏は書くが、これは、わたしが自由ラジオの局に案内したこともある井崎氏とは思えぬ、全く事実をねじまげた記述だ。というより、無知もはなはだしい。
そもそも、日本に、「管理された電波網にゲリラ的に参入した『自由ラジオ』」なんてあっただろうか? 子供じみた電波ジャックは何度かあった。が、それは「自由ラジオ」とは何の関係もない。
「そのこと自体を自己目的化する」とは一体どういうことか? この人は、いまだにメディアが単なる手段だと思っているのだろうか?
「サヨク的な議論だけが交わされる場」とは? 「サヨク」であれ「左翼」であれ、「左慾」(深沢七郎の命名)であれ、彼らは、一度も「自由ラジオ」に本気で関心を示したためしはなく、「サヨク的な議論だけ」を交わすような局は皆無だった。
井崎氏は、どの程度「自由ラジオ」を知っているのか? 日本の「自由ラジオ」は、それ自体で存在したわけではなく、海外のそれともつながっていた。そもそも、こういう「ポストマスメディアティク」(とガタリが呼んだ)なメディアに関して、「一般に開かれて」いるとかいないとかいうのはどういうことか? 地上波のテレビのヴァラエティショウででもとりあげれられば「一般的」なのか? が、実はそういう時期もあったのだ。1982、3年ごろには、テレビや週刊誌がひんぱんに自由ラジオのことをとりあげた。わたしも「一般の」テレビやラジオで自由ラジオを解説したこともあった。文珍の出るイヴェントの「前座」で自由ラジオの話をしたこともあった。それは、向こうが希望したからやったまでで、それが自由ラジオについての通念を撒き散らし、自由ラジオのアイデアを風化させるのを承知していたので、わたしは戦略をもってマスコミには対応した。井崎氏がわたしに本を依頼してきたころは、すでにそういう「ミニFMブーム」も一段落しはじめたころだったし、学会志向の強かった伊崎氏は、そういうユースカルチャーの状況にうとかったのだろう。しかし、本を書くのならちゃんと調べてはどうか? わたしの本でもたびたび触れている。あまりに杜撰ではないか?
日本の自由ラジオ/ミニFMは、その後のメディアに影響をあたえた。影響ということを、ずっとあとの制度化した結果でしか判断できない学者バカにはわからないかもしれない。一度、インターネットの検索サイト(ただし日本語版ではなく)で "mini fm" とか "mini-fm" とか入れてみてはどうか? ちなみに「ミニFM]という言葉は、ミニFMが「一般的」なブームになったとき、朝日新聞の記者だった岩崎進氏がはやらせた言葉である。それが、いま世界中で使われている。
いや、これ以上書くと批判から非難にエスカレートしそうになるのでやめる。井崎氏にしてこの程度の認識だから、わたしが日本で自由ラジオについて語ったり、デモンストレイトする気を失ってしまったのをご理解いただきたい。


2006- 03-31
「侍」がどうした?!

知り合いのDJが置いていった大量のレコードが場所をふさぎはじめたので、片付けようと、そのダンボールの箱をかかえたら、腰のなかで何かが切れた。以後、腰痛に悩まされ、身動きの不自由な生活をしている。
テレビのニュースで石原慎太郎が、民主党代表を辞任した前原誠司のことを「侍」だと誉めていた。最近は、「侍」を誉め言葉で使うのが流行だ。が、相手を「さすが侍だ」みたいに誉めるのは、自分が侍ではないからだろう。自分が侍だったら、相手を侍だとすることは、自分と同じ仲間だと言うのと同じで、相手を誉めたことにはならない。相手を侍だと言う以上、侍という概念が自分や他人より一段高いところに位置しているというのでなければなるまい。
これで思い出したが、 佐木隆三の『深川通り魔殺人事件』にもとづく同名のテレビ映画で、大地康雄が演じる主人公が、警察の取り調べの際に、「俺は武士だ、さむれぇ(侍)だ。人を殺すことは何とも思わねぇ」とご意見無用の態度を取るシーンがある。この主人公は、「百姓」の出身なのだが、いつのまにか自分が「武士/侍」だと妄想するようになる。彼にとって、侍は、人間の理想的モデルであるわけだが、それは、彼が侍ではなかったということによってそうなるのである。
侍は、帯刀しているわけだから、非武装の人間にとっては危険きわまりない。が、同時に、それは、あこがれにもなる。だが、侍自身は自分らの階級をどう思っていただろう? 帯刀していれば、同じ侍から攻撃をしかけられる可能性を持つ。時代劇が描く侍の仏頂面は、そういう緊張感とやせがまんの産物かもしれない。時代にもよるが、武士が武士であることに満足していた時代はあまり長くはなかったのではないか?
ところで、大地康雄のせりふ流に言うと、もし前原が侍だとすると、彼は、「人を殺しても何とも思わない」人間なのだろうか? そして、石原慎太郎は、「人を殺しても何とも思わない」ような階級をよしとする人間なのだろうか?


2006-03-30
英語教育と攻撃性

英語教育を小学校から必修にするという。でもねぇ、日本って、英語に関しては「早期教育」をやっている国じゃない? 街の看板にもテレビのCMにも英語が「氾濫」している。が、そのわりに英語のうまい人はすくないのはなぜだろう? かく言うわたしも、英語とのつきあいは何十年にもなるのに、その実力はなさけないの一語につきる。
一番の問題は、日本語と英語との基本構造の違いだろう。日本語というのは、「て」「に」「を」「は」の関連構造だけつかめば、その間にどんな言葉と突っ込んでも「日本語」にしてしまうような、したたかで、かつ、閉鎖的な言語だ。「ミーはメールをパソコンでチェックする」は立派な(でもないか)日本語だ。おまけに、「パソコン」のように、意味とは無関係に語を短縮して単なる指標にすることができる。だから、単語を並べて、「て」「に」「を」「は」のたぐいを付ければ、日本語として通用するわけだ。「イッツ・ストゥーピッドね」でも日本語なのだ。
しかし、英語がうまくならない最大の原因は、日本で生まれ、日本で育つなかでつちかわれる文化の違いである。日本には、英語をささえるある種「アグレッシブ」で明示的な文化が弱い。
英語の場合、文法や単語以前に、ある種の勢いというか身ぶり性というか、何か言語外的な要素が重要な気がする。単語と単語との関係を単語外のもので明示するのだ。日本語なら、「酒」と無表情で言っても通じるが、英語では、バーのカウンターならいざしらず、最低限アクセントで酒をどうするのかを指示しなければならない。
日本語をしゃべるとき、いちいち相手の目を見る必要はないし、むしろ、日本語は目を見ないでしゃべる言語だが、英語は違う。じっと見据えなくても、必ずどこかで目と目とのあいだで信号を送りあい、そうすることによって、誰が何をを暗黙に指示するわけだ。
小学校で必修になる英語教育では、ちゃんと相手の目を見てしゃべるなんてことを最初に教えるのだろうか? 相手の目を意識すれば、日本語的には相当アグレッシブになるが、アグレッシブであることが普通であるのが英語なのだと考えた方がいい。
したがって、英語教育とは、アグレッシブを推奨する教育である。英語がうまくなるには、英語学習の時間の外でもアグレッシブになる必要がある。大阪人の英語が通じやすいのは、これと関係があるような気がする。逆に言えば、まずアグレッシブで「矢沢栄吉」風の大げさなゼスチャーをマスターすれば、英語はあとからついてくるということだ。
日本の政治家や皇室の人が海外で英語スピーチする映像を目にして思うが、英語圏の聴衆には彼らが言っていることの半分以下しか通じないのではないか? というのも、その発音や身ぶりがえらく「おとなしい」からだ。その点、ふと、かつて見たニュース映像を思い出したが、国際連盟脱退を宣言する松岡洋右の演説とか、ジャワ島の英軍に無条件降伏を迫る山下奉文の英語は、確実に相手に伝わったと思う。それは、彼らの英語がうまかったからというよりも、まず第一にアグレッシブであったからだ。
だから、今後、英語教育が成功するならば、日本人は相当アグレッシブになるだろう。ならざるをえない。それは、けっこう味気ない結果を生むかもしれない。


2006-03-14
遠隔感染

「遠隔感染」という用語があるときき、ネットで調べたが、日本語では大した記事は出てこなかった。そこで、英語版の Yahooで "remote infection" と入れたら、専門的な記事がかなり出てきた。日本では、東南アジアから鳥ウイルスが日本に入ってきて、伝染したりするのが「遠隔感染」だと思っている人がいるようだが、正確には、口腔に潜むウイルスがなんらかのかげんで腎臓障害をおこさせるとか、帯状疱疹のように、子供のときにかかった水疱瘡のウイルスが、神経のなかにひそんでいて、何十年もたってから急に作動し、障害を起こすというように、「遠隔」といっても、体内での空間と時間の「遠隔」を言うらしい。
ところで、コンピュータの世界では、"remote infection" というのは、どこかのサーバーが原因で、ネットにつながっているマシーンがウイルスにやられることを言う。が、この場合も、注意しなければならないのは、ネットでつながっているコンピュータというのは、同じ身体の部分と同じであって、そのなかでの空間的な距離は、決して地理学的な距離ではないということだ。むしろ、その距離は、コンピュータやネットの能力に依存するから、時間的な距離だと考えた方がいい。
帯状疱疹がいい例だが、場所は移動しはするが、同じ体内で長い時間のスパンで作動する(ある意味での時限爆弾)とき、問題は、何がその作動をうながすかだ。帯状疱疹の場合、疲れやストレスなどで免疫機能が低下するとそうなるとかいうが、聞くところによると、1日5千人に1人ぐらいの割合で帯状疱疹にかかるのだそうだ。その場合、わたしが関心を持つのは、何がその5千人をむすびつけているのかだ。ただの偶然か? 細胞生物学 (Molecular Cell Biology) は、このへんの問いに答えてくれるだろうか?
かつてわたしは、電話やネットで風邪をうつせるかという議論をしたことがある。病気にかぎらず、感情とか思考とかさまざまな人間の活動があたかもうちあわせたように同期することがある。それは、《レゾナンス》という概念で説明されることもあるが、すっきりしない。じゃあ、なぜ「共鳴」を起こすのか?
通常、コミュニケーションや感染は、「伝播」(ある地点から他の地点に音波や電波やウイルスが伝わること)ということで説明される。しかし、同じウイルスを浴びても病気になる場合とそうでない場合とがあるし、各症状も同じではない。また、同じ文章を紙に書いて人に渡しても、わかる人とそうでない人、わかるときとそうでないときがあり、わかっても読む人で意味がそれぞれ違うように、感染やコミュニケーションには、ある種「以心伝心」とか「暗黙知」とかのファクターがあり、それなしには、なにも「伝わらない」。
これは、ネグリが提起する「特異性」と「共性」(commonality)との関係の問題でもある。
そういえば、その昔、「エイズと〈伝染メディア〉の終焉」(『バベルの混乱』、晶文社)というたいそれた文章を書いたっけ。


2006-02-25
天皇制のゆくえ

ラトビアのリガのアート・アカデミーのワークショップのためにビデオによる30分ほどのプレゼンをつくり、アップロードしたあと、テレビをつけたら、「朝まで生テレビ 激論 "天皇" "在り方" "未来" にいまこそ迫る」というのをやっていたので、少し見る。
大分昔、同じ枠で天皇制を議論していて、そのときは天皇制に関して賛否両論が出ていたが、今回は、出席者の全員が天皇制賛成なのには驚いた。賛成の人しか出さなかったのかもしれないが、郵政民営化などではあれほど対照的な意見が出たのに、天皇制に関しては世の中が統一されているかのようだ。
天皇制というのは、天皇の存在よりも、まず、あらゆる意味での変化には極力抵抗するという文化を象徴する制度である。だから、世の中が揺れ動くと、必ず天皇制が引き出される。しかし、この天皇制は、磐石(ばんじゃく)のようにつねにすでにそこにあったのではなく、それ自体が変容をとげながら、そういう「無変化」の装置として機能してきた。
結婚と結婚式のスタイルを率先して変え、「手本」を見せるといったことも天皇制の自己変容の一つである。しかし、妾制度を容認した結婚→一夫一婦制→核家族と来て、裕仁の見合い結婚から明仁(現天皇)の「恋愛」結婚へと進み、劇場型の結婚式を定着させ、さて、「キャリアウーマン」の妻を積極的に出しかけたところで「自己変容」にかげりが出た。
いまの時代、結婚や結婚式では斬新なことを出せないから、天皇制は、今後、別のことで「自己変容」しなければならない。それはなんだろう?
ところで、天皇家の存続という点に関しては、別に危機でもなんでもない。女帝論争もあったが、世継ぎなどいくらでもいる。もし、家の存続だけが問題なら、今後、女帝だけでなく、「養子」制度や先進的な人工授精や遺伝子操作の技術も動員されるだろう。家系を守るだけならば、方法はいくらでもある。
問題は、そんなことより、レジティマシー(国民を納得させる装置)としての天皇制の機能だ。つまり、「無変化」を無意識に説得する装置としてどこまで有効かということだ。何かがちょっと変わったかと思うと、すぐにもとにもどってしまい、本当の変化は逆説や外圧でしか起こらないというパターンは、今後ながく続くとは思えない状況だ。


2005-12-27
葬式の無意味

親戚で葬儀があり、式に出ることになった。むろん、いやいやだ。普通わたしは葬式には行かない。親の墓もまいったことがない。不幸にして、わたしが会った坊主がどいつもこいつも、いんちきに見えてならなかったからだ。ボイスアートとして聴いても、読経で感動したことがない。焼香というやつの凡庸な形式主義はがまんがならない。こんなことをすることが故人と何の関係があるのだろう?
故人や遺族を冒涜することになるかもしれないが、今回の葬儀では(それは、たまたま今回の葬儀社の演出なのだろうが)、遺体に木の杖、草鞋、藁の帽子などを持たせるというシーンがあった。
死は、人間的な身体からそれ以外の物に変形すること以外の何ものでもないとわたしは思うから、冥土や天国への旅という発想はお笑いぐさだが、それを信仰的遊びとして受け入れたとしても、わたしなら、木製の杖や草鞋での旅はごめんこうむりたい。どうせ旅する道具を持っていくというのなら、エンジンのついたスケボーかな、いや、とにかく草鞋なんかはごめんだ。
いずれにせよ、葬儀というのは、故人とは無関係な、遺族の自己満足、いや、寺や葬儀社や火葬場の商売であって、それを世間常識なるものとして無反省に踏襲しているにすぎない。


2005-11-11
組織と言語の問題

大学の例の企画(下段URL参照)で、平田康彦率いる「クルゼイロ・ド・スウル」の面々が来て、サンバの実演とワークショップをやってくれた。この企画の方向をばっちりおさえた実にエンジョイアブルな3時間となったが、大学側からクレームが来た。7人のメンバーが大きな太鼓をたたき、独特の衣装で着飾った3人の女性サンバ・ダンサーが、最期の余興でキャンパスの戸外に繰り出すと、学部長が飛んできて、「近所から苦情の電話がかかっている」ので、やめてほしと言う。え!? そんなに長く演ってないのにと思い、「どの家からですか?」と訊くと、自分が電話をとったのではないというので、「誰が言ったのですか?」と訊くと、学生課長がそう言っているという。そこで、すこし離れたところに険しい顔をして立っている課長のところへ突き進んで同じ質問をする。すると、それは、近所からの電話ではなくて、「ある先生」からのクレームだという。大分話がちがうので、コミュニケーション学科の人間としては、コミュニケーションの回路を整理する必要があると思い、「じゃあ、その『先生』って誰です?」と訊く。すると、課長は、答えにつまったが、こういうときだけ怖い顔になるらしいわたしの剣幕におびえたかのように、2人の「先生」の名前を教えてくれた。
学部長も学生課長も「立場上」わたしに「中止命令」を告げたにすぎないので、話は、聞くだけ聞いておくといった形でものわかれになった。実際のところ、こんな程度の命令にひるんでいたら、面白いことは何もできない。それにしても、大学という「組織」は20年たっても変わらないのですね。ちなみに、パレードの方は、最初から外で演る予定はなく、外のは余興だったので、その間に、「お客」を引き連れて、本来の予定の場所(地下の「スタジオ」)に移動した。こういう場合、昔は、「お客」(学生)をまきこんで「大学当局」ともみあいになることがあったが、いまはそういうことは起きない。
さて、それから問題の「先生」に電話して事情を訊いてみたが、その人も、学生課に電話したのは、自分がどうだということではなくて、あんな音を出していると、近所からクレームが来るのではないかと心配したからだという。ようするに、コミュニケーションの回路を追っていったが、とうとう具体的な「主体」にはぶち当たらず、「近所」とかのもやもやしたものによって肩透かしを食ってしまった。
でも、あとで考えたのだが、これって、実は、自分が嫌だという場合のきわめて日本的な表現方法かもしれない。よく、自分が何かしたいときに、まわりの人にまず訊くというパターンがある。それと同じなのかもしれない。自分を直接出さずに、「世間」を迂回して出すというやつだ。それもコミュニケーション文化なのだから、いちがいに否定はできないのだが、なんかすっきりしないよな。


2002-2005
気づいたら、このページが「シネマノート日記」(現在「粉川哲夫の雑日記」)に移っていた。


2002-11-27
テロリズムを内包した国家としてのアメリカ

最近さっぱりアメリカのことを書かないねと言われる。たしかにそうだ。「アメリカとは一線を画する」ニューヨークについてもあまり書かない。そのかわり、おりにふれて、ネットラジオのほうで、アメリカからの直接の声を流してはいる。
ひとつには、アメリカがつまらなくなったからであり、ひどくなったからである。しかし、ではそれを書けばよいではないかと言われるかもしれないが、そのひどさが、ちょうど、わたしがアメリカへの関心を失い、憎悪さえしていた1960年代と同じ程度にひどくなり、とてもそのためにエネルギーをついやす気が起きなくなっているからである。
それに、こうした動向は、すでに1980年代に始まっていたことであって、それが止められなかったのはなぜかということには関心があるが、この動向自体は驚きではない。すでにわたしは、『図書新聞』の1986年8月16日号で、レーガン政権によるリビア攻撃に関して、「テロリズムは、遅くとも一九七三年の第四次中東戦争以来、『国家テロリズム』への道を邁進して来た。テロリズムは、むしろアメリカにとって好都合な外交手段になりはじめた。」と書いている。
しかし、批評活動というのは、同じことでも飽きずにくり返し語り、暴露し、分析し、世に知らしめる実践なのだから、わたしは、いま批評家を失格しているのにちがいない。その点で、最近読んだ『グラウンド・ゼロからの出発』(光文社)のダグラス・ラミスは偉大である。彼が、大学と東京に見切りをつけ、沖縄に移住してしまったのも敬服にあたいする。


2001-11-01
10分の1だけサイボーグになる記

眼の手術をした話をそのプロセスを記録した映像とともに報告しようと思った。が、それから10カ月近くたつのに一向に記録を載せないのは、理由がある。この話を知人にしたら、わたしよりもっと深刻な手術をした彼が、「そういうのは不謹慎だし、病人や被治療者の気持ちを逆なでする」という注意を受けた。自分の体とはいえ、それはすでにつねに社会化されているわけだから、たしかに、それは、身体へのある種の陵辱かもしれない。そういう権利は、その身体の「持ち主」にもないのかもしれない。というわけで、この報告は、やめることにする。(2002-09-09)


2001-08-15
8月15日に思う

今日は終戦記念日だ。「終戦」と言ったら「敗戦」ですよと苦言を呈されたことがあるが、戦争を勝敗という観点から問題にするのは、戦争遂行者にとってであって、戦争など徹底的に避けて行こうと思っている者には、勝敗などどうでもいい。戦争に不本意にまきこまれる者にとっては、戦争が起こされたことと、それがとりあえず終わったことだけが問題になりうる。
終戦は喜ぶべきことだし、終戦記念日は祝うべき日であるはずだが、この日に日本の各地で祝いの宴が開かれるという話は聞かない。逆に、黙祷や祈りを戦死者にささげるという「おごそかな」儀式や儀礼がくりかえされてきた。その雰囲気は、依然、「敗戦」を伝える「玉音放送」を聴いて泣き崩れた涙の流れのなかにあり、解放の喜びをかみしめるたぐいのものではない。
わたしの場合、8月15日は、毎年、祝いの日であった。「おめでとう」という言葉を聞かない年はなかった。というのも、この日がわたしの誕生日だったからである。
面白いことに、わたしのつれあいの父も同じ日の生まれだった。が、彼は、終戦の年、中国東北部旧牡丹江省でソ連軍の急襲を受けて「戦死」した(戦後9年たって、「戦死」として整理された)。あと4日たてば彼の誕生日であった。そのため、彼の遺族にとっては、1945年をさかいにして、8月15日の意味が変わる。それは、解放を祝う日でないだけでなく、それまでの家族の祝いが奪われた日となった。
死者は、どのみち誕生日を祝うことを奪われるが、戦死者は、それが人為的に奪われる。寿命、天命をまっとうした者の場合、生の諸条件を奪われることにかわりがないとしても、本人も遺族も剥奪の無念さをやりくりすることはできる。だが、人為的に殺害された戦死者にとって、剥奪の無念さは、死者本人だけでなく、その遺族のなかにより強く根を張る。
戦争は大量殺人を合法化し、それがあたかも「自然」過程であったかのごとくよそおう。死者をとむらい、まつることは、残された無念さに決着をつける事後処置的韜晦である。それは、遺族の観念よりも感性にうったえなければならないから、遺族たちが依拠する原信仰を参照せざるをえない。
ところが、日清日露以後の近代戦を遂行した国家体制は、そうした原信仰の参照を組織的に合理化しようとした。全国各地から動員され、戦死した兵士は、やっかいな原信仰に依拠していた。というのも、それは、彼らの出身地、祖先の土地、故郷と密接な関係を持っていたからである。そうしたそれぞれ異なる場所との関係を無視して「とむらえる」方法の発明、それが近代戦を「円滑」に推進する者たちに課せられた課題だった。が、実行されたのは、日本でそれまで(そしていまも)脈々とつづいている原信仰を姑息なやり方で単純化する安易な処置であった。
ここで言う「原信仰」とは、フッサールの「原信憑[ウアドクサ]」を拡大したものであり、われわれが、個々に身体のなかで無意識につかんでいる――つかんでしまっている――イデオシンクラシー、癖、思い込み、慣習、型等々のことである。それは、歴史が変わっても一朝一夕には変わらないし、原信仰を無視した無理な社会変革は、必ずその復讐を受ける。
日本人(人種ではなく、日本という場所に生まれ、日本語をしゃべり、育った者)の原信仰は、場所への執着である。それは、代々継承されることによって祖先崇拝(民俗学で言う「祖霊崇拝」)となる。先祖代々の土地への執着、先祖の墓のある土地への愛着、郷土愛・・・は、すべてそのヴァリエイションであり、そうした場所性が喪失しつつある現代の日本でつづいている一個建て住宅への執着も、屈折した形でこの流れを引き継いでいる。また、海外生活者が、永住権はとっても、日本国籍を捨てようとしないよく知られた傾向も、このことと関係がある。
神道、仏教、キリスト教、その他の日本に根づいた宗教は、すべてこの土地信仰とおりあいをつけることによって定着できた。さもなければ、日本では、何も根づくことができない。このことは、自我とその超観念化された「魂」への執着を原信仰とする海外の諸宗教とは決定的に異なる。
日本の政治体制のプロトタイプをなす天皇制は、こうした祖霊信仰的原信仰をたくみに利用することによって根をはることができた。地域地域に拠点を持つ「社」を天皇が「遊行」してネットワークしていくこと(折口信夫の「たまふり」)、天皇が各地をまわって地の魂を自分の身体に入れていくことによって天皇は「みこともち」になり、「社」は「神社」となる。神社とは、天皇によってネットワーク化された土地・祖霊信仰の拠点である。
しかしながら、近代戦の拡大のなかで作られた靖国神社は、こうした本来の神社とは異なる、極度に合理化されたシステムであることに注意する必要がある。靖国神社は氏子を持たない。つまり土地・祖霊との関係を無視する。そこに「まつられ」ている「霊」は、その意味では「地迷って」いるのであり、帰るべき故郷から剥奪されている。だから、靖国にまつられている大半の死者は、その故郷に墓を持ち、靖国には、靖国側が言う「霊」や「魂」をあずけているにすぎない。
そのよそおいに反して、靖国神社は、極度にヘーゲル主義的なシステムであり、土地や祖霊よりも「魂」への執着を原信仰としている。が、そのような原信仰は日本では希薄なために靖国はつねに乖離と矛盾をはらまざるをえなかった。靖国神社が、戦死者を「とむらう」場所として論理矛盾を起こさないのは、全国各地の祖霊をその身に常住的に含み込んだフルタイムの「みこともち」としての天皇がそこに常駐するかぎりにおいてである。事実、国家神道は、天皇をそのような存在として規定し、天皇の自我を靖国神社という場に直結する絶対神とみなした。
しかし、天皇は、伝統的にも事実的にも、ネットワーカであって神=超自我ではない。靖国神社が一宗教法人となって以後、天皇裕仁・明仁が靖国参拝を行なわないのは、それが単に「英霊」をまつる神社であるからだけではなく、天皇の本来の機能とは異なる場所であるからだ、と解釈する必要がある。氏子を持たない神社に天皇が行く必要はないのである。このような異論は、本来、天皇家や神社の側から出されるべきだが、靖国が問題になるときも、このような批判が出ることがないのは不思議である。
毎年、8月15日が近づくと、閣僚の靖国参拝をめぐる議論が再燃する。今年は、小泉首相の参拝の是非をめぐって議論がわいた。小泉は、韓国や中国の批判のまえに、当初の宣言をひるがえし、日をずらすという文字通り姑息なやりかたで参拝を実行したが、靖国の持つ、日本人の原信仰からはずれた側面への意識はもとより、そのよそおいとは裏腹のこうした近代合理主義的な側面を逆手に取って参拝を正当化することもできなかった。
靖国は廃絶されるべきだと思うが、それは、靖国が侵略戦争の象徴であるからではない。そういうものは、他にも多々ある。問題は、それが、神社としても、国家による戦死者のとむらいの技法としても欺瞞にみちているからである。そもそも、戦死者はそれぞれの生を剥奪されたのであり、「合祀」などという十把一からげの方法でいやされるはずがない。まして、そこには、擬制的とはいえ戦死者の祖霊をネットワークするネットワーカーを欠落させた戦後の靖国は、内実ともに形骸化しているからである。
時代は、もはや近代ではなく、脱近代の入口をくぐり つつある。兵士たちが「お国のために」死んだとされる「お国」は、もはや存在しないし、もともと存在しなかった。日本人は、権力階級の観念のなかにしかなかった国家を現実の国家と思い込まされて、その「国のために」働き、殺されたのである。だから、そういう「お国」といまの日本とのあいだに断絶をもうけずに、一億総懺悔的な「反省」の儀式をくりかえしていても意味がない。
もはや近代への固執も前近代への回帰ももはや不可能である。ここでは、前近代から通常惰性的にひきづって来た土地・祖霊に執着する原信仰も、それを観念的に合理化した非場所的な、破産した人工的「原信仰」も、有効性を持たない。一体、いまわれわれの生活のどこに「拠点」(ホーム)があるというのか? ホームはホームページのなかにしかなく、われわれは、基本的にホームレスであというのが現実である。拠点がない以上、それを独占的にネットワークする天皇の機能も意味をなさない。拠点的なものがあるとしても、それは、つねに位置が動的に変化する結節点(ノード)としてでしかない。そしてそれらのノードをたがいに結節するのは、天皇のような独占的な一者ではなく、無数のわれわれ自身にほかならない。
日本ではことされ見えにくい現象だとしても、ホームに執着せず、ホームはサイバースペースにあればよいではないかとする世代が生まれつつある。その原信仰は、場所につなぎとめられる安心感や落ち着きとともにあるようには見えない。むしろ、ボーダーを踏み越える離脱の感覚や経験のなかで、新しい原信仰がつかみとられているように思う。


2000-03-27
火吹き (Fire Breathing)

1年半ほど前、野戦の月(旧・風の旅団)の桜井大造にたきつけられて火吹きに魅了された(1998年のデビュー映像[1.83MB mpg])。以後、機会があると火吹きを試みている。先日、宮前正樹・三枝泰之・大榎淳の合同送別会(みんな東京を離れるという)があったが、宮前君の体調が悪いというので、元気づけに火吹きを演った(前田敏行の写真)。火は、電波と似て、どこか力をつけるようなところがあるからである。電波にくらべると、瞬発的で、忘れるのも早いが、一瞬は元気が出る。
ところで、先ほど、ウェブで火吹きについてどんなことが書かれているかを調べてみたら、意外にその危険性を指摘しているものが多いので驚いた。すべてのサイトが、そのやり方について細かな説明をしているにもかかわらず、「絶対に真似をしないこと」といった但し書きをしている。口にオイルを含むので、その毒性(発ガン等)や火傷・火災の危険性も指摘されている。そう言われると、あの室内(ゲートシティホール)で演った火吹きは、相当な危険性をはらんでいたことになる。今後は気をつけよう。

1999年以前