「シネマノート」  「Polymorphous Space」


リスボンに誘われて

最近見た映画でいちばん気を惹かれたのは、スイスのベルンの作家パスカル・メルシエの小説『リスボンへの夜行列車』(2004)を映画化した『リスボンに誘われて』だった。

ジェレミー・アイアンズが演じるので魅力のある老人になってしまうが、原作では頭の禿げた冴えない学者が主人公。むかしの学生だった女性が妻だったが、すでに別れている。そんな彼が、高校に講義にむかう途中、橋のうえで女性が川に飛び込もうとしているのを発見して助ける。

そこから彼女との出会いが始まるのではつまらないが、そうではない理由で彼は講義はそっちのけで、ベルンから長距離列車に乗ってリスボンまで行ってしまう。

その<発作性>はなかなかのものだが、原作と比較すると、彼の動きかたは、まさに発作的に見え、原作にある、いわば存在の底からつきうごかされてリスボンまで行ってしまい、そこである人物のことを調べ歩くという奥行きが希薄である。

しかし、フェルナンド・ペソアの内省と諦観に通じる雰囲気がただよっていて、惹きこまれる原作をどう映画化しているかを考えるのはわるくない。

そこで、この作品については、短期集中のブログ(以下は、最初ブログ形式で発表された)をつくり、思いつきをかきつらねてみようと思う。

もう日暮れて途遠しだが、住むならリスボンしかないと思っている。リスボンで野垂れ死にというのもあるな。(粉川哲夫)


● (1) グレゴリウスとパスカル・メルシェ
date: 07/05/2014 02:51:39
NightTrainToLisbon.jpgびっしり本の詰まった書斎でひとりチェスをやる男のうしろ姿。立ち上がって、テーブルの反対側にすわり、黒の駒を動かす。ジェレミー・アイアンズであるが、彼の素顔からするとかなりダサいつくりになっている。とりわけメガネがこの人物を身なりには無関心で、自閉的なことにしか関心がないこの男をいかにものやりかたで見せる。すぐに朝のシーンになり、紅茶を飲もうとするが、テーバッグが切れており、ゴミ箱から使い捨てたテーバッグを拾って淹れる。バックで鳴るアネット・フォックス(Annette Focks)のピアノ曲は、感傷のなかに予兆とノスタルジアをひそませた響きで、つぎの展開を期待させる。

パスカル・メルシェの原作『リスボンへの夜行列車』(浅井晶子訳、早川書房)の記述では、主人公ライムント・グレゴリウスは、ジェレミー・アイアンズが演じるのではミスキャストになってしまうだろうほどのダサい男として描かれている。
《編目の粗いタートルネックのセータの上に、革の肘当てのついた着古した上着。膝の抜けたコーデュロイのズボン。広く禿げ上がった頭を囲む薄い髪。常に少しだらしない印象を与える、白いものの混ざったひげ。》(p.22)

原作は、思索的な文体で書かれているが、あきらかにポルトガルのフェルナンド・ペソアを賛美している孤独で誌的なトーンが張りつめている。著者パスカル・メルシェ(本名ペーター・ビエリ Peter Bieri)は、マールブルク大学やベルリン自由大学で哲学史などを教えていたひとで、学位論文は、ディーター・ヘンリッヒ (Dieter Henrich) とエルンスト・トゥーゲンハット(Ernst Tugendhat)だという。このふたりの哲学者は日本でもよく知られており、邦訳もある。わたしも、ハイデッガーを研究していたとき、原書で読んだことがあった。どちらかというと、ハイデッガーのような特異さよりも哲学史的な概論を得意とし、入れ込んで読むというタイプの哲学者ではなかった。メルシェ/ピエリが、彼らのもとで学び、哲学史の専門家になったのは不思議ではない。が、彼がこのような小説を書いたということは、哲学史の専門家にとどまってはいられなかったからではないか?

グレゴリウスには、幾分か原作者の面影が感じられ、同じ教えるのなら、哲学史などよりももっと特異的なことを教えたかったという著者の気持ちが、グレゴリウスを大学教授ではなく、スイスのベルンの一高校(ギムナジウム)教師という存在に〝矮小化〟したところにあらわれているような気がする。

映画では示唆されるだけだが、彼は、ギムナジウムの教師をしていても、ベルンでは畏敬される文献学と古典語の専門家ということになっている。しかし、彼は自分の姿へのコンプレックスがあり、教え子だった妻が彼から離れたことでさらに傷ついている。金には不自由してはいないが、喜びにみちた毎日を送っているわけではない。生活を変えたいという気持ちはあるが、もう日暮れて途遠しだと思っている。そんな彼のまえで彼の人生を変える事件が起こる。



● (2) 映画の言語と時間
date: 07/05/2014 05:28:48
train.jpgグレゴリウス(ジェレミー・アイアンズ)がギムナジウムで講義をするために通りがかったベルンのキルヒェンフェルト橋の欄干で赤いコートを着た女が川に飛び込もうとしているのを発見してから、彼がリスボンに着くまでのテンポは、猛烈すぎるほど速い。まるで、ベルンとリスボンとが、たかだか新幹線の東京・京都間ぐらいしかないかのようだ。ちなみに、ベルンからリスボンまでの直線距離は、1628キロメートルだそうで、日本で考えると、北海道の網走から九州の大分までの距離に相当する。
原作では、グレゴリウスがリスボンに出発するまでかなりの逡巡があり、多少の準備もする。語学への特異な才能があるから、習得は速いが、ポルトガル語を読めない彼は、辞書とレコードで即席の学習をする。そして、列車の旅のほうは、ベルンからローザンヌ、ジュネーヴ、フランスのリヨン、イルンからスペインを横断してリスボンに行く。その間に、彼は、むかしパリに行ったときのことなどを思い出す。すべてが、視覚的な直接性よりも、読者自身が自分で自分の視覚イメージを紡ぎ出さなければならない内省的なやりかたで進む。

映画では、彼は、橋で会った女がコートのポケットに入れていたポルトガル語の本(クローズアップされるカバーには、「UM OURIVES DAS PALAVRAS AMADEU DE ALMEDIA PARADO LISBOA」とある)を何の学習もなしに読み始める。そして、そこで書かれている出来事が主人公の内的独白としてジェレミー・アイアンズのナレーションで語られ、そのフラッシュバック的な映像にはいって行く。

映画には映画の約束事がある。この映画の登場人物がみな英語をしゃべるのを<不自然>だとするのは当たらない。現実には、ベルンでもリスボンでも、英語が通じる場所はかぎられている。が、映画では、英語に加えられた人工的な訛りをその土地の言語の指標だとみなして見るしかない。



● (3)シャーロット・ランプリング
date: 07/13/2014 04:14:50
Charlotte-Rampling.jpgジェレミー・アイアンズのほかに、トム・コートニー、ブルーノ・ガンツ、メラニー・ロラン、ジャック・ヒューストン、さらには本年92歳のクリストファー・リーを神父役で起用するなど、実力ある俳優をそろえているが、出番は多くはないにもかかわらず、あきらかに、原作を読みこなしたうえで演技しているなと思わせるのは、シャーロット・ランプリングである。

彼女の役は、グレゴリウス(ジェレミー・アイアンズ)が、たまたま手に入れた本の著者アマデウ・デ・プラドを追うなかで出会うアマデウの妹アドリアーナである。アマデウは、医者であるが、次第に友人のジョアン(トム・コートネイ/若い時代はマルコ・ダルメイダ)やジョルジェ(ブルーノ・ガンツ/若い時代はアウグスト・ディール)らと、ポルトガルの独裁政権打倒のレジスタンス運動に加担していった。

シャーロット・ランプリングが演じる妹アドリアーナは、独裁政権の時代(1974年のカーネーション革命以前)に、兄アマデウの診療所の献身的な看護婦を務めてきた。彼は、カーネーション革命を待たずに死んだが、その後40年ちかい時間が経っても、アドリアーナは、兄が「家を留守にしている」だけであるという意識で生きている。グレゴリウスが手に入れた本を出版したのも彼女であり、彼の生存を妄想しているわけではない。それを知りつつも、アマデウの診察室や書斎をもとのまま「時間が止まった」状態にしているのである。いつも身に着けている黒服は、喪に服する意味なのであろう。

アドリアーナの役は、最初、ヴァネッサ・レッドグレーヴが演じることになっていたそうだが、シャーロット・ランプリングが演じることになったのはさいわいだった。ヴァネッサの演技力も並々ならぬものであるとしても、アドリアーナが送った人生のなかで蓄積した気難しさと偏屈さ、そして兄への単なる家族愛をこえた近親相姦的なものを秘めた愛を演じるには、シャーロット・ランプリングをおいてほかにはいない。原作は、グレゴリウスが、さがしあてたかつてのアマデウの診療所を訪ねたときに姿をあらわすアドリアーナをつぎのように記述している。
目の前に立つ全身黒ずくめの背の高い女性は、その尼僧を思わせる厳しい美貌で、ギリシア悲劇から抜け出てきたかのように見えた。青白いやせた顔のまわりをクロシュッ卜編みのス力ーフで覆い、先端を顎の下で合わせて、手で押さえている。細く骨ばった手に浮きとがった青黒い血管が、その顔よりもはっきりと、彼女が高齡であることを物語つていた。黑いダィヤモンドのように輝く窪んだ瞳から苦々しい視線を放ち、女性はグレゴリゥスをじろじろと観察した。その視線は、欠乏を物粉語つていた。自制と自己否定とを。なんの抵抗もなしに流れに身を任せるばかりの人生を送る人間たちへ、モーセのよう警告を発する視線。この瞳は炎のように燃え上がることもあるだろう、とグレゴウスは思った。(p.117)

映画では、グレゴリウスがリスボンに到着し、街の小さなホテルを見つけて泊まり、それから地図をたよりに街をさまよい、最初に訪ねるのがアドリアーナの家である。ベルを押すと召使の老女が出てくるが、原作ではアドリアーナが直接出てくるように書かれている。不愛想な彼女の対応にあわてながら、グレゴリウスは、とっさに例の本を出し、アマデウの写真を見せながら「フランス語」で「この人が医者で、ここに暮らし、ここで働いていたことはわかっています」と口走る。「私は・・・私は、この人が暮らした場所を見てみたかったんです。そして、彼を知っていた人と話してみたかった。この人はこの本に、非常に印象深いことを書いています。賢明な文章、素晴らしい文章です。こんな文章を書くことができるのがどんな人だったのかを、知りたいんです。そして、この人とともに生きることが、どんなものだったのかを」(p.118) 。グレゴリウスの青年のような緊張感は、ジェレミー・アイアンズもほぼ原作通りに出している。

召使がいったんドアを閉め、ふたたび開いたドアからあらわれるランプリングのいぶかしげでとりつくしまのない顔は、上述の原作の雰囲気を一瞬の表情で表現するが、にもかかわらずグレゴリウスを室内に導き入れる直前の表情にも、原作で以下のように書かれている変化が見事に表現されている。
黒いスカーフを通じて鈍く光る女性の白く厳しい顔に浮かんだ変化は、はとんどわからないほどわずかなものだった。こわばった表情がほんの少し――ほんとうにかすかに――緩み、視線から拒絶するような鋭さがいくぶん減ったのに気づくことができたのは、この瞬間のグレゴリウスのように特別な注意深さを持つ者のみだったろう。

シャーロット・ランプリングの俳優としてのユニークさを知ったのは、ルキノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)であった。目が独特で、セクシーなのだが、その目は、決してひとを愛さないだろう、恨んだら一生忘れないという感じなのだ。それは、リリアーナ・カバーニの『愛の嵐』(1973)のような「倒錯」した愛の表現には最適のはずだったが、わたしはこの映画を酷評した(『シネマ・ポリティカ』)。いまにして思えば、ランプリングのことだけを書いておけばよかったとも思うが、この作品のもったいぶった姿勢が鼻もちならなかった。

中年をすぎてからのランプリングの演技は、『スイミング・プール』(2003)に見るように、ますます屈折の演技の深みが増す。いまではもう老年といっていいのかもしれないが、『リスボンに誘われて』と同時期のフランソワ・オゾン監督の『17歳』(2013) でも、ランプリングは、最後の最後に登場して、それまでなかなかやるじゃないと思わせたマリーヌ・ヴァクトの演技を完全に食ってしまった。レベルがちがうのである。



● (4) マルティナ・ゲデック
date: 07/19/2014 05:43:46
MartinaGedeck.jpg小説のストーリー、構造、雰囲気を維持しながら映画として成功する例はあまり多くはない。小説を映画化する場合、原作をばらばらに脱構築してしまう場合には、原作にインスパイアーされただけの作品になってしまうので、原作らしさを維持しようとすると、かなりの単純化を許容しなければならない。

『リスボンに誘われて』も、原作ではひとりの男の思考過程が主要な要素になっているのを、結局はある種のラブストーリーに単純化するのを避けられなかった。相手は、グレゴリウスがメガネを壊し、検眼してもらう眼科医のマリアナである。決して、甘ったるい「ラブストーリー」にはしていないが、彼と彼女とのあいだに次第に中年の愛がめばえてくるという終わり方をする。原作では、むしろ、別れた妻との再縁があいまいに示唆されるが、映画の最終シーンは、ひょっとすると彼はリスボンに住み着くのではないかという暗示を残す。

マリアナを演じているマルティナ・ゲデックは、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(2008)でウルリケ・マインホフを演じた、ドイツ語圏ではかなり有名な女優である。わたしには、ウルリケよりも、『Die Wand』(2012)で、ロバート・レッドフォードの『オール・イズ・ロスト』(2013)のような〝一人芝居〟を演じたのが強い印象に残っている。こちらは、海ではなく森のなかで、隣人は姿をあらわすが、「女」としかクレジットされていないゲデックが演じる人物は、透明のガラスの「壁」(Wand)で隔離されており、犬(のちには牛)以外には生活をともにする者はいない。ある種の〝ひきこもり〟状態ではあるが、リアルな映像は、半端な〝形而上学的憶断〟をゆるさない。

『リスボンに誘われて』のゲデックは、ひょっとすると、実生活でジェレミー・アイアンズを愛してしまったかのような雰囲気の演技をしている。彼が演じるグレゴリウスの検眼をするシーンで、これは一目ぼれだと確信させるような表情をする。彼女の役がそういう設定なのだとしても、記者会見などでふたりが映っている写真を見ると、映画の外でも愛情関係があるのかなという感じがする。わかりやすいラブストーリーを作るという意味では、この関係は大成功なのかもしれないが、原作の屈折からすると、短純すぎるのである。ちなみに、「実生活」のことは知らないが、マルティナ・ゲデックという女優は、映画よりもテレビ出演が多く、「それっぽい」演技が身についており、それが出てしまった。が、それは、『Die Wand』と比較すればわかるように、彼女の責任ではなく、この映画が「テレビ」的要素を持っているということでもある。

ついでにこの映画の単純化の例を指摘しておくと、グレゴリウスがメガネを壊すシーンの描きかたである。原作では、ホテルに泊まったが、眠れず、真夜中の街に出かけたときの事故だ。まだ彼はリスボンの街を知らない。映画では、すでにアドリアーナ(シャーロット・ランプリング)に会ったあと事故に遭う。原作(p.68以下)では、もう少し複雑だ。グレゴリウスは、ホテルを出て、カフェに入るが、「最後の客が支払いを済ませて、出て行った」とき、「自分でも理解できない突然の集燥に襲われて」、その客のあとを追うのである。相手が誰という確信もなく、こういうことをしてしまうグレゴリウスの〝偏執〟性は、ジェレミー・アイアンズの演じる人物からは感じられない。

原作をもう少し読もう。グレゴリウスは、その男をつけて、バイシャ地区からバイロ・アルト地区へ入り、さらにリベラーデ大通りのほうへ向かう。が、そのとき、いきなりローラーブレードに乗った男が彼を追い越し、その肘がグレゴリウスのこめかみにあたり、メガネが飛ぶ。こういうことはありえるだろう。だが、映画では、グレゴリウス/アイアンズは、横から来るバイクに気づかずに車道をわたり、ぶつかってしまう。そして、そのときバイクの男は、倒れたグレゴリウスを助け起こすでもなく、バカ者呼ばわりして、走り去るのである。

これは、リスボンの街頭シーンとしてはリアリティがない。地名を限定し、観光趣味的にもそれらしい絵柄を作っている作品としては、これは、大いなる欠陥だといわざるをえない。ちなみに、リスボンでは、横断する人を市電が止まって待つこともある。車道を渡るなどということは誰でもがしている。まして、バイクをぶっつけたりして、罵声を浴びせて走り去るなどということをする人間はむしろ特殊である。しかも、映画で見るぶつかりかたは、グレゴリウスのような腕力に自信などなさそうな人物にとっては、相当のダメージをあたえただろう。鼻に傷をするが、翌日には腫れが広がっても不思議ではないくらいだが、鼻に絆創膏を貼っているだけなのだ。

映画は、現在と過去とがわりあい几帳面に切り替わる。若きアマデウ・デ・プラド(ジャック・ヒューストン)を中心に、彼の同志ジョアン・エッサ(マルコ・ダルメイダ)、ジョルジェ(アウグスト・ディール)、そして最初はジョルジュの恋人だったがアマデウを愛するようになるエステファニア(メラニー・ロラン)の話――形式としては、すべて問題の本に出てくる――と、その足跡を追うグレゴリウスの「現在」の話(上記の人物たちをトム・コートネイ、ブルーノ・ガンツ、レナ・オリンがそれぞれ演じる)とが交互にあらわれ、そのあいだにグレゴリウスが朗読する「本」の文章が流れるのである。

形式的には、やや単調であり、問題のアマデウ・デ・プラドが、はたしてこんなに追及しがいのある人物なのかという疑問が浮かびもする。原作の場合には、この点がもうすこし説得力に満ちている。映画が、結局、過去時制ではアマデウとエステファニアとのラブストーリー、現在時制ではグレゴリウスとマリアナとの暗示的なラブストーリーに収斂(しゅうれん)してしまう。ポルトガルのチューリップ革命にいたる時期に屈折した形でレジスタンスに加わり、ありあまる才能を燃焼しきれなかったアマデウという人物と、古典言語の才能に恵まれながらも生活と思考のレベルで確信がもてないグレゴリウスという人物との乖離しながら交錯する原作のポリフォニックな要素はでていない。



● (5)フェルナンド・ペソア
date: 08/28/2014 05:28:06
《しばらく――何日間だったのか、何か月間だったのか分からない――何ひとつ印象を記していない。我思わず、ゆえに我あらず。自分が誰なのかを忘れた。存在の仕方を知らないので、書くことができない。斜めに眠ることにより別人になった。自分を思い出さないというのを知れば、目覚める。》

fernando_pessoa.jpgまるで、この「連載」ブログも他のサイトも更新をおこたっているいまのわたしのことを言っているかのようだが、これは、映画『リスボンに誘われて』の原作者パスカル・メルシェが好んでいるはずの、ポルトガルの偉大な作家フェルナンド・ペソアの『不安の書』(高橋都彦訳、新思索社)からの引用である。

映画のトーンは大分ちがうが、小説『リスボンへの夜行列車』(浅井晶子訳、早川書房)のほうは、明らかにペソアの語り口を踏襲している。原作は、映画のようにサスペンス的ではない。が、映画のなかでもペソアについての言及はある。グレゴリウスが、元教え子だった妻のフロレンスと別れるきっかけになったのは、彼がホームパーティで、「野原は、その緑のなかよりも、その描写のなかでのほうがいっそう緑だ」という<ペソアの『不安の書』の言葉>を引用し、「この文章を理解できるのは、ほんのひとにぎりの人間だけだ」と言ったとき、彼女が、「じゃあ、あなたはその選ばれた人間のひとりってわけ?」と反発したためだった。これ以来、ふたりのあいだに越えられない溝が深まった。

これと同じ文章がいま見つからないのだが、ペソアは似たような文章を何度も書いている。

「澄みわたり動かない日の空は本物で、深い青ほどは明るくない青い色をしているのを知っている。」

「現実の風景を眺めるのと変わらないほど鮮明にわたしは夢において風景を見る。」

「真の風景とは、われわれ自らが創造する風景だ。」

ペソア(1888~1935)は、「夢想家こそが行動家なのだ」と言うが、それは、彼が生きた晩年のリスボンとポルトガルの状況とも関係がある。彼は、サラザールの独裁政権の前半期に晩年を過ごす。『不安の書』は、この時代の思索を含む遺稿集である。

息苦しい状況のなかで、体を張り、銃をかまえて闘うのも一つの「行動」だが、「夢想」することによってその状況に穴を穿(うが)つことも「行動」であり、むしろそのほうが過激であることもある。
映画のアマデウにリアリティがないのは、原作小説ではまだペソアほどの「夢想家」に徹することができないで逡巡(しゅんじゅん)する様が描かれているのに対して、映画では、アマデウの逡巡は、民衆からリンチを受け、死にかけた秘密警察の将校ルイ・ルイス・メンデスを(医者としての倫理観から)助けたことへの(レジスタンスの活動家の友人への倫理観から)罪責感の域にとどまっているからである。

むろん、原作でもアマデウはレジスタンスの一員としての「行動」をする。ペソアは、1935年に世を去るが、サラザールの独裁は1974年まで続く。アマデウは、独裁政権の後期に生きた。それは、ペソアの時代以上に赤裸々な弾圧が深まった時代だ。それだけ、彼は「行動」的であらざるを得ないのだが、にもかかわらず、原作のアマデウは、くりかえし「夢想」のほうに引き戻される。というか、アマデウを「夢想」するグレゴリウスは、アマデウを「行動家」よりも「夢想家」のほうに連れ戻す。彼は、ベルリンの壁以後の人間であり、「行動」の意味変化を身を持って知っている。



● (6)ホルヘ・ティモッシ
date: 09/01/2014 03:35:24
映画でも原作でも、1974年のポーランドの「カーネーション革命」のことが出てくるが、実際のところ、ヨーロッパで最後まで植民地を手放さなかったポルトガルで起こったこの〝無血革命〟そのものについては、映画も原作も、あまり立ち入って問題にする気はないようだ。映画は、原作小説以上に、この革命直前の状況をいささかサスペンス調に描きはするが、これでは、カーネーション革命が何であったかはよくわからない。

わたしにとって、この「革命」はとても印象深いものだった。一般のマスメディアではあまり立ち入って論じられることもなかったが、わたしは偶然、ポルトガルで起こったこの「革命」について少し詳しく知る機会があった。『思想運動』という新聞がポルトガルで起こったことについて記事にしたいというので、外電から適当なものを選んで訳出してくれないかという依頼を受けたのだ。が、選択肢として提示された記事は、ソ連のプラウダとキューバのグランマで、記事は多くても、みな「同志なにがし」という言葉が散りばめられた「景気」のいい記事ばかりで、食指が動かなかった。

が、グランマの英語版の記事を卒読していると、プレンサ・ラティーナ(Prensa Latina) 紙のポルトガル特派員ホルヘ・ティモッシ(Jorge Timossi)のルポルタージュが、Jorge_Timossi.jpgイデオロギー的な共闘や連帯をうたうのではなく、現に起こっていることをヴィヴィッドに伝えているように思えた。しかも、最後の部分に見られるように、「革命」がしばしば当然のことのように行う「民衆」教育や啓蒙に対し疑問を提起することも忘れてはいない。もし、ポルトガルの「カーネーション革命」に新しさがあったとすれば、こうした「大人」の現実主義が背景にあったからではないか?

ティモッシの文章の柔軟性に魅惑され、早速翻訳して編集部に渡しがが、編集部内ではあまり評判がよくなかったらしい。活字になった訳では「意識変革行動委員会」となっている語句には、編集部の手が入っているように記憶する。あるいは、この訳はわたしの訳のままで、他の個所が修正を加えられたのだったかもしれない。原文が手元にないいまではわからないのだが、掲載されたままの訳文を以下に起こしておく。

ちなみに、著者のホルヘ・ティモッシ(1936~2011)は、あとで知ったのだが、ガルシア・マルケスとともにプレンサ・ラティーナ紙を立ち上げに関わったチリ出身のジャーナリストであり、チリの軍事クーデターのリポートで注目された。その後も、世界の各地で歴史の変革をリポートし、数々のジャーナリズムの賞を受けている。邦訳では、彼の現実感を寓話的に伝える絵本『耳を立ててよくおきき』(画:エドゥアルド・ムニョス、沢村凛訳、学習研究社)がある。

へリコプター、アルウヱッタIII (これは「植民地戦争でも猛威をふるった」機種)が、リスボンから四〇キロほどの、ごく最近までミゲル・ド・ブラガンチャ公爵の領地であった所に着陸しはじめた。見なれぬ航空機を見にあつまった小作農たちは、翼のまきあげる砂煙にすっぽりつつまれた。

ほんの数日まえ、三〇人あまりの小作農たちは、公爵領であった四〇〇ヘクタールほどの良質の、大部分未開墾の土地――古い、風雨にさらされたオリーブ林が少しある――を接叹した。小作農の一人は言う。「公爵は、たけり狂って、家のなかのもの――家具、絵・・・を全部ぶちこわしたよ。おまけに、わしらがやつのおくさんを傷つけようとしでるなんてわめきちらすんだ。おくさんは二年もまえに死んでるってのに!」公爵を無視して小作農たちは、独自で協同組合を組織し、働きはじめた。

ヘリコプターが着陸し、パイロットとロドリゲス・ダ・コスタ海軍中尉が降り立った。二人は、全員赤い腕章をまいた小作農たちにあいさつし、ただちに打ちあわせに入った。国軍の代表者たちが小作農たちのところをたずねてきたのは、この占拠者たちが事を進めるために必要なものを知るためであった。

「わしらは何でも必要だ」、小作農たちは言った。「技術援助、トラクター・・・わしらには何もないが、とにかく働きはじめたんだ。あなたがたがここに来てくだすったのだから、わしらがー番必要としているもののリス卜をおわたしできるわけです。」

話しあいが行なわれているとき、記者は周囲をみわたしてみた。次のような文言が赤ペンキで記されている。「土地は、それを使って働く者に属す。国軍運動を支持せよ。自由そして社会主義。」

ヘリコプターでやってきた将校たちは、意識変革行動の国軍委員会のメンバーたちである。彼らが小作農たちに説明したことは、なぜこれらの土地を生産的にする必要があるのか、また、ポルトガル革命が進みつつあるこの段階でなぜ生産を増大させることが重要なのか、といぅことである。また彼らは、国軍運動と社会主義の諸目的についても話した。説明のあいだ、小作農たちは、あるいはノートをとり、あるいは懸命に聞き入った。皆がこの意見交換から多くのことを学びとっていることが次第に明らかとなっていった。

「中尉さん、ちょっと。」一人の男が言った。「重要なことは、ファシストの官僚機構が、依然として動きつづけてるってことです。そいつが破壊されなけりゃならなぃんです」。

「それは言うまでもないことです」と将校が答える。「まちがいなくわれわれは、官僚機構を破壊するでしょう。しかし、時には、がまんしなければならないこともあります。すべてのことを一時にやりとげることはできませんよね。」「そう、それはわかってるんだ」と男は言う。「でも、わしらの忍耐力が尽きないうちに、破壊されなけりゃあ」。

この村には水がない
裸の男が、一種め檻のなかにすわっていた。この男は、ここに二〇年間、動物のように囲われてきたのである。年齢三八歳。ときどき彼のロから豚の鳴声のような声がもれる。何ともショッキングなシーンだが、北部ポルトガルの僻村ではめすらしいことではない。ここでは五〇年にわたるファシズムの支配の結果、四〇%が文盲なのである。

人口三〇〇〇人のこの山岳地帯には、たった二人の開業医しかいない。言ぅまでもなく、精神科医のことなど知っている者は誰一人としていない。

意識肇行動委員会の医療部門のメンバーたちは、病気のこの男の家族に、男のどこが悪いのかを忍耐づよく説明し、やっとのことでこの男をなるべく近い所の病院に収容する許可を得た。メンバーが男をつれてゆく準備をしていると、男の妻が彼らにワインを出してすすめた。メンバ一の一人は言った、「こ親切はありがたいが、どぅか気を悪くしないでください。わたしたちは何もほしくないのです。やらなければならない仕事がありますから。それから、ワインを子供たちに飲ませないでください。まだ酒を飲むには若すぎます。」「でも、あたしたちにゃあ、これしかねえです。」妻が言った。「この村にゃあ、水がねえんですから。」

花は自由、果実は民主主義、種は社会主義
記者は、意識変革行動・市民活動委員会のリスボン事務所の一つを訪ねた。ここでは、五〇年におよぶファシズム支配が残した精神的ならびに構造的な重荷をのぞくためのイデオロギー闘争が、四月二五日以来、くる日もくる日も行なわれている。

事務所には若者が幾人か働いており、彼らはたいてい民間人の服装をしている。彼らのほとんど金部が、もじゃもじゃにひげをはやしている。正規の落下傘兵の戦闘服を着、戦闘靴をはいている者は一人かニ人しかいない。一人の海軍将校は、部屋の角に腰かけ、へたなギターを爪弾いている。ここには〝組織されたカオス〟があり、命令のどなり声があちこちで飛びかい、男たちが忙しそうに動きまわっている。壁は、多種多様のポスターでおおわれている。一人の男が記者の注意を、「国軍――革命の根」というごく新しいボスタ—の一枚にむけさせた。白とブルーの背景に、緑と赤のつぼみの赤い花が、国軍運動のイニシャルから生い立っている。ポスターの最上段には次の文字が書かれている――
花――自由
果実――民主主義
種――社会主義

意識変革行動キャンぺーン中央委員会は、国軍の三つつの部門によって創立されたが、いまでは国家警備隊や警察部隊にまで勢力をひろげ、国軍参謀本部の第五陸軍師団に属している。

「意識 変革 行動」は、ポルトガル革命の行なわれているいたるところで耳にされるはずだが、これが社会学的研究や人文学的研究から生まれたものだと考えるなら、誤りというものであろう。「意識 変革 行動」は、学問的なものから生じたのではなくて、国軍の兵士たちのあいだから生まれたのであり、四月革命の真の成果なのだ。国軍運動は、これを人民のあいだに大衆化し、人民は国軍を活性化することによって応えたのである。

この一年たらずのあいだに明らかになったことが一つあると^ば、それは、人民のあいだで活性化行動をおこなってきた将校や下士官自身が、状況を人民との接触、解決した諸問題、保持した熱意の結果としてより強く認織するにいたったということである。つまり意識変革行動とは、社会主義について人民を教育し、ポルトガル革命の諸目的を達成することである。すなわち国軍運動の計画を説明し、今日のボルトガルが直面している諸問題――直接の回答を要求している諸問題――に関するなまの情報を提供することだ。

将校や下士官は、意識変革行動キャンぺーンを、民間人と連帯しあって活動する革命的な仕事の一部として行なっている。キャンべ丨ンは駐屯地の内部でも行なわれる。ここには、解決さるべき、論ぜらるべき、一掃さるべきことがたくさんある。キャンぺーンは、政治的状況のもとで修正されたとはいえ、すでに幾つかの段階を通過し、多くの仕事を行なった。

すぐに応ぜねばならぬ多くの要求がある
ロウレイロ大尉は三一歳だが、もっとふけてみえる。彼は決して多弁ではない――「六年間の植民地戦争で、あなたがたから多くのものを学びとりました」――と彼はわたしに言った――そして意識変革行動の骨格のあらましを話してくれた――「各軍管区の部隊にはそれぞれ意識変革行動委員会があり、これは中央委員会に従属しています。わたしらは四月二五日に活動を開始しましたが、実際には、九月三十日(アン卜ニオ・スピノラ将軍の大統領辞任の日)まで行動に入れませんでした。状況は、三月十一曰(スピノラの企てた反革命クーデタの消減)まで発展しつづけました。はじめ、わたしらはミスを犯しました。論じてばかりいて、ほんの少ししか実行しなかったのです。いまではどこへ行く場合にも、問題を論じょうとするだけではなくて、できるだけ問題を解決しょうとしているのです」。

意識変革行動と市民の啓蒙は、軍、民間共通の行動綱領にょって裏打ちされた――五〇年におよぶファシズム支配の結果、ポルトガルの人びとは、見ないうちは何も信じないょうになった。はじめ、行動部隊は市か町に入って、人びとに話をし、革命の諸目的を説目するつもりだった。しかし、人びとはさまざまな要求をもっており、彼らの話は口論以上の激しさを加えた。この結果、意識変革行動中央委員会の構造内部に諸々の変化が生じることになり、技術援助局が設立された。この部局には、軍事技術、経済、農業、公衆衛生に関す諸部門がある。つまり、この技術援助局は、国軍の資源を合理的かつ有効に使おうとする一つの努力を代表したわけである。

去る五月に出た国軍運動の定期報告はぼのょうに述べている――「ただちに対処されねばならない基礎的な要求がある――道路、水、水電気であり、諸問題を解決できる代理機関、人民委員会、さまざまな部門内で、集団的自覚にしたがって、政府の諸改革を手助けできる諸団体である。」

意識変革とは政治宣伝に他ならない
一人の海軍中尉が近づいてきて言った。「以前ですと、新兵が徴募される場合、その出身地や社会環境で採用されたものでした。新兵は、ファシスト機構によっておしつぶされ、匿名化され、兵舎にとじこめられ、抑圧と植民地化の手先といったレッテルをはられていました。やがて彼は、他国に移送されて、彼の故郷の人達や彼の町の闘争からそれだけますますひきはなされるということにもなったわけです。いまでは、軍人、技術者、熟練職員たちは、必ずある地域に配属されることになり、都市あとにして、たとえばどんなに小さな町でも、故郷の町へもどって働かなければなりません。」

「民間人も意変識革行動の仕事に参加しているんですか?」
「ええ、その大半は熟練職員です」
「この仕事に報酬は出るをすか?」
「とんでもない。全部自発的な志願です。わたしらは、部隊の勤務をおえてからこの仕事をするんです。みな自発的なものです。結局自覚の問題ではないでしょうか?」
「要するに、意識変革行動というのは、政治的なアジテーション、アジと宣伝ではないんですか?」「むろんそうですよ、ほかに何があるっていうんです?」

(キューバ共産党機関紙『グランマ』7月13曰号より)