粉川哲夫の【シネマノート】

  サイト内検索  

作品リスト   福島原発事故関連   封切情報   Help & about   英語サイト   雑日記   「シネマ・ポリティカ」   単行本   雑文その他   ハッキントッシュ   テクノロジーについて   ニューヨーク   ラジオアート   プロフィール  
メール: tetsuo@cinemanote.jp

ゴッド・ブレス・アメリカ
God Bless America/2011/Bobcat Goldthwait
★★★★ [4/5]

●ふざけんじゃねぇよ、とてもやっちゃいられねぇよ!というイマの気分が横溢した作品。見るからにうだつのあがらない中年男フランク。離婚した妻にはすげなくあつかわれ、子供はなつかない。おまけに会社で気安く話をしていたつもりの受付嬢がハラスメントだと上司に告げ、あっさりクビ。リストラの口実にされた。こんちくしょう、みんなぶっ殺してやる。高まる空想が映像としてリアルに描かれ、血が流れる。

●こういう作品でむずかしいのは、エスカレートする空想をどう描くかだ。この映画では、空想から現実へと単純に進み、次第に『フォーリング・ダウン』(Falling Down/1993/Joel Schumacher)のマイケル・ダグラス的様相を呈する。が、演じるのがジョエル・マーレイだから、マイケル・ダグラスのように自分を正当化する雰囲気はなく、共感をよびやすい。

●『フォーリング・ダウン』では共感者はあらわれなかったが、こちらでは、贅肉のついた三枚目の中年男に惚れ込む娘が登場する。テレビで鼻持ちならない発言と行動を見せていたタレントを「暗殺」するのを笑いながら傍観していたロキシーという娘(タラ・リン・バー)が彼に惚れ込みつきまとうようになる。そのうち、二人は『俺たちに明日はない』の「ボニーとクライド」気取りで「天誅」活動を推進する。

●フランクに逡巡はあるが、これだけやっても警察の動きは鈍く(ハリウッド映画ではすぐ広域捜査が敷かれ、SWATが襲ってくるのがパターン)、「犯行」を繰り返す二人。この関係は、ある種のラブストーリーになっていて、悪くない。

●映画を映画として見ることができない輩からは、当然、銃でものごとは解決できるものではない的な意見も出るだろうが、殺人映画を見たからといって殺人者になるわけではない――と一応は言えるものの、たまには、映画で着想を得て無差別殺人を実行したりするのが出てくることもある。しかし、映画が描く「現実」の最も核となるのは、時代をおおう気分や欲望の流れのようなものである。つまり、いまの時代、ぶっこわしちぇまえ、殺してやるみたいな欲望の流れが鬱血する傾向があり、それがこういう映画として形象化されている、と考えるべきだろう。だから、警戒すべきは、状況全体であり、この映画作品の「挑発」ではない。

●テレビを見て時間を過ごすことの多いフランクは、番組の低俗さや出演者の貪欲さにうんざりする。この映画のテレビ批判はかなり当たっている。日本の場合、それがもうちょっとマイルドになっているのだが、デジタル化したテレビの利点は、出演者たちの表情や着ているもののディテールまでがわかるために、彼や彼女らが演技の裏や背後に隠しているものが透けてみえるようになったことだ。この映画に登場するタレントたちのように露骨にバカや理不尽を演じて見せなくても、ちらっと映る表情や身ぶりのなかにさまざまな欲望の鬱積や癒着を感じ取ることができる。その意味で、テレビこそ、いま、視聴者の怒りや不満の爆発に警戒したほうがいいだろう。

●ポランスキーは、『おとなのけんか』(Carnage/2011)でほとんどアパートメントの一室だけを舞台にしてケイト・ウィンスレット、ジョディ・フォスター、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリーの4人の個性ある俳優に、映画のほぼライブ時間にあたる80分間にわたって口角泡を飛ばす演技をさせたが、この映画の本当の「主役」はケータイ/スマホだった。『ゴッド・ブレス・アメリカ』でフランクとロキシーが映画を見に行くと、臆面もなくケータイを使う観客がいて、怒り心頭に達する。が、現実は映画以上であり、映画を商売にしている連中が来るという試写会(ご丁寧に「マスコミ試写会」とも呼ばれる)でも、最後部の席はケータイを点けたり消したりする奴がいるから要注意なのだ。こんな状態が続けば、世も終わりだといううんざり感が、ポランスキーの原題「Carnage」つまり「死者累々」に暗示されている。


【月別ノート】

2011年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2010年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2009年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2008年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2007年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2006年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2005年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2004年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2003年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2002年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2001年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
2000年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
1999年/ 12月  11月  10月  9月  8月  7月  6月  5月  4月  3月  2月  1月 
1998年/ 1月~12月  
1997年/ 8月~12月   7月~8月  


  リンク・転載・引用・剽窃は自由です。
コピーライトはもう古い。The idea of copyright is obsolete.