粉川哲夫の【シネマノート】
Cinemanotes


1999-03-29_2

●タンゴ(Tango/1998/Carlos Saura)(カルロス・サウラ)

◆椅子の背を蹴られ、いらつく。場内が明るくなって後ろを見たら、浅利慶太。その間、横では、いびき。そのおばさんは、映画が半分以上進んでから入ってきて、居眠り。何しに来たの? この人、どこかで見たことがある。たしか、某劇場の支配人ではなかったか。
◆ダンスや格闘のシーンが出る映画では、役者の力量がモロに問われる。最初のシーンから登場するセシリア・ナロバは、その表情、身ぶりをちょっとさらすだけで、周囲を圧倒する力をもっている。その点で、わたしには、ミア・マエストロは、この映画の重要なヒロインであるにもかかわらず、そうしたアウラが弱いように思えた。
◆タンゴを踊る男女は、能面のように表情を止める。
◆抑圧時代のイメージをタンゴで表現した場面。タンゴのある種機械的なリズムと動きがぴったり合う。それは、タンゴ文化の持つもう一つの面かもしれない。
◆フェリーニ的なナルシシズム。
◆映画のストーリーそのものを(舞台をつくるという設定で)構築していくプロセスが映画になっていて、最後に、『スティング』的なシャレも入るというスタイル。
◆マフィアの用人棒をやった(マーチン・ランドウに似た)役者の殺気だった目がいい。
◆映像的に、「舞台」の最初のシーンとして構成される――移民者たちが、海岸の坂を登ってくるシーン。背後に日が登る美しいシーン。
◆1932ー33年頃のモノクロ映画『タンゴ』のシーン。
(ヘラルド)



1999-03-29_1

●メイド・イン・ホンコン(Made in HongKong香港製造/1997/Sam Lee)(サム・リー)

◆自殺した少女の墓を探しあてた3人がそこでたわむれるシーンは、60年代のヌーヴェルヴァーグの典型的なシーンをまねている。
◆ケータイ、パッケージされたジャンクフード、だらっとした服装・・・日本の若者文化に通じるもの。
◆そういえば、ぼけ役で出ているロンは、セクシーな女性を見るとすぐ鼻血を出すが、これは、日本の「鼻血ブー」の影響か?
◆自殺した少女が残した血染めの手紙を、血だらけのまま机のなかに入れておく神経は、「日本人」のものではない。
◆学生のような集団で、みな同じような雰囲気で動いているオウム的な街のグループの不気味さ。
◆父親は、若い女をつくり、そのくせ、その女は幸せではなく、ファミリーはもとより、親密な関係そのものが不可能になっているという雰囲気がこの映画にはある。
◆最近、香港で10代のためのインディペンデントのヴィデオ運動をやっているVideo Powerのチョム・カイ・チェンと話をし、この作品のことが話題になった。彼は、「確かに青少年の自殺は少なくないが、日本でその話になるとかならずこの映画が例に出されるのには、まいった」と言っていた。「映画は映画だから」と。
(徳間ホール)



1999-03-01

●マイティ・ジョー(Mighty Joe Young/1998/Ron Underwood)(ロン・アンダーウッド)

◆自然環境の破壊と官僚的なビジネスへのいまや誰でもが言う批判をあてにしたところが見え見えだし、完全にハリウッド映画の常套的な「文法」にのっとった映画。当然、「悪者」がおり、そいつは最後に破滅する。
◆ハリウッド映画の常套である〈ときには法律も破られるべし〉というアメリカの発想も、ちゃんと学習される――こういう「学習」は、一面で、強者によるアグレッシブな侵略を正当化してきたが、他方では、国家の存在を相対化し、国家への盲従をおさえる機能がある。
◆それでふと思い出したが、日の丸・君が代を法制化は、それを破るということの反国家性・反体制性を明確にする意味でいいかもしれない。
◆物言わぬゴリラは、ちょっと差別的な感じ。
◆アフリカの密林にこもってゴリラと暮らした動物学者の母と娘。母は、いかにも欲深そうな密猟者(映画のなかでは、「アルメニア」あたりの出身を示唆していたが、「アンドレー。シュトラッサー」という名前からするとドイツ人でもいい)に殺される。話は一挙12年飛ぶ。娘のジル(シャリーズ・セルロン)は、成長し、ともに幼いときから知っていたゴリラのジョーも(巨大すぎるほど)成長する。そこへ、動物の保護活動をしている動物学者の青年がやってくる。こうなると、大体話は読めるわけだが、見どころは、ジルがどうジョーをコントロールするかだろう。
◆しかし、彼女がいつも懐中電灯を使っていたので、ロスに連れてこられたジョーが、空にビームが延びるサーチライトを彼女の懐中電灯と思って、その現場に来るというのは、なんかゴリラを馬鹿にしている感じ。
◆ジョーを怪物あつかいするのは論外として、彼を対等の関係では描いていない――そうした場合、出て来るのは、たかだか「幼い者や無知なるものに愛を」という19世紀流のチャリティ思想(攻撃・侵略の補完思想なのだ)。
◆In Memory of Zack StutmannのZackとは誰?
◆ところで、この映画のトップに出て来るRKOのロゴマークのバックで流れるモールス信号は、『エネミー・オブ・アメリカ』のときと違い、一応「R」「K」「O」と言っている。
(ブエナビスタ)



リンク・転載・引用は自由です (コピーライトはもう古い)   メール: tetsuo@cinemanote.jp    シネマノート