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2022/06/23

シャイニング・ガール(Apple TV+/2022) 【3】 「体外離脱」と振動

エピソード03で、記者のダン・ベラスケス(ワグネル・モウラ)は、調査に行き詰まり、バーに行く。かかっている曲は、タルい。すでにしたたか飲んでいるダンは、DJにチップをやってエルジェネラルの「Pu Tun Tun」をかけさせる。切れ味のいいレゲエのリズムに乗って踊り、売人のクスリを買ったりしてハイになる。このとき、彼が体を激しく揺すり回転させるところが興味を引く。

ロバート・モンローは、前号で挙げた『体外への旅』(邦訳、ハート出版)のなかで、「体外離脱」の方法として「振動」を挙げるが、それは、周波数の低い振動のようだ。だから、彼は、「リラクゼイションのコントロール」とも言っている。ちなみに、モンローは、彼の言う「振動状態」をアルコールやドラッグで実現することは出来ないと言う。事実、ダンにとって、レゲエのリズムやアルコールやドラッグによる身体の自己振動は、単に「昏睡」をもたらすだけだった。が、そうした方法での「昏睡」や「昇天」や「オルガスム」も、振動によって「第二の体」を作る初期的な段階とみなすことは出来るだろう。

映画『シャイニング・ガール』のカービーやハーパーは、その意味で、「体外離脱」して生まれた「第二の体」が形を成したものなのであり、この映画は、そういう「体」を登場人物にしていると見るべきだ。モンローの「第二の体」は、普通の体の形を持たないが、幽霊や宇宙人やアンドロイドが、「普通人」の姿をして人間と共存しているという設定は、映画ではめずらしいことではない。

「炎のクララ」と闇

体を回転させるといえば、エピソード06に、ハーパーの(むくわれない)恋人クララ(マデリーン・ブルーワー)が、1920年代(!)のシカゴの「シドニーズ」という小劇場で見せるパフォーマンスも回転→体外離脱を示唆するような要素を持っている。

黒い衣装というより布を自在に使いながら、自分の体を隠したり、露出したりするのだが、黒い布に包まれて暗めの照明の会場でその体が「消失」したかのような瞬間を作る。「炎」が闇に消されるというのはクララの運命を示唆してもいる。(添付映像は、見やすくするために照度を強めてある)

目眩と発振

もう1つは、エピソード08で、カービーが、新聞社のオフィスでダンの死を聞き、呆然と部屋を出て、エレベータホールに行くシーンだ。ここで彼女は、自分の体を回転させるよりも、カメラが彼女を回転撮影するのだが、そのときに見せるカービーの「目眩」というよりも「放下」(ほうげ)を思わせる表情が、高速よりも低速の回転がもたらす「体外離脱」を示唆しているようにも見える。事実、彼女がオフィスにもどると、彼女を知る者は一人もいない。また別の「体外離脱」をしてしまったのだ。

「体外離脱」とラジオアート

モンローの「体外への旅」の技法の「振動」は、高速ではなく、非常に低い周波数のもので、それは、ある意味で座禅や瞑想の身ぶりにもつながっている。つまり、回転よりも不動に近い「揺れ」だ。その点では、また、電磁波をかぎりなく同一周波数に近づけていったときに起こす発振にも似ている。発振を起こしてしまうと、それまで構築されていた物的構成は消失してしまう。実は、これ、わたしが長らくやっているラジオアート・パフォーマンスの基本でもある。

エリザベス・モス

カービーを演じるエリザベス・モスは、この映画の製作総指揮と演出(5作)もつとめている。モスは、これまで、ウェス・アンダーソンの『フレンチ・ディスパッチ』(2021) のちょ役、注目されたが作品自体の底の薄さで才能を出しきれなかった『透明人間』(2020)の主役、けっこう体を張ったがう〜んの『ハースメル』(2018) のパンクロッカー、『ザ・スクエア』(2017)のこれもちょい役だが、売れっ子キュレイター(クレス・バング)とお定まりのセックスをしたあと、執拗にコンドームを自分で捨てると言い張り、最後には、彼が捨てたゴミ箱を奪って去る(人工授精にでも使うのかねぇ?)という皮肉なひねりの演技を見せた。2017年は、テレビ映画 (Top of the Lake) にも連続出演してひとつの転機だったようで、安手の『ロスト・イン・トランスレーション』といった体の『Tokyo Project』(2017)にも出ている。

しかし、今回の『シャイニング・ガール』は、彼女のこれまでの演技のすべてが投入されており、これで、エリザベス・モスは「大女優」の仲間入りをした。