粉川哲夫のシネマノート 総覧   ●「シネマノート」   ●ラジオアート   ●「雑日記」 (1999 -)

2022/06/28

シャイニング・ガール(Apple TV+/2022) 【4】 「家」の問題

『シャイニング・ガール』につまらないところがあるとすれば、それは、特殊な「家」が出てくることだろう。ただし、これは、ローレン・ビュクスーの原作(こちらは、映画のタイトルにはないTheが付く――The Shining Girls/2013)を素直に引き継いだ結果である。

原作は、すでに最初のほうの「ハーパー 1931年11月20日」の章の末尾で、"Everything happens for a reason. It’s because he is forced to leave that he finds the House. It is because he took the coat that he has the key." と、つまり"The House"と頭を大文字にして意味ありげな暗示をしたあと、その1つ先の「ハーパー 1931年11月22日」の章で、ハーパがその家を見つける詳細を書く。

低周波振動

ハーパーは、すでに「20日」の章で、浜辺で出遭った盲目の女を殺して上着を奪うのだが、「22日」の章で、病院に転がり込んで寝場所にしようとして失敗したあとふらふらと街を歩いていると、街灯が「低周波」を発しているのに気づく。そして、そのうなり音は、次の街灯に飛び、「手招きするように」次の街灯に移る。そのあげく、最後は、「Somebody From Somewhere」(ナット・シルクレットに1931年のヒット作)の「甘いささやき」のような調子で、一軒の家に導く。鍵がかかっているが、盗んだジャケットのポケットに入っていた鍵を指すと、ぴったり合った。

「迷い家」(遠野物語)

出来すぎた話だが、まあ、「低周波」(low frequency)の振動という現象を持ち出しているのが、面白い。が、いずれにせよ、この「家」は、いわば「神隠しの家」とか柳田國男がまとめた『遠野物語』の「迷い家」(まよいが) にも似た「心霊スポット」で、ここからはどんな時代にもタイム・ホッピングが出来るという設定である。

1848年

映画では、ずっと説明なしにタイム・ホッピングを見せて来たすえに、最後の【エピソード08】で一挙にその「謎」を明かす。冒頭、「レイクヴュー 1848年」という字幕が出て、数人のフィドラー帽(Fiddler cap――ギリシャの漁夫、東欧移民などが好んでかぶったが、のちにレーニンやボルシュヴィキの労働者がかぶり有名になる)をかぶった男たちが、棺をかついで森に行くシーンが映り、そのなかの一人が仲間から離れて草花を摘み、押し花にするショットののち、異様なドローン(飛行物体ではなく音楽)風の低周波音に気づく。

その音をたどって草木のあいだを進むと、視聴者はすでに何度も観ている「あの家」が姿をあらわす。外観は全くかわっていない。

すでにその男は、過去のエピソードを観ている視聴者には、ウルリッヒ・トムセン演じるあの老人――【エピソード06】で第1次大戦の戦地から帰還したハーパーとレオが忍び込んだ家の持ち主であることがわかるだろう。

Air Jordan

声をかけ、ノックしても誰も出てこないので入ってみると、男が首をつっている。ダランと垂れ下がった足には、Air Jordanのスニカー(1980年代もの?)が見える。そして、床に置かれたメモには「君にやる」(All Yours)と書かれている。

明らかに、この人物は、1980年代にタイム・ホッピングしたことがあるという暗示である。そして、この家を引き継ぐトムセン演じる人物は、以後、この家を拠点にしてさまざまな時代にタイムトラベルをし、「未来」の物品を購入して優雅な生活をする。ハーパーらが侵入してくるまでは。

依然、「家」の問題

映画は、原作よりも時代の幅を大きく取っているが、【エピソード08】のように、これほど原作に忠実にする必要があったかどうかは疑問である。こういう場所ははっきりさせずにしておいたほうがよくはなかったか? 

ただし、ここではっきりしたのは、ハーパーのタイム・ホッピングとカービーのそれとは、同じではないということだ。ハーパーは、「その家」を独占することによって自在にさまざまな時代に移り住み、女を殺してきた。が、ハーパーは、時分で選んだのではない時間にいきなり引きずり込まれ、ハーパーに殺されそうになるのである。

【エピソード08】でカービーは、最終的にハーパーをやっつけ、「その家」に住みついたようにみえるが、そうなると、彼女の今後の時間性は決定的に変わってくるはずだ。逆にいえば、ここは彼女が住むべき場所ではない。というよりも、こういう場所には誰も住むべきではない。ここに住む者は、他者を支配する側に立たざるをえなくなる。ここは、「迷い家」のような貧しさのなかのユートピア空間ではなく、バブリーな時代向けの利己的な、しかも死をもたらす空間である。