リストラの話から始まるが、みずからバツくじを引いた組合委員長は、家庭にもどり、家族に囲まれて、幸せそうな日々を送ることになりそうな展開で、ほのぼのとした家庭の話など見たくないと思っているわたしは、一瞬、目をそらしそうになる。見るまえから、岩波系の配給で警戒の念もあった。ところが、いきなり覆面の二人の強盗が押し入り、一家を 縛り上げ、せっかく子供たちが両親の結婚記念のために集めて渡したお金とキリマンジャロの見えるアフリカへの航空券も奪われてしまう。この映画は、ヘミングウェイの小説『キリマンジャロの雪』とは関係がない。
いきなり何が起こるのかわからないマルセイユらしい展開だが、この街に貧富の格差の高さを問題にしている。しかも、それが、手の届かない富者とど ん底の貧者とを描くのではなく、同じ失業者ながらそのなかでやや豊かな者と、毎日の家賃や食事にも困る者との関係だ。
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ル・アーブルの靴磨き」で刑事を演じてたジャン=ピエール・ダルッサンが、ここでは、CGTの組合の委員長ミッシェルを演じている。彼は、名前 を書いた紙を入れた箱からリストラする20名の労働者を選ぶのだが、左翼的平等の信念の人である彼は、自分の名前の紙をみずから選ぶことを回避しない。自分を 最初から取りのけておくことも出来たはずなのだが、そうはしなかった。
強盗をした男 クリストフ(グレゴワール・ツプランス=ランゲ)は、そのときリストラされた労働者で、姉が置き去りにした2人の子供を育てている が、行き詰って、友人にそそのかされて強盗を働いたのだった。
クリストフを結婚記念のパーティにミシェルが呼んだのは、彼の仲間意識と憐憫のためだったが、クリストフにとっては、それは、プチブルのいけすか ないチャリティでしかなかった。
彼は、必死で働くしかないのに、おまえは、早期退職して安楽な暮らしが出来るだろう・・・組合のなかでも、役得を享受して・・・といった意味のこ とを言うシーンがある。クリストフの姉(妹?)は、子供を置き去りにすることにためらいを感じてはいない。この二人が、ハンド・トゥ・マウスの生 活をしている層の本音を現している。
クリストフも彼の妻マリー=クレール(マリアヌ・アスカリッド)も、決して豊かではないが、活動家的な「社会貢献」の意識が強い。しかし、それが、もっと下の層から見ると、 よせやいということになってしまう不幸。
この映画は、格差を描きながら、その一方の側からは見ないし、また、両方を傍観する見方もしない。強盗されたミッシェルからすればクリストフは「悪」だが、このクリストフは自分勝手な姉(→★母親だった→若作りなので錯覚した→誤りを教えてくれた木下昌明氏に感謝)をかかえ、その子供(→★自分の弟)のめんどうを見ている。が、クリストフにとっては「悪」のこの姉(→★母親)も、男に騙されたり、熾烈な生活をしていることが描かれる。その一人一人の生活に入り込んで対象を描く姿勢は、一貫している。それがこの映画の魅力だ。
この映画には解決も指針もない。そこがこの映画を啓蒙主義的作品にしていないよさだ。むしろ、日常の瑣末さのしっかりとした描写を通じて、そういうレベルへの注意をうながす。
(クレストインターナショナル配給)