●最後のマイ・ウェイ(フローラン=エミリオ・シリ)

Cloclo/2012/Florent-Emilio Siri      ★★★★★

◆この映画を見ると、日本には何でも外のものが入ってくるように見えて、相当かたよっているのだなと思う。1960~70年代にはフランス文化が大流行りだったが、この映画が描くポップシンガー、クロード・フランソワのニュースは全然伝わってこなかった。しかも、F・シナトラやソド・ヴィシャスで有名な「マイ・ウェイ」がこのフランソワの曲だったとは。彼の自伝的ストーリもさることながら、この時代のフランスがいかに父権的であったのかということがよくわかるところが面白い。
◆YouTubeでクロード・フランソワを見て比較すると、彼を演じるジェレミー・レニエがいかにそっくりの演技をしているかがわかるが、あれだけのやり手で、つぎつぎと女を替えたクロード・フランソワが持っていたはずのデモーニシェな部分が全く出ていないのが意外に思える。これだと、クロード・フランソワのロボットみたいな感じだ。
◆脇役はみないい演技をしているが、なかでも、フランソワの辣腕マネージャー役を演じたブノワ・マジメルが実に味のある演技を見せる。
◆映画は、クロードの一家がエジプトのイスマイリアで裕福な暮らしをしているところから始まる。が、やがてナセルの革命によって王権が倒れ、旧時代の支配階級は地盤を失う。クロードの父親も、もし革命が起こらなかったら、息子に辛くあたる人間にはならなかっただろう。そして、1956年、ナセルによるスエズ運河の国有化と、それにともなって起こった第二次中東戦争で、クロードの一家は難民状態になり、モナコへ逃れた。クロードは、幼少時の裕福な生活から、貧民の生活を味わうことになる。彼の執拗なまでのビジネス志向と母親のギャンブル依存症も、エジプトでの不幸な体験がなかったら、別の形をとっていたはずだ。
◆日本でも、(むろん階層にもよるのだが)1950年代ぐらいまでは父親の存在には絶対的なところがあったが、クロード・フランソワの父親(マルク・バルベ)は、猛烈で、彼がポピュラー・ミュージシャンの仕事を始めると、そんな芸人もどきは許せない、おれはおまえを銀行家にしよとしたのに、と絶対反対の態度を取る。やめなければ、もう口をきかないと言い、実際に、死ぬまで口をきいてくれない。
◆クロードのとってフランク・シナトラは憧れの歌手だったから、彼が自分の恋人への想いをこめて作った「マイ・ウェイ」を歌ってくれたのを光栄に思う。が、シナトラのほうは、どうやら彼のことを知らなかったらしい。一度、ホテルのロビーでクロードがシナトラとすれちがうことがあるが、彼は声をかけない。それだけ、シナトラは彼にとって雲のうえの人だったのだ。この感情は、そのまま父親への距離感ともダブっており、だから、この映画では、マルク・バルベが演じる父親の風貌は、どことなくシナトラに似ている。映画には、ロバート・ネッパーが演じるシナトラの姿もあるが、この屈折した関係を考えるなら、マルク・ベルベがシナトラの役も演じたほうがよかったとわたしは思う。
◆クロードは、39歳であっけなく死ぬが、死因は風呂場での感電だった。なんでそんなに簡単に感電死するのかと思う人もいるかもしれないが、フランスの電圧は、220ボルトで、日本の倍以上高く、感電すると日本の電気の場合よりも、かなり危険なのである。


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