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ジョン・メリック

 二年ほどまえ、『エレファント・マン』がメル・ブルックスのプロダクションでつくられるというニュースをニューヨークで知ったとき、わたしはその映画化に多少の疑問をいだかずにはいられなかった。というのは、ブロードウェイでヒットしたバーナード・ポメランスの脚色による同名の舞台劇ではこの物語の主人公ジョン・メリックの〈奇形〉化した身体は、完全に象徴的に演じられている(役者は体をよじらせるだけである)のに対して、映画では特殊メイクアップをほどこした役者によってきわめてリアルに表現されるということをメル・ブルックス自身が語っていたので、果たしてこの映画はどのようなものになるのだろうか、ひょっとしてそれは『ヤング・フランケンシュタイン』のような喜劇になるのだろうか、と考えたからである。しかし、今回日本で、そのフィルムを実際にみてみると、そんな疑問が全然無意味であったことがわかる。それは、白黒フィルムを用い、抑制のきいたシーリアスな作品で、ブロードウェイの舞台劇よりもはるかに重厚な社会ドラマであった。
 通称〈エレファント・マン〉と呼ばれたジョン・メリックの後半生(一八八三〜九○)の物語は、これまでも、ポメランスの戯曲(一九七九)だけではなく、色々な形でとりあげられてきたのだが、それらの原型はすべて、メリックを一八八三年に発見し、やがて保護することになるロンドン病院の医師フレデリック・トリーヴスの回想記『エレファント・マンおよびその他の思い出』(一九二三)から出ている。
 映画台本は、この回想記と文化人類学者アシュレイ・モンターギュの追加的研究『エレファント・マン、人間的尊厳の研究』(一九七三)にもとづき、二人の若い脚本家クリストファー・デ・ボアとエリック・バーグレンによって執筆された。メル・ブルックスによると、この映画化は、たまたまデ・ボアの女友達がブルックスと親しいプロデューサーのジョナサン・サンガーのところでベビーシッターのアルバイトをしていたところから、彼女を通じてメル・ブルックスのところに話がもちこまれたのだという。また、監督の方は、デイヴィッド・リンチが以前に『消去ヘッド』という〈ひじょうに風変わりな〉作品を演出していたことで、この映画に起用された。
 映画『エレファント・マン』がポメランスの戯曲と決定的にちがうのは、映画がジョン・メリックをとりまく後期ヴィクトリア朝時代のロンドンの社会的背景を念入りにそして正確に描いている点である。医師トリーヴスが、映画のはじめの方で、見世物小屋が軒をならべる通りを訪ねたあと、病院で工場労働者と思われるケガ人を手術しているシーンがあり、そのとき彼は同僚に向かって「近頃工場の事故が多いな……機械に頼りすぎるんだ」とつぶやくが、これは当時のイギリスの状況を簡潔に言い表わしている。当時のイギリスは、産業革命以来の工業化の道を依然つっぱしっていたが、そうした工業への過度の偏重のために農業は衰退し、国内では食糧の自給に苦しんでいた。ロンドンなどの大都市には農村から流れてくる人々が急激にふえ、都市はスラム化し、コナン・ドイルが『シャーロック・ホームズの冒険』の材料にしたような凶悪犯罪も増加していた。映画はこうしたロンドンの雰囲気を、たとえばトリーヴスが興行師のバイツをたずねて歩いてゆく裏路地のものすごさ、まっ黒になって汗みどろで働く労働者、安酒場にたむろする労働者や売春婦、〈tリーク〉i奇形人間)の芸人たちのすさまじい生活、工場や汽車のエントツからふきあがり空をおおう黒煙などによってヴィヴィッドに伝えている。
 むろん、当時の為政者たちは、こうした状態を放置していたわけではなく、下からのさまざまな突き上げもあり、労働条件を改善し、医療や教育制度を拡充し、〈悲惨、無知、悪徳〉に手をうつことを重要な課題とせざるをえなくなっていた。すでに、〈人道主義〉や〈福音主義〉の啓蒙ははじまっており、怠惰や娯楽、動物の虐待などを〈悪〉とする倫理キャンペーンもかなり浸透しはじめていた。映画でトリーヴスが、〈フリークス〉というたれ幕のさがった見世物小屋の通りに入ってゆくと、ちょうど〈エレファント・マン〉の小屋が警官から営業停止の処分を受けているのに出っくわすシーンがあるが、当時すでにタテマエのうえでは、あまりに残酷なフリークを見世物にしたり、動物を虐待して金をとったりすることは法律で禁止されていた。
〈エレファント・マン〉のジョン・メリックがフレデリック・トリーヴスによって〈救出〉されるのは、まさにこのような状況のさなかにおいてなのである。言いかえれば、こうした社会状況の変化がなければ、この映画で展開されているようなメリックの数奇な運命は決して存在しえなかったということである。メリックは見世物小屋の動物同然の世界から人間的な世界にひきあげられ、しかも上流社会の寵児になるのだが、これは決して奇跡的な事件ではなく、むしろ、当時はじまっていた〈人道主義〉のキャンペーンとある種の社会福祉政策の流れにメリックがたまたまのったために可能になったのである。あるいはひょっとして、体制の支配者たちはこうした政策を効果的にすすめるためにメリックのような人物をあえてひろいあげたのかもしれない。いじわるい見方をすれば、ヴィクトリア女王までもがクイーン・アレクサンドラ(プリンセス・オブ・ウェイルズ)をわざわざ病院につかわし、メリックに特別のはからいをするように命じたのは、一人の不幸な身体障害者をハデに〈救助〉してみせて、あたかも自分たちが〈人道主義〉の精神にみちあふれているかのごとき印象を民衆に与え、そうすることによって−−今日の言葉で言えば−−福祉対策の貧しさをおおいかくそうとしたのかもしれない。
 もちろんメリックはそんなことを知るよしもなく、彼は、与えられた〈幸運〉を素朴に喜び、ひたすらトリーヴスに感謝する。だが、身体に不幸なハンディキャップをもち、社会の最下層に追いやられていたこの人物にとって本当に必要なものは、あのような名声やいままでと格段のちがいのある生活などではなく、ごく普通の生活であったはずである。にもかかわらず、めぐまれない者を〈救済〉するという段になるとこういう極端なことしかできないところに、当時の支配階級の考えた〈人道主義〉や社会福祉政策の観念的な性格がある(ただし、こうした性格は、いつの時代も支配体制に特有のものであって、百年後の今日でも決してのりこえられてはいないようにみえる)。
 このへんの矛盾を映画は巧みに表現している。メリックが病院に収容されたとき、彼に目をつけた警備員が、この〈エレファント・マン〉を安酒場の仲間に見物させて小銭をかせぐことを思いつく。そのあげく、ある夜、悪のりした労働者連中がメリックにむりやり売春婦をだかせたり、酒をのませたりして彼をさんざんな目にあわせる。それは一面、身体障害者をいじめる許しがたい行為だが、必ずしもそうとだけ言いきれない面をもっている。むしろ当時の下層社会では、そうしたことがごく普通のことと考えられていた点を考慮すべきだろう。というのは、劣悪な社会条件の下で生きる人々にとっては、あのようなサディスティックな形でしか−−自分たちよりも弱い立場にいる者を血祭りにあげるというやり方でしか−−自分たちのむくわれない生活のうっぷんをはらす手がなかったからである。その意味では、酒に酔うとメリックをステッキでなぐりつけていたぶる興行師バイツの〈非道〉な行為も、単に冷酷な人間のそれとしてよりも、むしろ社会のどん底で絶望的な生活をおくっている人間の自暴自棄的な発作と解した方がよい。映画はまさにこうした複雑な事情を実にクールに凝視し、また興行師バイツを演じたフレディ・ジョーンズをはじめとしてこの映画の役者陣はこうした屈折を見事に表現している。
 それにしても、ここで一番救われないのは、やはりジョン・メリックである。彼は『詩篇』の「……たといわたしは死の陰の谷を歩むともわざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです……」という言葉を暗唱していたが、おそらくそれはフリーク芸人としての彼の屈辱的な生活にわずかの救いを与えていたのだろう。が、そのような生活から〈救出〉されてなお、自分が本当には救われてないことを悟ったとしたら彼は何に救いを求めるのだろうか? 映画の最終場面にひびく彼の母とおぼしき人の声は、わたしには、『伝道の書』の次の一節を想起させた——「・・・いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない・・・」。
前出◎81/ 3/31『キネマ旬報』




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