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2006-10-08

入鹿野端玖氏のメールへのとりあえずのコメント/粉川哲夫

 

以下マジェンタ色の部分は、入鹿野氏のテキストに傍線を付した個所へのコメントである。

【追記】8日以後気づいた点は、オレンジレッド色で付記する。



2006/10/08 17:13
 入鹿野端玖

貴兄の書かれた【シネマノート】の『レント』映画評について、わたくしのブログに以下の批評を書きました。ご参考まで。


しかし粉川哲夫氏には困ったものだ

心なしか、「老害」を嫌悪している響きがしますね :)

同じニューヨークという街を愛する人間として、そして文章を書く人間として、できれば人さまの書かれたことに対してこういうことはしたくはないのだけれども、

ぼくが、ジュリアーニ以後のニューヨークを「愛せなく」なっているところにズレが起きているのでしょう。入鹿野さんは、いまもニューヨークに住んでいるのですか?

さりとてこうした誤謬に満ちた無責任な映画評に対して誰も何も言わなければ、「ああそうなんだ、これが的確な映画評なんだ」などと鵜呑みにしてしまう人も出てくると思うので、粉川氏が「引用は自由です」としていることを踏まえた上で、氏の RENT 評全文を引用し、これに適宜訂正と批判を加えて行く。

 

そういう「使命感」からではなく、単純に反発を感じたから書いたというようにはなりませんか? ぼくの「ノート」を読んでそんな風に思うほど読者は素朴ではないでしょう。ここはネット上であって、印刷された活字のページではありません。ウェブに対し、「責任」概念は従来とは違うものだと考えます。「シネマノート」は、あくまでも「ノート」であって、何を書いてもいいと思います。その代わり、それに対する反論・非難・呪詛も自由です。マスメディアとりわけ印刷メディアとの違いです。

 

  音楽も振り付けもワンパターン(たとえばすぐテーブルの上に乗るとか)で、途中で出たくなった。原作ミュージカルの音楽を大幅に変えているのだが、それは逆効果だった。出演者は悪くないのだから、クリス・コロンバスが愚鈍だったのだ。わたしは、『ハリー・  ポッター』も、彼が担当しなくなってから面白くなったと思う。『アンドリュNDR114』もあまりよくなかった。

 >音楽も...ワンパターン

いったいこの粉川氏には音楽の素養があるのだろうか。それとも昭和16年生まれの方は「エレキギター」の音色を聞いただけで、これはロックンロール、などと思ってしまうのだろうか。

う~ん、ニューヨークを愛する人が年令を問題にするかぁ・・。たしかに「音楽の素養」はないので、ノイズやラジオアートをやっているのかもしれません。

http://anarchy.translocal.jp/radioart/

 

実際 RENT ほどその音楽がバリーションに富んでいるミュージカルはそうない。ちょっと音楽のことが分かる者なら、それぞれのナンバーがタンゴ、ジャズ、チャチャチャ、R&B、ゴスペル、クラシック、ディスコ、そしてトラディショナルショーテューンなどといった、異なるスタイルで書かれていることはすぐ分かるはずだ。

一応、承知しているつもりです。

 

 >原作ミュージカルの音楽を大幅に変えているのだが、それは逆効果
 >だった

ここですでに氏の根本的な思い違いが露呈している。そもそも RENT は、その脚本も、音楽も、演出も、振付けも、そしてそれを演じる役者も、すべてをほぼ舞台のままに忠実に再現したという点で、画期的な映画なのである。

 

映画に舞台の再現を求めるのなら、もっとほかの手があったでしょう。それと、監督の「意図」と映画の出来(観客が見るもの)とは同じではないですね。ぼくの印象もその一つにすぎません。印象は色々あっていいはずです。ぼくは、ここでは、舞台との比較はしてません。映画のなかのコンテキストで言っているのです。

 

そもそも、もし、コロンバス自身がそう言っているのなら、フィルムメイカーとして失格でしょう――というような言い方をすると、また批判されそう――というか、メディア意識に欠けるでしょう。映画と舞台とは違うメディアであり、そのメディア性の特異性に執着するのでなければ、映画でも演劇でも本でもいいということになってしまいます。コロンバスが「再現」という言葉を使ったとは思えませんが、もし、そうだとしたら、舞台とのタイアップ的な宣伝効果を考えて言っただけではないでしょうか? ぼくがコロンバスをクソミソに言っているように見えるかもしれませんが、そこまでは過小評価していません。

 

要するにこの映画のそもそもの目的は、舞台に行けない人にも RENT の世界を見せたい、というものに他ならず、これはクリス・コロンバス自身がインタビューではっきりとそう言っている。試しにブロードウェイオリジナルキャスト版のCDと映画サウンドトラック版のCDを聞き較べてみると良い。舞台では41曲もあるナンバーのうち映画では数曲をカットしていることをのぞいて、両者の間には違いのかけらもない

 

そうでしょうか? 映画の方は、音楽プロデューダーのRob Cavallo の路線が強くはいっていますね。そのレベルの変化を言っているつもりです。音楽そのものではなくて、映画との組み合わせです。どこがどうダメかは、もう一度見直し、聴きなおしてから書きます。

 

 >振り付けもワンパターン(たとえばすぐテーブルの上に乗るとか)

これは舞台を見た方ならすぐ分るだろう

 

映画と舞台とは切り離して論じましょう。ぼくは、舞台にくらべているのではなく、映画としてです。

 

RENT の舞台装置は非常に簡略で、舞台の中央にあるものといえば、テーブルぐらいのものなのである。ワークショップで試行錯誤を繰り返しながら形成されていった RENT の脚本は、朝令暮改で変わることが多かった。しかも RENT のナンバーは歌詞のほとんどが韻を踏んでいるから (これがまた大変なことなのだが) オリジナルキャストはころころ変わる台詞や歌詞がなかなか覚えきれない。そこで彼らはリハーサルでは脚本と楽譜が置いてあった中央のテーブルにしきりと近寄った。その滑稽な舞台上の動きがユニークな伝統としてブロードウェイに引き継がれ、それが映画でも踏襲されている。だから RENT で役者がテーブルの上に乗らなかったら、それは『勧進帳』の花道で弁慶が六法を踏まないようなものなのである。

ですから、その乗り方です。あるいは、乗り方の撮り方です。

 

 >クリス・コロンバスが愚鈍だったのだ

人のことを愚かと言うときは、まず自分の愚かさを顧みてからにしたいものだ。

 

そういうエティケットもありますが、一つのディスクールとして読んでください。日本語には、自分を括弧に入れて「愚弄」したりする語法があり、近年流行のお笑いなどでは常套です。

 

  映画の最初の方のシーンは、まるで60年代のソーホーである。ロフトビルにレント(家賃)を払わずに居座り、友人が訪ねてきたときは、家主に文句を言われるのを避けるために入口の鍵を上から投げて渡す。これは、1960年代にソーホーがまだ倉庫や町工場の街であったころには見られた風景だった。産業構造のシフトとともに、次第に廃屋が増え、そこにスクウォッターとして住みついたアーティストたちは、「不法占拠者」として逮捕される可能性があるので、そんなことをしていた。リンゼー市長(実際にはその下で働いていたのちの市長エド・コッチ)が、都市活性化のためにソーホーをアーティストに貸すという政策を考え出し、ここからソーホーがアーティストの街になり、「ロフト・リヴィング」というスタイルが生まれるのである。これについては、むかし「ソホー――不法居住小史」(『ニューヨーク情報環境論』、晶文社)で書いたことがある。ちなみに、この本は、絶版になったと出版社から知らされたが、AMAZONで検索したら在庫があると出たので、3冊注文したら、3カ月ぐらいたってから、えらく言い訳めいた文章で、「入手不可能」のメールが届いた。文章自体はデジタルで読めるのだが、平野甲賀さんのデザインによる変形本で、わたしも余分に持っていたいと思ったのだった。古本屋にあったら、買うことをお薦めする。

 >映画の最初の方のシーンは、まるで60年代のソーホーである...
 >古本屋にあったら、買うことをお薦めする

しかしこの段落は酷い。ほぼ全文が RENT とはなんの関係もない自著の紹介と宣伝ではないか。そもそも RENT の話はイーストヴィレッジであって、ソーホーではない。こじつけが過ぎる。

 

それは、知っていますが、70年代にニューヨークですこしスクウォッターや海賊ラジオの活動に関わっていたものですから、スクウォッティング活動における初期のソーホーと他のスクウォッティングとのつながりを書いただけです。

 

自分で開設しているサイトで「自著の紹介と宣伝」をしようと、自由であるはずです。「シネマノート」は、その「脱線」が楽しいとメールで書いてくる人もいます。なにか、このサイトを誤解していませんか? 「公共の場」でそんなことするなみたいな語調が感じられます。それに、この個所は、「紹介や宣伝」ではなく、言及にすぎません。自著は、大部分、このサイトに掲載(写真なし、スキャンによる誤植ありではありますが)されていますので、「宣伝」の必要はありません。

 

百歩譲ってこじつけではないとしても、イーストヴィレッジとソーホーという、その成立ちも背景も文化もまったく異なる二つのエリアを一緒くたにしてしまうのはどうだろう。粉川氏のニューヨークに対する理解力というのは、この程度のものなのだろうか。

 

あるenclaveを愛する者は、特にニューヨーカーの場合、他との連関を言われるのを嫌いますね。しかし、横断的な関係はあります。その視点で昔のソーホーを出しただけです。

 

 >友人が訪ねてきたときは、家主に文句を言われるのを避けるために
 >入口の鍵を上から投げて渡す

日本のマンションでも最近オートロックといって、ビルの入口の扉の施錠を自室からの操作で解けようにしたものが増えてきたが、アメリカでは1930年代頃からこれが一般的な形態である。つまり、アパートや集合住宅ならその建物の入口のと各戸はインターカムで結ばれており、友人が訪ねてきたときはこれで本人を確認して自室から解錠する。ところが倉庫やロフトには当然こうした装置がついていないわけだから、自分の方から降りていって来訪者を入れてやるか、上から来訪者に向けて鍵を放り投げるしかない。これはビルのインターカムや解錠装置が故障すれば自分でもやる。家主に文句を言われるのを避けるために云々というのは、粉川氏の考えた勝手な解釈である。

 

これは、それほど「勝手」ではないと思います。シーンを見直してください。ぼくも、いずれチェックしてみます。

 

  この映画の原作ミュージカルは、1996年2月にイースト・ヴィレッジの「ニューヨーク・シアター・ワークショップ」で初演され、その直後の作者ジョナサン・ラーソンの急死事件も手伝って、評判を呼び、やがてブロードウェイに上り、「『ヘアー』以来の大ヒット」とまで言われるようになった。時間と場所は、1989年のクリスマスイブからの1年間のマンハッタンに設定され、映画もそれを踏襲しているが、ここには、原作者の特殊な思い入れというか、観客への暗黙の「約束」のようなものがある。つまり、ここで展開される世界は、一つの「夢」なのであって、この時代のニューヨークとは関係ないのである。実際、ラーソンは、このミュージカルをプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』の翻案として書いたふしがある。つまり、オリジナル・ミュージカルは、「ラ・ボエーム遊び」だったのだ。

 >1996年2月に...初演され

初演は1996年1月13日、初日 (オープニング) は1月25日である。

 

ネットにあった“RENT received its world premiere off Broadway in February 13, 1996.”という記述をうのみにしました。

 

 >その直後の作者ジョナサン・ラーソンの急死事件も手伝って

ラーソンが胸部大動脈瘤破裂で亡くなったのは、初日の日の早朝未明のことである。また確かに急死だが、疾患による自然死であり、「事件」ではない。

 >ここには、原作者の特殊な思い入れというか、観客への暗黙の「約
 >束」のようなものがある。つまり、ここで展開される世界は、一つ
 >の「夢」なのであって、この時代のニューヨークとは関係ないので
 >ある。実際、ラーソンは、このミュージカルをプッチーニのオペラ
 >『ラ・ボエーム』の翻案として書いたふしがある。つまり、オリジ
 >ナル・ミュージカルは、「ラ・ボエーム遊び」だったのだ。

これはすべて粉川氏の作り話である。実際はこうだ。ビリー・アロンソンという劇作家が1988年にある構想に着手した。それは1830年のパリを舞台としたラボエームの甘く美麗な世界を、現代ニューヨークの粗暴な喧噪の中に置き換えたミュージカルにしてみるという企画だった。翌89年になって当時29歳だったジョナサン・ラーソンが作曲者としてこれに加わり、彼は二つの重要な決定をこれにもたらした。一つはタイトルを『La Boheme』から『RENT』に替えること、そしてもうひとつは舞台をアッパーウエストサイドからより現実味のあるイーストヴィレッジへ移すというものだった。それはとりもなおさず、ダウンタウンに住むラーソン自身が毎月の家賃の工面に苦労していたからにほかならない。ボヘミアン イーストヴィレッジが終焉を迎えつつあった1991年頃になると、ラーソンはプッチーニのラボエームという足かせから逃れて、もっと自由なかたちで当時 (1989-90年) のイーストヴィレッジとそこに生きる人々の現実を描きたいと考えるようになる。そこで彼は、将来この企画がブロードウェイで興行収益を上げる成功を得た際にはアロンソンにも収益の歩合を確保するという条件の下に、RENT をラーソン個人の単独企画とすることに合意をえた。これ以降の RENTは、ラボエームのプロットとはまったく関係のない、ラーソンのオリジナル脚本である。さて、なにが暗黙の約束か? 一つの夢? この時代のニューヨークとは関係ない? ラ・ボエーム遊び? 粉川氏、妄想が過ぎる。酔っぱらってでもいたのだろうか?

 

「ラ・ボエーム遊び」という表現が理解されなかったようです。この言い回しを誤解されています。「ラ・ボエーム」との構造的な関係があることは事実です。これは、肯定的に言ったつもりですが、「遊び」という表現がいけなかったのでしょうか?

 

  しかし、映画は、そうした「参照関係」を楽しむような形式では演出されていない。むしろ、1989~90年という時代と実際のイースト・ヴィレッジを思い起こさせてしまうような演出になっている。が、そうなると、この映画の描く世界は、えらく空想的なものになってしまう。1989年にも、トンプキンス・スクウェアの近くとか、一部に「スクウォッター・ハウス」的な場所がなかったわけではないが、このミュージカル/映画のような規模でアーティストたちが「ボヘミアン」的生活をすることはもやや無理だった。すでに、1970年代の終わりごろでも、マンハッタンに住むアーティストたちは、安い住処を追われ、ブルックリンなどに「移住」せざるをえなかった。「ジェントリフィケーション」の大波は、金のないマンハッタンの住人から居場所を奪ったのだ。

 >しかし、映画は、そうした「参照関係」を楽しむような形式では演
 >出されていない。

粉川氏、そもそもラボエームも見た事がないのではないか? オペラをちょっとかじった事があるファンなら、初っ端 Roger (Rodolfo) と Mark (Marcello) が寒いといって原稿を燃やす所から、ロウソクやら落とし物やらがあって Roger (Rodolfo) とMimi (Mimi) が出会い、Angel Dumott Schunard (Schaunard) がうるさいペットを殺して金を稼ぐ所まで、まるっきり同じではないか

 

ですから「ラ・ボエーム遊び」と言ったのです。

 

 >むしろ、1989~90年という時代と実際のイースト・ヴィレッジ
 >を思い起こさせてしまうような演出になっている。

そしてそれが原作者ジョナサン・ラーソンの意図したところであり、クリス・コロンバス監督が忠実に再現しようとしたことに他ならないことは前述した。要するに、粉川氏は RENT の本質がなにであるかということをまったく理解していない。そこで憶測と勝手な解釈の上塗りを重ねるに終止したのである。

 

映画が描く「イーストヴィレッジ」と、入鹿野さんが住んだ「イーストヴィレッジ」と、ぼくが住んだ「イーストヴィレッジ」との印象のちがいでしょうね。ぼくが知り、住んだイーストヴィレジは、1976年から1986年ぐらいですから、しかたがないでしょう。しかし、1980年代から90年代にも(この時期は、レントが高騰したので、ブルックリンが多かったですが)イーストヴィレッジは知り合いもいたし、いろいろな集まりもあり、よく行きました。寝泊りもしています。そのころの印象からすると、映画が描いているほどの規模での活気はなくなっていたという印象なのです。enclaveはありましたが、映画から受けるほどの規模ではなかったと思います。都市の印象は、どの時代に「いい思い」をしたかでちがうわけで、入鹿野さんには、入鹿野さんの思い入れがあるわけですね。まあ、こちらも、「ニューヨークはつまらなくなった」とか言っても、いまでも行けば、世界のどこより「居心地がいい」(「快適」な暮らしができるなどという意味ではありませんよ)と思うのですが。

 

 >1989年にも、トンプキンス・スクウェアの近くとか、一部に「ス
 >クウォッター・ハウス」的な場所がなかったわけではないが、このミ
 >ュージカル/映画のような規模でアーティストたちが「ボヘミアン」
 >的生活をすることはもやや無理だった。

自分は1988年の一時期、East 7th Street & Avenue B というボヘミアン イーストヴィレッジのど真ん中に住んでいた。ゲイの若い子ばかりが40人ぐらい暮らす週払い制の明らかに違法な安宿で、しかも地階ではビルのオーナーが hardcore S/M dungeon を経営しているといういかにも怪しげな建物。そこで暮らしていた男の元に転がり込んだんのだが、当時は仕事もまだパートタイムでろくに金や持ち物もなく、別にこれといった心配事もなければ確固たる人生設計もなかった自分にとって、あのイーストヴィレッジで過ごしたボヘミアンな日々は、毎日が新鮮で、頽廃していて、そして楽しかった。いったい粉川氏はその頃どこで何をしていたのだろうね。

 

ぼくも、「あのイーストヴィレッジで過ごしたボヘミアンな日々は、毎日が新鮮で、頽廃していて、そして楽しかった」という入鹿野さんの表現の「イーストヴィレッジ」をいくつかの場所名にパラフレーズすれば、そういう毎日を送っていました。その痕跡を思い出させる膨大な映像・音データをアップしたいと思いながら、まだ写真の一部ぐらいしかアップできていません。

http://anarchy.translocal.jp/newyork/

なお、1980年代にもたびたびニューヨークを訪れていますが、1988年5月26日には、369 8th AvenueのThe Workman’s Circleで、ピーター・ウィルソン(ハキム・ベイ)が開いてくれた集会で、ミニFMの話(おそらく、ニューヨークでマイクロラジオのことが話されたのはこれが最初でしょう)をしました。ソル・ユーリックのような「年配」の左翼から、若いアナキストまで色々な連中が集まり、当然、当時のニューヨークのストリート・ポリティックスについてのディスカッションもあり、ぼくが、当時のポリティックス(ただしガタリ的な意味での「ミクロ」なポリティックスです、念のため)について知らないでいることは不可能でした。「どこで何をしていたのだろうね」とのことなので、一例を挙げてみました。ちなみに、わたしがニューヨークで「何をしていたか」の一部は、平沢剛さんがわたしにインタヴューした「運動のオートノミーをめぐって」(『VOL  01』、以文社)でも触れられています。

 

  エイズに関しても、この映画は、ミュージカルの「空想」的部分をばかげたリアリズムにおとしめている。この映画のなかで、フォーティーン・ストリートのストリッパー・クラブで働くミミ(ロサリオ・ドーソン)は、街の立ちんぼからヘロインを買い、ロクに消毒もしない注射器で血管に注入する。セックスもコンドームなどしている気配もない。実際に彼女はエイズにかかっているという設定なのだが、1989年という時代にこういうことをやっているのは、よほどのアホである。1985年以後、多くのマスメディアがエイズの脅威について報じはじめている。わたしは、1992年に「ビデオ・アゲンスト・エイズ」という企画を立ち上げ、町田市立国際版画美術館でエイズに関するドキュメンターリー展を開催してもらったが、そのとき、シカゴのヴィデオ・データ・バンクのミンディ・ファーバーらの協力を得て手に入れた多数の映像資料を見て、遅くとも1980年代末には、エイズ患者のあいだでも相当意識が高まっていることがひしひしと伝わってきた。この映画に出て来るエイズ患者のロジャー(アダム・パスカル)のような人物は、別にエイズでなくてもいいような存在で、あえて映画のキャラクターにする必要がないような気がする。ウィルソン・ジェリマイン・ヘレディアが演じるゲイというより「オカマ」のエンジェルは、エイズで死ぬが、その死に方は、本当のエイズ患者に失礼なような死に方だ。

 >エイズに関しても、この映画は、ミュージカルの「空想」的部分を
 >ばかげたリアリズムにおとしめている。

空想と現実というのは、個々の人間によってその地位が180度逆転するという常識を、粉川氏は無視しているか、あるいは理解していない。確かにアメリカでは1984年頃からジャーナリズムがエイズの脅威について報じ始めており、80年代末にはこの病気に対する意識が一般人の間では相当高まっていた。しかし、イーストヴィレッジではまったくそうではなかったのである。そもそも当時のイーストヴィレッジをボヘミアと呼ぶのにはそれなりの理由がある。そこでは一般の常識が必ずしも通用しない独自の理念と現実が人々を支配していたからなのだ。あの頃のトンプキンズスクエアパークなどは、それは酷いものだった。ジャンキーが白昼堂々公園のベンチで腕に注射器を入れていた。それが現実なのであって、決してミュージカルの空想ではない。逆に言えば「80年代末にはこの病気に対する意識が一般人の間では相当高まってきた」という現実が、ボヘミアン イーストヴィレッジでは絵空事以外のなにものでもなかったのである。だから、

 >1989年という時代にこういうことをやっているのは、よほどの
 >アホである。

などと言う人は、当時のイーストヴィレッジの事情をよほど知らないアホといってよい。人のことをアホと言うときは、まず自分のアホらしさを顧みてからにしたいものである。

>街の立ちんぼからヘロインを買い

粉川氏、「立ちんぼ」の意味も知らないようだ。

 

70後半~80初期は、80年代末から90年代にかけてのイーストヴィレッジより、もっともっとシヴィアでした――と言ってもしょうがないですね。それは、すべて、いつどこからという条件が介在しますから。正直、ぼくは、ニューヨークで相当の修羅場をくぐってきたつもりですが、その体験を誇示するようなことはよしましょう。

 

 >エイズ患者のロジャー(アダム・パスカル)のような人物は、別に
 >エイズでなくてもいいような存在で、あえて映画のキャラクターに
 >する必要がないような気がする

 

そもそも粉川氏はエイズというものが何であるのかも理解していないのではないか。ロジャーもミミも HIV+ なのであって、エイズ患者ではない。彼らはちゃんと AZT を服用しているから発症はしていない。我田引水で「ビデオ・アゲンスト・エイズ」という企画を立ち上げたことをここで吹聴する同氏は、こんな基本的なことも知らないのだろうか。またストレートのロジャーや女性のミミが HIV+ である必要性も理解していない。エイズは当時、一般的にはまだ「ゲイの病気」と思われていて、そのため政治家や行政はなかなか本腰を入れてこの問題に対応しようとはしなかった。ところが実際には、麻薬常習者や男女間のフリーセックスによって HIV はゲイ以外の人々にも急速に広まりつつあった。ジョナサン・ラーソンの周囲にもストレートや女性でエイズに倒れ命を失った友人が何人もいた。その脅威というのは、イーストヴィレッジの住人に限らず、当時ニューヨークに住んでいた者なら等しく感じていたことなのである。日本の大学の研究室からはそれが見えていないのだろう。

 

エイズのその程度の知識がなくて、どうしてエイズ患者やHIV+の人の支援活動に参加できるのでしょうか? まあ、いくつか「エイズ」論も書いていますが、自分が書いたものを挙げても、ぼくが「大学人」だという誤解の目で読めば、それらがたとえ「運動」的観点から書かれていても、それこそ「研究室」の人間の抽象論だと言われそうですね。ただ、自分では、「大学教授」という肩書きを付されてはいても、その肩書きにさからうことをしてきた人間で、その「社会的責任」などは感じません。それで「大学教授」失格という批判を受けるかもしれませんが、ぼくなりの教育観や職業観があるわけです。現在も、その流れでやっているつもりです。そのことは、以下に少し書きました。

http://anarchy.translocal.jp/shintai/shushi.html

 

 >ウィルソン・ジェリマイン・ヘレディアが演じる

Jermaine の発音はジェリマインではなくジャーメインである。あのジャーメイン・ジャクソン (マイケル・ジャクソンの兄) と同じなのだが。

 

これは、ケアレスミスですね。ただし、日本で通用している「ジェレマイン」と書こうとしたミスです。ですから、指がもつれなくても、「ジャーメイン」とは書かなかったわけです。固有名詞の日本語表記の問題は、いろいろあります。英語のカタカナ表記も厳密にはいきません。「マックダーナルド」が「マクドナルド」となるのも、いたしかたがないのではありませんか?

 

 >ゲイというより「オカマ」のエンジェルは

口を慎んでもらいたい。粉川氏の頭の中には、女装子 = オカマ < ゲイ、という固定観念があるらしいが、結局のところ同性愛を見下しているではないか。

 

これは、ほかの「ノート」でも見ていただくしかないですね。「オカマ」という表現に対する批判はくりかえししてきましたが、ここであえて「 」付で使っているのは、日本で差別的に表現されている「オカマ」と同列の目がこの映画にはあるということを言いたかったからです。見下しているのは、この映画だという含みです。

 

 >エイズで死ぬが、その死に方は、本当のエイズ患者に失礼なよう
 >な死に方だ。

人はエイズで死ぬのでなく、エイズの引き起こす合併症によって死ぬのだが、そのことはさておき、いったい粉川氏は末期エイズ患者を実際に病床で見たことがあるのだろうか。はっきりと言うが、エイズの引き起こす合併症によって死ぬ人は、実際、みな、あのように、死ぬのだよ。本当のエイズ患者に失礼なのは誰の方か、襟を正して反省してもらいたい。

 

ぼくは、あの描写にリアリティを感じませんでした。むしろ非常にプリテンシャスでした。しかし、映画は、「現実」を再現するものではありませんから、それを批判する基準は「現実」ではないですね。ぼくが見た「エイズ患者」の死は、あっけないものでした。人が撃たれるときも、映画のようにはいきません。

 

  この映画のダメなところは、全体のMC役のマーク(アンソニー・ラップ)が16ミリの撮影機を持ち歩いていることにもあらわれている。何で16ミリなのか? 舞台では、それは、「いま」に距離を置く小道具として意味があったかもしれない。しかし、映画のなかでは、その映像が映り、しかも、それがテレビに買われて放映されるなどというエピソードが出て来るのである。1989年といえば、ビデオは相当普及していたし、テレビではニュース報道でフィルムを使うことはあまりなかった。それが、ライトも点けづに撮った映像が、それなりの明るさで映っていたり、テレビで使われたりするのである。うそもほどほどにしてくれと言いたくなる。

 >何で16ミリなのか? 舞台では、それは、「いま」に距離を置く
 >小道具として意味があったかもしれない。

粉川氏、また勝手な解釈である。プッチーニのラボエームでは、パリのカルチエラタンにある火の気の無い屋根裏部屋で暮らしているのが、画家のマルチェッロと詩人のロドルフだからなのである。画家=映像作家、詩人=ロックシンガーという置換はビリー・アロンソンの当初からの基本構想だった。

 >1989年といえば、ビデオは相当普及していたし、テレビでは
 >ニュース報道でフィルムを使うことはあまりなかった。

これではいかにも世間知らずの大学教授と批判されても仕方がない。確かにビデオプレーヤーは相当普及していたが、ビデオカメラまだまだ巨大でしかも非常に高いものだった。ちなみに自分がニューヨークで初めてビデオカメラを手に入れたのは1999年で、これが当時の価格でも1600ドルぐらいはした。その10年前だから、価格は推して知るべしである。そんな高価の代物をボヘミアンのマークが持っていたら、それこそウソ八百ではないか。そもそも16ミリというのは映像作家を志す者の基本なのであって、全米の多くのフィルムスクールでは今日でもこれを使って実習作品を作らせてい
るところが多い。そんなことは常識なのだが。

 

マークが16ミリカメラを持っていることを問題にしたのではなくて、彼が撮ったことになっている映像が(映画のなかで)あんなレゾルーションで映るわけがない、あの撮り方では、あんな鮮明には映らないと言っているのです。ミュージカルなら、オブジェも身ぶりもシンボリックに描けるでしょうが、一方で、写実的な見せ方をしておいて、これはなんだということです。テレシネの問題です。ビデオを使うというのは、テレビ局の話で、マークのことではありません。ちなみに、ぼくは、1979年から90年代までPaperTigerTelevisionのプロジェクトにかかわっていましたから、「世間知らずの大学教授」でもなかったような気がします。PTTはご存知ですよね。99%ヴォランティアの活動グループです。彼や彼女らとローワー・イーストサイドで海賊放送のワークショップもやりました。

 

 >しかし、映画のなかでは、その映像が映り、しかも、それがテレ
 >ビに買われて放映されるなどというエピソードが出て来るのであ
 >る。

1988年8月6日深夜から7日未明にかけて、イーストヴィレッジは「トンプキンズスクエア暴動」という嵐に見舞われた。これは、トンプキンズスクエアパークに居座るホームレスたちを警官の一隊が追い出そうとしたのをきっかけに、これに反発した「地元ボヘミアンたちが暴徒化して」衝突、重軽傷者44人を出すという流血の惨事になった事件である。ところがその一部始終をビデオに撮っていた近隣の住民がいて、これをテレビ局に持ち込んだことから大騒動になった。そこに記録されていたのは暴徒化したボヘミアンの姿ではなく、群衆に過剰反応して無抵抗なボヘミアンを警棒でめった打ちにする警官の姿だったのだ。マークの映像がテレビ局に買われるというエピソードはこの有名な事件を伏線にしたものなのだが、やはり粉川氏は勉強不足だったようだ。

 >うそもほどほどにしてくれと言いたくなる。

人のことをうそつき言うときは、まず自分がどんなうそつきなのかを顧みてからにしたいものだ。

 

ぼくは、昔から「勉強」はしません。自分で経験し、体験したことを信じます。書くものも、「勉強」して調べたことにもとづいて書いていません。「トンプキンズスクエアパーク」のことは自分の目で見ています。あそこでパフォーマンス・アートの企画をたちあげたクシュシトフ・ウディチコから、彼の「ホームレス・ヴィークル・プロジェクト」(1988-89)で無線機を使いたいので手伝ってほしいといわれましたが、それこそ「特権的なアーティスト」が底辺にすりよるいやらしさを感じ、やめた記憶があります。彼の着眼はユニークだとしても、ギャラリーが、こういうことに金を出すということが、すでに70年代とは異なる状況の変化(よりcooptiveに)だと思うのです。

 

  マークのかつての恋人で、いまは黒人の弁護士ジョアンヌ(トレーシー・トムズ)とレズ関係にあるモーリーン(イディナ・メンゼル)が見せるパフォーマンスというのが恥ずかしい。観客はやんやの喝采を送り、それが、「ホームレス立ち退き計画」への反対集会の目玉パフォーマンスになるという設定だが、この「マルチメディア・アート」まがいのヘタウマパフォーマンスのどこがいいのだろうか? こんな安っぽいパフォーマンスをメンゼルにやらせるのは気の毒であり、失礼ですらある。

 >マークのかつての恋人で、いまは黒人の弁護士ジョアンヌ(トレー
 >シー・トムズ)とレズ関係にあるモーリーン(イディナ・メンゼル)

これは「マークのかつての恋人で、いまはジョアンヌの恋人となっているモーリーン」と書けばいいではないか。わざわざ「黒人の弁護士」などと言うのは、黒人なのに弁護士なんて珍しだろう、といわんばかりである。そして「レズ関係」。恋人関係としては認められないのだろうか。粉川氏、黒人や同性愛者を見下しているようである。

 

再読して、「見下した」表現があれば、改めます。それと、映画の視点と姿勢を信じている入鹿野さんと、そうでないぼくとのあいだには、ぼくの表現が何でも「見下している」ように読めてしまうようですね。この映画は、基本的に、規模の大きな商業映画です。それがどんなにスリよっても、「底辺」や「マイノリティ」には到達できません――という偏見がぼくにはあることもたしかです。しかし、それは映画への偏見であって、それが描く「黒人や同性愛者」への偏見ではないはずです。

ただし、自分の映画ノートをいくつか読みなおしてみて、たしかに「なまったな」と思われる表現に出会いました。ここでの「黒人」もそうですが、ニューヨークに住んでいれば、「黒人」などという十把一絡げの表現ではなく、出身地を言うとか、もっと個的な表現をしたはずでした。これは、日本語で書いていること、日本語を読む読者を相手にしているという暗黙の意識のためでしょう。とはいえ、ハリウッド映画のなかでは、依然として「黒人」対「白人」の構図は消えたわけではなく、この映画も、そういう悪癖を引きずっていないとは言えません。

 

 >この「マルチメディア・アート」まがいのヘタウマパフォーマンスの
 >どこがいいのだろうか? こんな安っぽいパフォーマンスをメンゼル
 >にやらせるのは気の毒であり、失礼ですらある。

粉川氏、アートのアの字も分かっていない。当時のニューヨークでは、まさに、これと、まったく、同じような、アングラマルチメディアアートが全盛だったのである。その中にはイーストヴィレッジから巣立ってかなりビッグになったアーティストもいる。モーリーンの Fly over the Moon は、当時のアートシーンを知る者を思わずニヤリとさせるほどリアリティーのあるパフォーマンスなのに、それをまがい物だの、ヘタウマだの、安っぽいだのと、筋違いの罵詈雑言を吐くのはおこがましい。だいいち、そもそもこのパフォーマンスの「型」をワークショップで試行錯誤の末に創造したのは、お忘れなく、他ならぬイディナ・メンゼルその人であるぞ。なにが気の毒であり失礼ですらあるだ。こんなことを言う粉川氏こそ、失礼千万である。

 

 >モーリーン(イディナ・メンゼル)が見せるパフォーマンスという
 >のが恥ずかしい。

人のことを恥ずかしいと言うときは、まず自分の無知がどんなに恥ずかしいかを顧みてからにしたいものだ。

 

全然コンテキストが違うと思うのです。ぼくが批判しているのは、そういうことを前提としてです。ちなみに、「へたうま」というのは、80年代になって、ニューヨークで、「芸術家の学芸会」とシニカルに言われた「型」がはやったことがあり、メレディス・モンクなどもしばらく染まったことも(むしろ主導したことも)あったようです。ぼくも、イーストヴィレッジでいくつか見ました。ちょうど同時期に日本で「へたうま」という言葉がはやり、80年代中期から末期の「芸術家の学芸会」=「へたうま」という流れで、日本でも「ヘタウマ」パフォーマンスが行なわれたこともありました。ここで使っている「へたうま」には、そういうコンテキストがあります。ぼくは、いまでも、ニューヨークのパフォーマンス・アーティストや「メディア・アーティスト」とは関わりがあるので、イディナ・メンゼルを知らずにそう言っているわけではなく、むしろ、「イディナ・メンゼルその人」だから、ちゃんと撮ってくれ、やってくれと言いたいのです。しかし、ご承知のように、メディア・アートは、メディアをどう使うかがそのあり方を規定しますから、「イディナ・メンゼルその人」がライブスペース(それも一つのメディアです)でどうやろうとも、映画を媒介すれば、別のものになるわけです。そのへんを、コロンバスもメンゼル自身も、ちゃんと意識したかどうかです。

 

  コリンズ役のジェシー・L・マーティンは、オリジナルのミュージカルで出演していた俳優だ。この映画では、オリジナルメンバーが何人も出ている。10年近くたった彼や彼女らが演じるのだから、登場人物の年令を一段上げなければならないが、そういう操作はない。もとのミュージカルは、登場人物たちの若さということも重要なファクターだった。若いから、「俺たちアーティスト、だから家賃は払わない」なんて「ラ・ボーエーム遊び」も出来た。しかし、映画に登場する人物たちは、どう見ても、20代後半(いや、コリンズなどは30代後半にすら見える)に見えるから、そういう連中がこの映画のなかでやることは、決して「ラ・ボーエーム遊び」には見えないのだ。だから、アメリカの一部の批評で言われたように、「アーティストだからといって、家賃を払う必要がないなどという話はなってない」などという愚直な反発をくらうことにもなる。

 >10年近くたった彼や彼女らが演じるのだから、登場人物の年令を
 >一段上げなければならないが、そういう操作はない。

繰り返すが、そもそもこの映画は舞台に行けない人にも RENT の世界を見せたいという目的で作られたものであって、そのために脚本も、音楽も、演出も、振付けも、そしてそれを演じる役者も、原作の舞台をほぼ忠実に再現した点で画期的な映画なのである。クリス・コロンバス監督が自身がはっきりとそう言っている。だから登場人物の年令を変えるなどというのは的外れな指摘である。だいいちそんなルールはハリウッドのどこにもない。『スターウォーズ/エピソード6:ジェダイの帰還』で20代前半のルーク・スカイウォーカーを演じたのは当時31歳になっていたマーク・ハミルだったが、その前に自動車事故で顔面に大きな傷を負っていたハミルの顔はそれこそ四十顔だった。だがルークが老けてみえて嫌だなどということを言う者はいないだろう。それは、野暮、というものである。

 

これも、映画が舞台の代わりにはなりえないものだという認識の前提がちがうから、かみ合うとことはないと思います。映画の進め方ならそうならざるをえないではないかという諧謔です。

 

 >若いから、「俺たちアーティスト、だから家賃は払わない」なんて
 >「ラ・ボーエーム遊び」も出来た

好き勝手な解釈もここまでくると、妄想なのか、酔っぱらっていたのか、締切に追われていい根も葉もない加減なことを書いたのか、まったく理解に苦しむばかりである。RENT の初っ端に出てくる Rent というナンバーで、マークとロジャーは繰り返し繰り返し、正確には15回、なんと言っているか。"How we gonna pay"、「どうやって払うか」だ。そして最後に "We're not gonna pay"、「これじゃ払えない」である。「俺たちアーティストだから家賃は払わない」なんて勝手気侭なことは一言も言っていない。「ラ・ボーエーム遊び」どころか、これは生きるか死ぬかの「家賃の死活問題」なのである。


そんなことを言ったとは書いてません。そういう批判(それは的はずれです)が出てくるのもしかたがないだろうと言っているのです。その批判は、たしかIMDbにありました。なお、ここでも、入鹿野さんは、舞台/映画と「現実」とを等価にあつかっていますね。


なんの評論でもそうだが、特に映画評というのは好き嫌いに左右される要素が大きい。そして嫌いなものには食わず嫌いが多い。だからどうしても映画評は、知らない → 好きになれない → 酷評する、という傾向に陥りやすい。したがってプロの物書きや評論家というのは、よく知らないことについては極力書かないようにする。それが良識というものなのだ。

 

何をもって「プロのもの書きや評論家」と決めるのかは、わかりませんが、少なくとも、ぼくはそのたぐいの者ではないでしょう。メールでも書きましたが、あれは、「ノート」です。「プロ」という場合、それを専業にしているとか、それでもって利益をえているという意味なら、あれは、全く反「プロ」です。ただ、「引用自由」なので、勝手に使われることはあります。それは、ぼくの責任ではないし、そういう「責任」概念が成り立たないのがインターネットだと思います。今回、入鹿野さんの反応を生んだのも、インターネットのおかげであり、ぼくの「良識」はずれが、それを生んだのですから、「知らないことについては極力書かないようにする」というポリシーには反対ですね。


しかしアカデミアの世界に長いこといると、どうしても自分は何でも知っていると錯覚してしまうことがある。自分の友人にもアカデミアに籍を置く外国人が何人かいるのだが、みな日本暮らしが長く、自称日本通、日本語はぺらぺらで読むのも書くのもほとんど日本人並みである。しかしそんな彼らを『助六由縁江戸桜』などに連れて行くともう駄目、舞台に溢れんばかりの「粋」が彼らにはまったく見えず、退屈してしまう。それで結局面白くなかったから、後々になっても助六や揚巻に関しては決していいことは言いわないのである。

 

どうしてこういう誤解を受けるのでしょうね。ぼくは「アカデミア」なんかずっと関係ないです。それと、『助六由縁江戸桜』の「素養」のない人が、与太を書いても飛ばしても、それはそれでいいんじゃないですか?また、ぼくの文章を「知ったかぶり」ととられたのなら、そういう文体での言語パフォーマンスだと受け取ってほしいです。

RENT について、粉川哲夫氏はあまりにも明らかな誤謬を、あまりにも数多く犯している。しかもそうした誤りのほとんどが、氏の勝手な憶測と解釈に基づいたもの、つまり知ったかぶりに起因したものである。現役の大学教授であり、自称ニューヨーク通として著書も多く、映画評論家としてそれなりの影響力のある者が、かりそめにもこの調子では、無責任という誹りをうけても仕方がないであろう。猛省を促したい。

 

たしかに「シネマノート」には全般にわたって「誤謬」や「勝手な憶測」があると思います。あのサイトを「ノート」と名づけている所以です。あのサイトのそもそもの発祥からして、そういう路線でした。映画を映画館で見て、ただちのそのときの印象を書くというものです。

入鹿野端玖さんは、いつどこの劇場でRENTをご覧になられたのですか? ぼくへのご批判には、DVDからの視聴体験が加わっていますか? DVDの場合は、全然メディア環境がちがいますね。

「シネマノート」では、映画を見たときの場の雰囲気やそのときのぼくの気分などによって、ノートの調子は大いに変わります。文字通り「酔っ払って」書くこともあります。RENTの場合は、虫のいどころが悪かったことは事実です。

じゃあ、そんなことは書くなとはいえないと思います。ぼくは、ネットをidiosyncraticに使っています。

インターネットは、大部数の新聞やマスのテレビとちがって、そういうことが可能なメディアです。おそらく、このへんの認識が全然ちがうのでしょう。

そもそも、ぼくは「映画評論家」ではありません。「影響力」なんかあるとは思っていません。あんなものを見て、映画を判断する人がいるとは思えません――このへんも、認識がちがいます。

ちがいは各人それぞれあって当然ですから、反論があった場合は、それを掲載させてもらうようにしています。それが、ぼくの「主観的」なノートとのバランスが取れるからです。

 

最近、あのサイトへのアクセスが増え、「公的性」を主張する人がいて、困っています。インターネットも、アクセスが増えると、マスメディア的に受け取られがちです。にもかかわらず、インターネットはインターネットであって、新聞やテレビとはちがうわけです。そういう特性を生かし、反論はただちに掲載するというのがあのサイトのポリシーです。こういうことは、新聞やテレビ(自由テレビではあります――反論があれば、スタジオに本人を呼んで、話させる等)では(特に日本の場合)不可能です。