「シネマノート」  「Polymorphous Space」


発作的シネマノート (2014-05-02~06-20)

『her 世界でひとつの彼女』のブログとは別に  ジム・マイクル監督『肉』とそのもと作  妥協領域  隠すということ  アメリカ(映画)の(大衆的)フレームワーク  ケヴィン・コスナーの魅力  紙メディアの限定と可能性(『イーダ』のこと)  編集者と執筆者  <発作>以外になにがある?


●『her 世界でひとつの彼女』のブログとは別に
date: 05/02/2014 01:10:32

『her 世界でひとつの彼女』のブログを作って、公開まで思いついたことを書きつらねようと思ったが、そのまえに、この作品だけでなく、ランダムに書いてみるのも面白いのではないかというわけで、このブログをまず作ることにした。

この間、紙メディアとのつきあいが深くなり、というより、紙メディアに新たな関心を持ち、そっちに意識を向けていた(要するに「浮気」していた)ら、「シネマノート」がさっぱりお留守になってしまった。「雑日記」のほうも同様で、あいつはもう死んだんじゃないかと思っているひともいるらしい。

そういえば、ラジオの活動でながらくつきあってきたダニエル・デル・ソラール(Daniel del Solar)が亡くなった。いや、2年もまえに亡くなっているのを知った。メールが来ないから、というより来すぎる(私信というよりニュースを送るのが好きだった)ので、しばらく彼のためのメールボックスを開かないでいたのだった。あらためて開いてみたら、2011年の末でメールがとだえていた。そして、DeepDishTVなどからも彼を追悼するメールが来ていた。

こちらは、デジタルぼけで、こういうことがよくある。共通の知り合いが何人もいるのに、わざわざ教えてくれないのは、わたしがひとでなしだからであるよりも、いまの時代、SNSですぐ情報が伝わるから、知らないはずはないだろうと思って知らせないことが多い。が、わたしはとうのむかしにFacebookをやめてしまった。

ポール・ピッコーネ(Paul Piccone)の死を知ったのも、だいぶ経ってからだった。彼は、ある意味で人望がなかったから、死んでも盛大に悼まれるということがなかったらしい。が、わたしにはいい思い出たたくさんある。

いや、こんなことは、「雑日記」に書くべきで、ここでは映画のことを書くつもりだった。

そう、あるひとが、いきなり、<無人島に住みたい>と言った。理由は、無人島に住めば、寂しさなんかを感じないで済むからだというのだが、そのひとはそんなに寂しいのだろうか、と思った。それは、『her』の話をメールでしていたときだったので、主人公のセオドアに感情移入したのかもしれない。

ある意味で、この映画は、寂しい男の話である。しかし、この映画は、同時に、いまのメディア状況を実によくとらえている。AIとかロボットとかとのつきあいの問題もなかなかリアルに描かれている。

わたしは「寂しい」という意識を持ったことがない人間なので、セオドアが「寂しい」毎日を送っているようには見えなかった。これが、「社会」が希薄になった時代にあたりまえの環境かなと思った。

しかし、「寂しい」という感情というか心境というか、はインスパイアリングである。

そういえば、むかし(習いはしなかったが、顔を合わせたことのある)仁戸田六三郎(にえだろくさぶろう)という早稲田の哲学の先生は、いつも一杯飲んでいる感じのぼーっとした感じのひとだったが、むずかしい本よりも一般受けのする本も書いているひとだった。その先生が、<日本人は全体が隠者だ>、だから<日本は一種の隠居場みたいでもある>と書いていた。

もしそうだとすると、別に<無人島>に住まなくても、日本人は、すでに<無人島>に住んでいるわけだ。

ああ、そういえば、ジル・ドゥルーズの未発表論文などをどっさり集めた本のタイトルが、『無人島』だった。

<人が島を夢想するとは、その人が分離すること、すでに分離されてあること、大陸から遠ざかり、一人ぼっちで寄る辺もないこと、を夢想することにほかならない。あるいは、それはゼロからの再出発を、再創造を、再開を夢想することである。>

無人島とは、わたしに言わせれば、<ウ・トピア>であり、あるようでなく、ないようである場所(トピア)だ。

今日はこのへんで。


●ジム・マイクル監督『肉』とそのもと作
date: 05/02/2014 01:45:58

『キネマ旬報』5月下旬号の「ハック・ザ・シネマ」〔→ハック・ザ・スクリーン〕でジム・マイクル監督『肉』を取り上げたが、もっと紙幅の余裕があれば、この映画のもと作になっているJorge Michel Grauのメキシコ映画Somos lo que hay(2010)(英語題名は、『肉』と同じWe are What We are)との比較をしたかった。
このもと作は、『猟奇的な家族』という邦題で、2010年9月に開かれた第7回「ラテンビート映画祭」で公開されている。
この作品は、「ホラー」というジャンルに組み込まれる傾向があるが、見てみると、それが単純すぎることがわかる。
『肉』は、厳粛なトーンで撮られているのに対して、メキシコ版は、もっとジャーナリスティックに撮られている。
人間の肉を食わなければいられない家族がいるという設定は、『肉』とおなじ。が、メキシコ版は、食われる相手が売春婦で、どこかに<罰>を加えるといったモラル的な要素があり、メキシコの底辺社会のなかのさらなる底辺の人間が、もうちょっと上のモラル的に許せないという体裁の売春婦を殺して食うのである。
ドラマとしての絶望感は、メキシコ版のほうが深い。

『肉』では、冒頭から一家の母親が奇病で死に、父親と二人の娘、幼い息子のファミリーの話が展開するが、メキシコ版では、父親が売春宿で飲んだくれたあと街頭でぶっ倒れる。子供たちの構成も、アメリカ版と逆転している。

だから、その後は、母親が一家を支えることになる。この母親は、売春もやるのだが、街頭で客を引くケバい女たちとは違い、車のなかで陰惨な雰囲気で客を引く。このへんの「階級制」がこの映画の核心にある。


●妥協領域
date: 05/04/2014 02:55:35

『her 世界でひとつの彼女』について考えると面白くて、次々に「発作」が起こって、そのために特設したブログのほうに発作的ノートを書き込んでしまい、ここがおろそかになる。皮肉な話である。

が、先ほど、英語のセリフを細かく分析しながらながながと発作的な文章を書き連ねるなかで、<妥協領域>という言葉を思いついた。これは、紙メディアが電子メディアにシフトしつつある本の世界を考えるパラダイムになるだろう。

『her』のひとつの面白さは、メディアが関係を変えてしまうという点だが、だからこそ、わたしは、古典的なウェブかブログかSNSかといったメディア的な関係性の差異にこだわっている。が、どのみち、人間は、どこかで古いものをひきづっているわけだから、電子メディアを使いながら、紙メディアの名残を引きずりながら使うことになる。そして、そういう過渡期になんらかの<妥協領域>が浮上することになる。

電子メディアの急速な突出の過程で、メールは、紙メディア的な関係と電子メディア的な関係との<妥協領域>の役割を果たしている。紙に書いていた文字をモニタースクリーンの上に打ち込んでも、紙との縁がすこし残る。

紙――つまりフィジカルな身体・物的な場――を完全に忘れてしまうならば、文字も忘れられるかもしれない。アイコンや絵文字のようなものがとってかわり、アルファベットも漢字も、古い儀式の記号としてしか意味を持たなくなるかもしれない。

コミュニケーションは、ますます発作的になり、コミュニケーションも「概念的な理解」から直観的な「合点」になる。

そこで浮上してくるのが、テレパシックなコミュニケーションである。

その場合、映像よりも音のほうが向いているかもしれない。他人とのコミュニケーションの際、人間が機械に頼らずに出せる信号は、映像的には身ぶりであるが、音のほうがすでに既得のものになっている。

しかし、たとえ音や声が文字に代わるコミュニケーションの媒体になるとしても、その段階はまだ、身体の延長の域を出ず、電子メディアにとってはものたりない。電子テクノロジーならば、神経細胞そのものに働きかけるエレクトロ・ケミカルでバイオ・エレクトロニックな領域を制御することができるだろう。


●隠すということ
date: 05/05/2014 18:26:55

早朝にポストまで郵便を出しにいきながら思ったことがある。

海外――こういう言いかたはすでに「日本」を最初から――「日本」でひとくくりにして――ななめに見ようとする偏見にみちた姿勢なのだが、要するにアメリカやドイツやフランスやスイスといった国の都市部の街を歩いていて発作的に気づくことなのだが、家の窓からなかがよく見える。
これに対して、「日本」では、明るい光が射し込む窓をカーテンで閉ざす家は多い。
しかし、ドイツだったか、窓からなかがよく見えるかたといって、興味ぶかげに覗いていると、あからさまに追い払われたりもする。金持ち喧嘩せずで、なかから笑顔で手を振り、友好的な態度をとることもある。だが、タテマエとしては、窓が「開放的」であるからといっても、見て見ないふりをして通りすぎるのがエチケットらしい。
どこの国にもタテマエはある。
とはいえ、タテマエにはその国の性格が露呈することは確かだ。
日本の家々が、比較的に、閉鎖的なのは、見えても覗かないというタテマエがまえにはあったが、いまは壊れてしまったので、露骨に閉ざし始めたということなのだろうか?

ごみ収集のために路上に出す生ごみは、以前は黒のビニール袋に入れて出していたが、ある時期から、中が見えるようにと黒から半透明のビニール袋を使うように指令が出た。明らかに業者と行政とが癒着していて、ご指定の袋が出回るようになった。
しかし、いざ半透明の袋が使われるようになると、たいていは、新聞紙などをはさんで中が見えないようにして出している。これは、早朝に街を歩くと観察できる。
こうしないとカラスが袋を破るからという理由を説くひともいるが、実際には、中身を見られるのが嫌なのだ。つまり隠しているのである。

日本には、ある種の「隠者」文化というものがあって、基本的に「人嫌い」の伝統がある。身内と他人との区別が強い。

映画における性描写に対するあいも変わらぬ不可解な姿勢――ようするにわけのわからないぼかしをいれたりすること――も、アジア的モラルといった側面からよりも、日本の<隠者性>のほうから考えたほうがわかりやすいかもしれない。


●アメリカ(映画)の(大衆的)フレームワーク
date: 05/07/2014 20:13:31

『ダイバージェント』(Divergent/2014/ニールバーガー)は、地球戦争後の「未来」をあつかっている。シカゴに生き残ったコミュニティでは、人間を精神・身体テストで「博学」、「勇敢」、「高潔」、「平和」、「無欲」の5「派閥」(faction)に分類する。テストでこの5のカテゴリーに入らない人物は「異端」(ダイバージェント)として危険視される。
若者は、成人するとき、テストを参考にしてどの派閥に属するかを選ぶ自由さがあるが、実際には、テストの「適正」に従うし、テストで「異端」とわかった場合は、それを偽ったどれかの派閥に属するか、ホームレスのような放浪と逃亡を余儀なくされる。

この映画が<傾向的>なのは、最初から、その意図がみえみえだからである。明らかのアメリカの「保守層」受けをねらっている。

アメリカの「保守層」が嫌う映画のいくつかのパターンがある。
・反ファミリー―家庭・家族なんかどうでもいいという思想や行為。この映画では、ファミリーよりも「派閥」(faction)が重視されているということは、この世界はいずれは克服されるべきことが前提されている。
・博学や知識人――知識よりも腕力や根性の優先。知的であることはエリートであり、「大衆的」ではない。
・異端や個性の軽視――上と矛盾するようだが、個人志向や独力でのしあがることはよしとされるが、それは、知識のような後天的なイメージのあるものによるユニークさではなくて、体力(スポーツ)とか美貌とか天才のような、非学習的なものを基準とする。
赤狩りの時代に「共産主義」や「社会主義」は、地域よりも連邦主義をこれらが重視するとして、危険視された。アメリカで「国民健康保険」の制度が実現しないのも、連邦重視を危険視する発想のためだといわれる。

『ダイバージェント』は、こうした「ファシズム」的要素をいったん強調しておいて、その瓦解を描くわけだから、<傾向的>なのである。ただ、ニール・バーガーは、「保守派」にはなりきれない監督(『幻影師アイゼンハイム』は傑作だった)なので、その<傾向性>に迷いがあり、「保守層」がもろ手を挙げて歓迎できないところもある。わたしなんかには、そこが見どころだった。

この世界では、『ハンガー・ゲーム』のような世界を『マトリックス』的な寝台のうえで体験できるようなシステムが実現している。それは、「派閥」選別のテストに使われるのだが、もしこういう技術が実現しているのなら、やらなくてもいいような(情報よりも)腕力による闘いや暴力的な支配が横行する。

未来や近未来を描く映画では、しばしばそれが前提しているテクノロジーとそのドラマとのあいだで矛盾が起きている。『トランセンデンス』などもそうだった。

平均的な「大衆」的観客を意識するとこうなるのか? オーソン・ウェルズの時代から、才能のある監督が思い通りの作品を作れず、「大衆」路線に堕してしまうのは、たいていは、製作側の問題である。

「大衆」をバカだと思ている製作側には、いまの<身体問題>がわかっていない。身体の状況が激変していることがわかっていない。

身体をヴァーチャルに自在に処理できるという前提を置くのならば、身体がうごめく世界をあたりまえには描けない。にもかかわらず、それはあたりまえにしておくので、話が矛盾してくるのだ。

この映画でも、首にブスリと注射をして、脳内でヴァーチャルな試練を受けるテストのシーンが何度も出てくるが、このヴァーチャルな世界と「現実」世界との切れ目があいまいになるあたりを『幻影師アイゼンハイム』の流れで、もっと過激化すれば、ニール・バーガーらしかった。


●ケヴィン・コスナーの魅力
date: 05/09/2014 02:11:01

ラストミッション』を見た。iMDbでもRotten Thomatoesでも、評価が低いのでかえって見たいと思ったのだ。だいたい、リュック・ベッソンがからんでいる作品はうすっペラなものが多い(ただし、最近は「商売人」ベッソンもすこし違ってきている――これについてはいつか書きたい)。監督はマックG。

ぜひ見たいと思った直接の理由は、ケヴィン・コスナーが主演していることであった。ケネス・ブラナーの監督作品『エージェント:ライアン』を見たとき、脇役の彼を久しぶりに見て、主役の彼を見たいなと思っっていた。

それは裏切られなかった。たしかに、奥行きはない。が、銃撃シーンは、納富久貴男さんのようなガンエフェクトのプロに細部のことをきいてみたいほど見応えがある。それは、もっぱらケヴィンの技とそれを活かす技術陣のおかげだが、『エージェント:ライアン』でもケヴィンが銃を持つと、絵柄がキリっとするのだった。

日本語版 Wikipediaには、不評の理由として、「高度な技術を要したアクションシーンと底の浅い家族の葛藤の描写が調和していない」といわれると書かれていたが、その「底の浅い家族の葛藤」を一応は見られるものにしたのはケヴィンの力だろう。

たしかに、ケヴィンが演じるCIAの殺し屋のイーサンは、神経膠腫(グリオーマ)(脳の癌だという)であと3か月か5か月の命というわざとらしい設定とか、仕事で娘や妻の約束を裏切りっぱなしで妻と娘から愛想をつかされるとか、こんなに殺していいものかというワルを殺す必然性の無理、アイロニーを取り払ったマドンナみたいなつくりのCIAの女ヴィヴィ(アンバー・ハード)のとってつけた存在、パスタソースの無理して作ったユーモアなど、けなせばきりがない。

しかし、それを破綻させずに終わらせるケヴィンの腕は相当のものだと思えないか? 「底が浅い」というが、「父親がいつもいなかったから自転車の乗り方もわからない」というスネた娘(ヘイリー・スタインフェルド)に、モンマルトルの丘のうえのサクレクール寺院のそばの広場(Square Louise Michel)で自転車の乗り方を即興で教え込むシーンはなかなかいい。

神経膠腫でときどき意識が混濁し、倒れ込んでしまうと、どこからともなく現れたヴィヴィが、お化けみたいな注射器で試験中の特効薬を打つとなんとか力をとりもどすとか、マンガみたいな設定にもかかわらず、そこに陰りや身体感覚を出し、マンガにはしないのも、ケヴィンの演技の確かさである。

まあ、とにかく、ケヴィン・コスナーが、「正義感」でも「ワル」でも「パパ」でもないサムシング・エルスを演じているところを見ると、彼の実力を最大限に活かした主演作品をまだ何本でも作れると思う。彼のような大スターがいい作品にめぐまれないのは、彼がダメになったのではなく、彼を活かす側がダメなのだ。


●紙メディアの限定と可能性(『イーダ』のこと)
date: 06/09/2014 01:00:02

紙メディアとここでいう場合、出版社があり編集者やデザイナーのいる紙メディアつまり本・雑誌・新聞などを想定しているのだが、その場合、出版社や印刷所のコンピュータに直接アクセスして文章を打ち込むということは(いまのところ)まったくない。原稿を打ち、それを編集者に渡すわけだが、その場合、通常は、字数制限というものがある。最初から厳密に文字数と行数が決まっており、その枠のなかに文章を埋めていかなければならない。

これは、ウェブやブログとは大違いであり、文章を発語するということには大いなる障害であるようにもみえる。しかし、実は、これが紙メディアというものの表現形式であり、その制約のおかげで生まれる独特の表現なのだと考えなければ、意味がないだろう。俳句がその字数制限によって独特の表現形式になったのと同じである。

わたしが目下、月2回連載している『キネマ旬報』の《ハック・ザ・スクリーン》という枠は、縦14文字で89行という制限がある。通常は、その約1246字のなかに収まることを考え、14行に設定したWORDのページのうえで一気に書き、多少増えた行を調整して89行にするわけだが、ときには、最後のピリオドを打つと、ちゃんと89行になっていることもある。

だが、ときには、字数制限を無視して、何倍もの原稿を書いてしまい、あとで調整に苦労することもないではない。それは、キーボードに文字を打ち込んでいるうちに、作品への思いがつのったり、発作的に思いついたことがあふれ出て、指がどんどん走ってしまう場合だが、ときには、〝啓蒙〟根性のようなものが出てしまうこともある。半身ながら教師なんかをやっていたからだろうか? いや、〝啓蒙〟根性が出てしまうのは、多くの場合、映画評に関しては、試写会でもらうプレスの解説があまりにひどかったり、また、どこかで見た作品評に大いなる反発を感じたりするときだ。

『キネマ旬報』6月下旬号の《ハック》に書いた「仮想を歓迎する映画」という一文は、前者の理由に触発された部分が大きかったのだが、いまどき、イエジー・カヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』(1961)などを持ち出すほうが無理なのかもしれない。だが、明らかにこの映画を前提にして作られた作品について、それを無視して語るというのは、映画評として不十分すぎるのではないかとも思うのだ。

そんなわけで、『キネマ旬報』の一文を読んでくれた読者のために、ノーカット版を掲載しておこうと思う。作品は、ポーランドのパベウ・パヴェリコフスキー監督の『イーダ』(Ida/2013) である。この作品は、あえてフレームサイズを『尼僧ヨアンナ』と同じ、1:33/1のモノクロで撮り、すでにこの点でも、『尼僧ヨアンナ』への想起をうながしている。
◇ノーカット版◇『イーダ』について
 フレームサイズが1:33/1のモノクロ、主人公が修道女であるパベウ・パヴェリコフスキーの『イーダ』を見て、わたしは、イエジー・カヴァレロヴィッチの『尼僧ヨアンナ』(61)を思い出さずにはいられなかった。

 早速ふるいVHS版を出してきて見直したが、モノクロ映画としても古びていない。主役のルチイーナ・ウインニッカも、これほどまでの演技はそのまえもあともしていない。その美しさと不思議な〝統合失調症〟的キャラクターはむしろいま的である。

 『尼僧ヨアンナ』に関しては、これまで肝心なところが理解されずに来たような気がする。ポーランドのひと気のない修道院のかなり上の修道女ヨアンナが悪魔憑きにかかり、大司教からエクソシストの使命をうけた神父スリン(メチスワフ・ウォイト)が〝治療〟に派遣されるのだが、ヨアンナに魅惑されてしまう。が、ここが実に微妙な描きかたで、単なるロマコメ的なよろめきとは描かない。まさにユダヤ・キリスト教的屈折として描く。

 ヨアンナに憑りついた悪霊は、これまでキリスト教的な悪魔(サタン)と解されてきたが、実は、ユダヤの悪霊(ディブーク)と解すべきだという説もあり、そう取ると、話がすっきりする。
 カヴァレロヴィッチはここで単にエクソシズムのホラーを描いたのではなく、この時代にも潜在したユダヤ人差別の問題をその根源にさかのぼって問題にしているのである。実際、スターリンはユダヤ人を差別し、数々のユダヤ系政治家やアーティストを粛清した。ポーランドでは、ナチを倒した新政権(共産主義)になっても、かつてのポグロム(民間人がユダヤ人の〝部落〟を襲い、虐殺をする)の〝風習〟は抜けていなかった。『尼僧ヨアンナ』では、時代設定は17世紀だが、ユダヤ人差別の報いがキリスト教の聖域である修道院で起こるのである。だから、エクソシストの使命をおびたスリン神父が激しい論争をするラバイ(ラビ/ユダヤ教の教父)を同じ俳優ウォイトに演じさせている。ユダヤの悪霊(デュブーク)とサタンとどう違うかをここで論じることはできないが、コーエン兄弟の「シリアスマン」(09)のプロローグでイーディッシ演劇の「ディブーク」のプロットをそのまま使っているのは、コーエン兄弟のユダヤ的出自の示唆であり、考えて見れば、彼らは〝ディブーク〟のヴァリエイションを描き続けていると言えないこともない。

 とにかく、『尼僧ヨアンナ』は、当時のポーランドでは直接法では描きにくいユダヤ問題を屈折したやりかたで描いているのであり、『イーダ』もまた、そのスタイルをオマージュ的に継承しているのだ。『イーダ』がヨーロッパやアメリカで(一見その地味すぎるとも思える外見にもかかわらず)多くの観客を動員したのは、この映画が、ポーランドのみならず、「西欧文明」の根本にあるユダヤ問題をあつかっているからであり、ユダヤ系の観客の動員数だけでも、相当数にのぼるからである。

ちなみに、ポーランドでは、ユダヤ問題への自己批判的傾向がたかまっていて、アンジェ・ワイダの「カティンの森」(09)の脚本を書いたブワディスワフ・パシコフスキの「Poklosie」(英語題"Aftermath")(12)も大ヒットした。これは、すでにナチが撤退したあとにもポーランド人によるユダヤ人虐殺があり、ポグロムの根は依然深いという話である。『イーダ』はこの映画のヒットを前提にしているので、ユダ人差別をおどろおどろしくは描かないのであり、その分、こうした背景を知らないと、この映画を、失踪した親さがしの〝ロードムービー〟といった脳天気な話として受け取ってしまう。

 『イーダ』の時代設定が1962年なのも暗示的だ。孤児として修道院で育ったアンナ(アガタ・チェシェブホスカ)は、修道女になる式をまえに、院長から、唯一の親戚である叔母のヴァンダ(アガタ・クレシャ)に会ってくるように言われ、街に出かけるが、そのついでに彼女が、映画館で『尼僧ヨアンナ』を見たかもしれないという映画外の想像をくわえてみるのも面白い。修道院で育ち、そこをほどんど出なかったらしいアンナがそんなことをする可能性は薄いが、叔母のバンダは判事をやっていて忙しそうにも見えるから、〝あんた、ちょっと映画でも見て時間をつぶしてよ〟ぐらい言い、〝あんた向きの映画があるわ〟と、まさに公開中の『尼僧ヨアンナ』を見せたかもしれない。

とにかく、『イーダ』は、繊細な音採りと、〝暗号〟を仕込んだディテールのために、見る者がスクリーンを体外離脱して奔放にその奥行きを拡大できるのである。

 表題は、アンナのユダヤ名で、ホロコーストにポグロムが加わった40年代のポーランドの複雑なユダヤ人問題の主題につながるのだが、その話は映画で見てもらうとして、ここではヴァンダに焦点をあててみる。

〔彼女は、叔母に会い、初めて自分がユダヤ人であることを知る。強制収容所行きを免れていったんは森に隠れるが、ポーランド人の村人に殺され、家を奪われる。そういう過去の傷に悩んでもいるポーランド人の葛藤もえがかれる。両親の遺体は、殺した村人によって森に埋められていた。そのことを探しあてていくのをもって「ロードムービー」だというのだが、それはちょっと見当はずれだろう。〕

 ヴァンダは、共産主義政権のエリートであり、かつては検事として〝人民の敵〟を摘発してきた。が、50年台後半から〝雪解け〟がはじまり、ワイダやカヴァレロヴィッチやポランスキーらの映画も活気づいていた。彼女のようなエリートは、スターリニストとして批判にさらされる。
ナチズムと闘い、新制ポーランドを勝ち取った世代のヴァンダは、その後の官僚主義化が許せず、それに加担している自分も嫌悪しているが、なすすべもなく、酒と男に溺れて投げやりに生きている。とはいえ、彼女のようなタイプは少数派で、やがて官僚主義派は反撃を開始し、つかのまの自由は圧殺される。
 
 彼女は、結局、モーツアルトの交響曲41番のレコード(ユダヤ系のブルノ・ワルター指揮のものを使っている)をかけながら窓から飛び降りるのだが、そのまえに写真をテーブルのうえに並べて見ているシーンがある。YouTubeのトレイラーでも映っているので書いてしまうが、家族や親戚と思われる写真のあいだに強靭な意志をみなぎらせた女性の顔写真が見える。そして一瞬その写真のピントが強まるのである。
それで気づいたが、この女性はイレーナ・センドラーだ。反ナチの地下組織〝ジェゴタ〟の活動家として、ナチの魔手から2500人にものポーランドのユダヤ人の子供たちを逃した歴史的な人物である。

 ヴァンダが、戦中〝ジェゴタ〟の一員であり、幼児のアンナがその出自を知らぬまま修道院に保護された背景にセンドラーの尽力があったと考えると、この映画の背景がグッと深まる。
『尼僧ヨアンナ』は、カソリックの修道女にユダヤの悪霊が憑(と)りつき、それを救おうとするエクソシストの神父がみずからその悪霊をわが身に憑り込む話であるが、『イーダ』の最後の十数分のシーンは、なにかがアンナのなかに憑りついたことを示唆する。

 アンナは、自殺した叔母のアパートメントの片づけと葬儀を済ませるのだが、そのとき叔母の服を着て、初めてハイヒールを履く。ヴァンダがやったように、煙草を吸い、ウォッカを飲んでみる。まさに、みずから〝悪霊〟を体内に呼び込むのである。そして、ヴァンダとの旅の途中で知り合ったサクソフォン奏者(これも、徴兵拒否をしていて、当時のポーランド情勢との関係で示唆しるところ大)を訪ね、初めての愛の行為をする。彼がまだ眠っているあいだに、そっと抜け出し、修道院へ戻っていく。彼女の表情はなにごとも起こっていないかのようだが、これはなかなか怖いシーンだ。修道院に帰った彼女が以前のままではいられないだろう。

 ここだけ心象描写的に流れるBGMが、ポーランドの作家スタニスラム・レムの原作にもとづくタルコフスキーの「惑星ソラリス」で使われたバッハのコラール(BWV639)であるのも暗示的である。

 反動と造反。5月革命やプラハの春と連動したポーランドの60年代末の状況、さらにワレサの「連帯」の反政府活動、その弾圧、そしてその勝利が形になる90年代。アンナは、生きていればいま70歳を超えているはずだが、彼女が修道院に居続け、院長になったと想像するのは無理である。ひょっとして、彼女はワンナイトスタンド・ベイビーを生んだかもしれない。映画が終わったあとからはじまるアンナ/イーダの物語を想像するのはスリリングである。



●編集者と執筆者
date: 06/14/2014 07:03:51

2012年5月から始めた「ハック・ザ・スクリーン」(『キネマ旬報』)の連載を7月上旬号で終わりにすることにした。直接の理由は、編集を担当していた島崎奈央氏が退社することだが、ちょうど50回でキリがいい(→【追記】参照)と思ったこともある。

そもそもこの連載を始めたきっかけは、同誌の2010年3月上旬号から「星トリ」を担当することになり、その間に毎号短い原稿に対して示す島崎氏の対応が久しぶりにわたしに紙メディアの面白さを思い出させてくれたからであった。

紙メディアと編集者については、近く出る『メディアの臨界 紙と電子のはざまで』(せりか書房)の冒頭の章で詳しく論じていることだが、かつて、雑誌や新聞に書く場合、わたしは、担当編集者と最低1時間以上の打ち合わせと出来上がった原稿を手渡し、閲読してもらうという、いまからみれば〝やっかい〟なプロセスに慣れ、それを愛してもいた。が、それは、周知のように、いまではほとんど消え去った。

それは、それでいいと思うが、1995年にウェブサイトを立ち上げて、その後「シネマノート」のような映画ジャーナリズムのサイトを立ちあげてみると、どうせ編集者不在なのならば、紙メディアよりもネットのほうが自由で、読者のリアクションを期待できると実感した。そこで、紙メディアから電子メディアに執筆の重心を移しはじめたのだが、作品社の増子信一氏が、わたしがそれまでに新聞や雑誌に書いた映画評をまるごと時系列で集めた本(『シネマ・ポリティカ』1993年)を作ってくれたことも、ある種の〝清算〟という意味で、その重心移動を後押しした。

むろん、その後も、求めに応じて、映画をふくめ、ジャーナリスティックな文章を紙メディアに書いていたが、島崎氏に会うまでは、紙メディア上に積極的に映画評を書く気力を再燃させる機会はなかった。映画に関しては、『スポーツ報知』に短歌のような字数の映画評を書いていたが、ここでの編集者というのは原稿を添付したメールの受取人にすぎず、作品名を決める事務的なやりとり以外は、内容のあるメールのやりとりはなく、何人も編集者が替わったが、メールで世間話をする機会もなかった。ウェブの「シネマノート」は、そういう執筆環境の空虚さを埋めるものとして出発した面もあった。

単発ものでは、猛烈なメールのやりとりや、〝古典的〟な面談をも重ねたすえに原稿を渡すという方式にめぐまれたこともないわけではなかったが、定期ものでは、この〝報知方式〟がふつうであった。そんななかにあらわれたのが島崎奈央氏である。彼女は、メールの対応が的確だった。執筆前の何度かのメールのやりとり、その末に書いた原稿に対するインスパイアリングな感想が、わたしを元気づけた。これなら、紙メディアに書くのもわるくないなという気になったのである。

メールというのは、電子メディアであるから、瞬時が理想である。返事も、1日が限界だ。メールの1時間は、手紙の1日に該当するという時間感覚がわたしには浸み込んでいる。島崎氏は、『UNIX MAGAZINE』(アスキー)の連載担当だった川崎通紀氏のようにこちらのメールの数分後には返事が来るというわけにはいかなかったが、すくなくとも、1日以内には返事をもらえた。(ちなみに、川崎氏とわたしとのやりとりは、紙メディアに書きながら、彼と共同でウェブページをつくっているような気分にさせた。これは、紙メディアと電子メディアとの融合形式であり、いまなお発展されるべき編集・執筆関係だろう。)

島崎氏とわたしの関係は、古典的な編集者と執筆者の関係とは違っていた。会って打ち合わせることはほとんどない。大半がメールのやりとりである。が、とりわけ感想がユニークだった。彼女のメールによる感想には、ほとんど批判がない。ある意味では、ほぼ全面肯定だ。こちらも、ちゃんと読んでくれることがわかっているから、手は抜かないが、ちょっと甘すぎるなと思わせる感想だ。が、「面白い」と言ってくれたあとで、表現に関していくつかのさりげない質問がある。つまり、その表現の部分に関しては、わからないではないが、わかりにくいということを暗に示唆している。そこで、わたしは、そういう質問が入っているときには、ほぼ全部書き直すことにした。

締切についても島崎氏は大胆だった。

かつて『報知スポーツ』の短歌か俳句のような映画評のとき、短文にも凝ろうとしていたわたしは、締切ぎりぎりまで文章を練ろうとして、(朝昼とりちがえた生活をしていることもあって)原稿を送ったときには、締切がすぎていたのだった。が、担当の編集者は、初刷りが出たあとでわたしに連絡してきた。「まだ原稿が入ってないんですが」と。初刷りは、どうしたのかと訊くと、しょうがないから白で出しましたが、これから入れれば大丈夫ですからと言うのだ。これは、なかなか過激でいいと思うが、むかしは、締切の駆け引きというものがあり、編集者は相手がなかなか書き上げない傾向がある場合には、早めの締切を提示したり、あるいは、やんやの督促をするとかいうパフォーマティヴな儀式があった。が、そのうち、メールで原稿を渡すようになってからは、もうあと1時間というときに本気の締切を言ってくるような編集者が登場した。だから、こちらが気を使わないと、白い部分のある新聞が出たり、大急ぎで記者が〝うめくさ〟をかかなければならないとかいう非常事態が起こる。

島崎氏は、締切を過ぎても絶対にさわがない。こちらは、締切がちかづくスリルを味わいたいから、送信するのをひきのばす傾向があるのだが、もうそろそろ校了日じゃないかと思う日が来ても「いかがでしょうか?」ぐらいのメールしかよこさない。これは、かえってスリリングなことだ。おそらく、彼女はかなり無理をしていたのだと思う。が、校了まぎわに原稿をまるごとすり替えても、文句ひとつ言わずに活字にしてくれた。だから、「ハック・ザ・スクリーン」には、たいていの場合、いくつかのヴァージョンがある。それらは、すべて自主的な書き換えや書き直しであり、むかしの編集者のように書き直しを依頼・要求してきた結果ではない。が、命令や要請ではなく、書き換えさせてしまうのはひとつの才能ではないか?

とはいえ、打ち合わせのメールのやりとりのとき、インスパイアリングではないこともあった。人間であるから当然山がある。そういうときは、わたしは、ヴァーチャルな〝島崎〟を構築し、その〝編集者〟とのヴァーチャルな対話のなかで文章をつくった。いわば、スパイク・ジョーンズの映画『her 世界でひとつの彼女』に出てくる電子人間サマンサをわたしのなかに構築するわけである。しかし、それは、実際上、わたしともうひとつのわたしとの対話や論争ということになるから、そのダイナミズムをそのまま形にしたほうがいいと思い、対談形式や仮想インタヴューや手紙という文章形式で書くことにした。

いずれにしても、『キネマ旬報』というまともな雑誌のページで好きなことを2年もやらせてもらったのは、ありがたい。ただし、編集の島崎奈央氏の苦労や疲労はわたしの想像外だったかもしれない。いくつも担当をかかえておられたようだから、わたしだけが疲れさせたのではないと信じるが、この際、ひと休みしてほしいと思う。また、勝手な冒険を黙認してくれた編集長の明智恵子氏にも心からお礼をもうしあげたい。
[T] Where are you going?
[S] It would be hard to explain. But if you ever get there...come find me. Nothing would ever pull us apart.("her")
【追記】50回でキリがいいと思ったが、実は49回しか書いていなかった。18号が欠けていたのだ。2013年2月下旬号が恒例の「ベストテン」特集で連載はすべて休みになった。そのため次号の3月上旬号が第18回となるはずだったのだが、あたかもこの号に18回目があったかのような形になり、3月上旬号の回数表示が「19回」となっていることをあとで知った。抜け目のない島崎氏がこういうミスをすると、なんか微笑ましく思える。


●<発作>以外になにがある? 【おわりに】
date: 06/20/2014 18:59:11

ウェブ版の「シネマノート」より小回りのきく、<ミニブロギング>のようなぺージを作ろうと始めたブログだが、考えてみると、わたしは<発作>でしか書かないし、発作が始まってしまえば、ミニブログのような短い文章は書けないのであった。

それと、わたしにとっては、<発作>を抑えながら書く必要があった(まあ、そのくらい別種の気をいれていた)紙メディアへの連載が一段落したので、今後は当分、<発作>だけで行けるようになり、あえて<発作>と旗印にする必要はなくなった。だからこのブログは、ここで凍結させようと思う。参照は可能だが、コメントはできないので、あしからず。

ブログは<無責任>に作り続けてこそ、その特性が活きるものだから、わたしの書き込みが終わるわけではない。