【2013/2/24】
◆二度見た作品は多くはないが、すべての候補作について、記憶と想像の意識のなかで反復している。〝大方の意識〟というやつを考えると、『リンカーン』の受賞はかたそうだが、<ひょっとして>と思われる作品の序列がわたしの意識のなかで変わりつつある。
◆わたしの意識のなかでは、『アルゴ』、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』、『ゼロ・ダーク・サーティ』、さらには、『ゼロ・ダーク・サーティ』の評価さえも低下してきている。がぜん上がったのは、『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』である。もし、<前例を破る>という方向に振れたら、この作品が受賞する可能性もあるかもしれない。それはとにかく、わたしが受賞してほしいのは、『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』である。
◆わたしが、一番がっかりするのは、『レ・ミゼラブル』の受賞である。それについては、最初から評価が変わらない。こんな作品を高く評価するひとは、ミュージカルの存在をバカにしている。『レ・ミゼラブル』のミュージカルの舞台の存在を無視しなければ、ミュージカルにあやかったこの映画版は作れなかった。
【2013/1/20】
◆もし『リンカーン』が受賞するとすれば、今年の選考は、あまりに安易な印象をあたえる。〝立派〟な作品だが、映画としての冒険性はない。『レ・ミゼラブル』ならば、その評価は完全に作品の質とは関係ないと判断せざるをえない。
◆『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』、『ジャンゴ 繋がれざる者』、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』の3作に共通するのは、ある種の物語性である。『ジャンゴ 繋がれざる者』と『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』には、現状批判的な政治的寓意があるが、前者はより個人的な特異性のほうに重心を置き、後者は政治的アイロニーを強調する。そうしたポイントがはっきりしているという点では、『ジャンゴ 繋がれざる者』だろう。『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』は、リポーターが中年のパイ氏から話を聞くシーンとドラマティックな物語の〝再現〟映像とが交互にくりかえし提示されるので、その物語性の質は高くはない。が、映像のすばらしさがそれを忘れさせる。わたしは、『ジャンゴ 繋がれざる者』の物語性を評価したいが、アカデミー賞の好みとしては、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』が選ばれそうである。
◆『アルゴ』と『ゼロ・ダーク・サーティ』は、参照系がはっきりしている政治的現実をあつかっている。どちらも、映画的な完成度も高いが、表現と素材の新奇さという点では、『ゼロ・ダーク・サーティ』が前者を圧する。もし、難色を示す選考者がいるとすれば、拷問シーンの多い後者は分が悪い。
◆精神病理的な屈折を描いている点で、『愛、アムール』と『世界にひとつのプレイブック』には共通性がある。その表現の強度は、前者は後者を圧する。そもそも、後者は、双極性障害の登場人物をあつかいながらも、その問題に深入りするつもりはない。むしろ、そういう登場人物と環境を使ったロマンティック・コメディである。
◆シリアスさの上位3作:(1)『愛、アムール』(2)『ゼロ・ダーク・サーティ』(3)『リンカーン』
◆教育度の上位3作:(1)『リンカーン』(2)『ジャンゴ 繋がれざる者』(3)『アルゴ』
◆娯楽性の上位3作:(1)『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』(2)『レ・ミゼラブル』(3)『ジャンゴ 繋がれざる者』
◆映像依存の上位3作:(1)『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』(2)『レ・ミゼラブル』(3)『ゼロ・ダーク・サーティ』
◆演技の突出度の上位3作:(1)『愛、アムール』(2)『ゼロ・ダーク・サーティ』(3)『世界にひとつのプレイブック』
■Amour/2012/Michael Haneke(ミヒャエル・ハネケ)
◆ミハエル・ハネケの『愛、アムール』が作品賞にノミネイトされたのは意外であるが、アカデミー賞の歴史のなかでも、外国映画が作品賞にノミネイトされたのは初めてのことだ(むろん、それは嘘【注】だが、〝アメリカ〟映画でかためられなかったところが面白い)。これは、この映画の質の高さへの評価とともに、病院頼りの老後生活に疑問を感じ始めているアメリカ人の共感を呼んだことも遠因になっているはずだ。なお、内容的には、この映画のような話は日本では決してめずらしくはない。いずれにせよ、本作は、作品賞よりも外国映画賞のほうで賞を取るべきだろう。
【注】本当の話は、外国映画を多く配給・宣伝した映画宣伝プロデューサーの竹内伸治さんによると、作品賞やその他部門賞へのノミネートの資格は、ロサンジェルスで年内に少なくとも1週間以上公開した作品が対象。国籍は問われず、1週間劇場公開すれば、どの作品にも資格がある。劇場公開より先にTVで放映した時のみ、その資格は無くなる。外国語映画賞は、アカデミー協会が各国を代表する映画団体に委嘱して代表作品を決めてもらい、それらの作品群を映画芸術科学アカデミーが厳正に審査し(国籍が正しいのか? ふさわしいのか?など)その中からアカデミー協会員が投票して選んだ映画に授賞させるというシステム。端から、立ち位置が全く違うので、各国の映画団体が選ばなかった作品が作品賞その他の部門にノミネートされるケース――例えば、2012年の日本代表作品『かぞくのくに』が今年アメリカで公開された場合には、翌年のアカデミー賞(つまり今年度、2013年度)の権利を得るので、作品賞や主演女優賞部門の候補になり得る、とのこと。
【2013/1/15-16】
アルゴ
■Argo/2012/Ben Affleck(ベン・アフレック)
◆イランのデモが過激化してデモ隊に占拠されたアメリカ大使館員(要するにCIA要員)6人が近くのカナダ大使館に逃げ込んだ。彼らを救出するためにCIAが仕組んだ計画が〝Argo〟である。この事実は、1998年にクリントン政権のもとで機密解除がなされるまで表には出ていない話だった。それは、この脱出計画がカナダを巻き込んだものであり、カナダとイランとの国際関係を懸念したものであったが、ハリウッドによるニセの映画撮影という前代未聞の計略の〝破廉恥〟さを気遣ったのだった。政治に仕掛けや演出がつきものだが、こうした非暴力のペテンは悪くない。ベン・アフレックの演出と抑えた演技の主演は、こうしたユニークな事件を見事に活かした脚本とともに、第1級のポリティカル・サスペンスを生み出した。
◆サスペンスでありながら、適度の〝政治教育〟も含み、しかもそれが愛国的であったりせず、広い観客に受け入れられるという点で、作品賞の有力な候補になるだろう。
【2013/1/15】
■Beasts of the Southern Wild/2012/Benh Zeitlin(ベン・ザイトリン)
◆ミシシッピーのガルフコースト近くの〝ゼロメートル〟地帯なのだろうか、大雨が降ればすぐに家(といっても掘立小屋)が浸水してしまうところに6歳の少女と病気の父親が住んでいる。映画は、少女の目から描かれているから、すべてはシュールな印象をあたえる。その映像と音は新鮮であり、ときには不気味である。父親は、ほぼ死にかかっているが、娘とのやっとの関係(が、そこには感傷をねだる甘さはない)は続いている。父親は、この劣悪な環境を生き抜く意志を娘に伝えているかに見えるところもある。こういう映画は、2005年のハリケーン・カトリーナ以来、アメリカで頻発する(地震も含む)新たな環境異変や決してよくはならない弱者の生活への意識がモチーフになっているはずだ。それを嘆くのではなく、子どものたくましさや楽天性にゆだねる感覚がこの映画の面白さだろう。
◆候補にあがっている他の作品と同じ基準で評価するのがむずかしい作品だ。わたしは嫌いではないが、アカデミー賞のこれまでのパターンからすると、作品賞は無理だろう。
【2013/1/15】
◆「作品賞は無理だろう」と書いてからひと月以上たって、この映画を再見することが出来た。大画面とチャンネル数の多い音響装置で見ると、この映画の奥行の深さがわかる。これは、傑作である。自然の過酷さ、国家や組織のおざなりな対応、親と子、生きるということ、仲間たち・・・人間存在の基本が、子供の想う神話的夢想と鋭いカメラの眼=思考とがあいまって、映画的・現実的なリアリティを生み出している。しかも、これほど劣悪な生活のなかにも必ずある歓びや愉しさ(あえて旧字を使いたい)を描くことをわすれない。音と音楽の使い方もすばらしい。
【2013/2/24】
■Django Unchained/2012/Quentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)
◆タランティーノ好みの〝暴力〟と〝血〟のシーンを活かしながら、彼としては最高に〝教育的〟で、かつエンターテインメント性を忘れない秀作だ。『リンカーン』のような〝立派〟な主張を拝聴するのにはうんざりな向きには、こちらが受けるだろう。
◆ジェイミー・フォックス、サミュエル・L・ジャクソン、レオナルド・デュカプリオなどという大物が出てくるが、全体としては、クリストフ・ヴァルツの独擅場である。洒脱さとアイロニーの混じり合った演技がすばらしい。
◆ヴァルツ(助演男優賞にノミネートされている)に賞をあたえるとすれば、作品賞はなしになるかもしれない。
【2013/1/15】
■Les Misérables/2012/Tom Hooper(トム・フーパー)
◆シネマノートでも書いたように、わたしはこの〝ミュージカル〟調のこの作品をまったく評価できない。映像的に凝ったシーンは多々ある(蜂起しバリケードを築く民衆と軍・警察との攻防シーンなど)が、出演者にミュージカル俳優としての歌唱力がなく、ものたりない。
◆作品賞はありえない。
【2013/1/15】
■Life of Pi/2012/Ang Le(アン・リー)
◆基本的にホラ話のスタイルだが、映像の凄さが、本来は物語の核に挿入されるべき二重性や嘘っぽさを吹き飛ばしてしまった点は、わたしにとっては、減点の対象である。しかし、動物を擬人化して、トラと仲良くなったりはしないリアリズム、そのくせ、ミーアキャットだらけの島があたかも本当にあるかのように見せてしまうファンタジックな映像力には、感嘆する。
◆映像の凄さと説得力で、賞は視覚効果賞のほうで取るべきだと思うが、作品賞との同時受賞もないわけではない。
【2013/1/15】
■Lincoln/2012/Steven Spielberg(スティーヴン・シュピルバーグ)
◆ダニエル・デル=ルイスやサリー・フィールドの演技が素晴らしいといっても、それは、歴史的にくりかえし再生された人物像というものがあり、それとの関係で評価されている。二人ともすぐれた俳優であることはいうまでもない。しかし、『レ・ミゼラブル』を除けば、ある種の〝役になりきる〟というスタニスラフスキー演劇的な基準とはちがう基準で見なければならない作品ばかりのなかで、この作品を特別に優先することはできない。
◆スピルバーグは、先の大統領選以前に完成していたこの作品が、選挙に利用されるのはいやだとして、公開を遅らせた。しかし、この映画の隠れた政治路線は民主党よりであることはあきらかだ。むしろ、それがみえみえである。
【2013/1/15】
■Silver Lings Playbook/2012/David O. Russell(デイヴィッド・ラッセル)
◆バイポラール・ディスオーダー(双極性障害)という21世紀病の主人公(ブラッドリー・クーパー)を中心に、ギャンブルマニアの父(ロバート・デ・ニーロ)、出会ったとたんに波長があってしまうが素直につきあうわけでもない女(ジェニファー・ローレンス)たちが、クレイジーであるが、ますます今様の騒がしいが決して日本のお笑い的な馬鹿笑いを生むわけではない喜劇が展開する。双極性障害は、この映画の終わりのような安易なおさまり方とは縁がないが、かなりユニークで面白い話に仕上がっている。
◆アイロニカルな喜劇をよしとするならば、作品賞はこの映画が取るだろう。
【2013/1/15】
■Zero Dark Thirty/2012/Kathryn Bigelow(キャスリン・ビグロー)
◆詳細はシネマノートで論じるが、ジェシカ・チャスティンが演じるマヤは、明らかにBP(バイポラール・ディスオーダー/双極性障害的人物)である。そういう人物を組織の第一線で活躍するポスト・キャリアウーマンとしてとらえた現代性、テロリストの掃討と称して国権を無視(それはアメリカの常だが)してパキスタンに侵入し、民主主義的手続きを経ずにビンラディンとする人物を暗殺したことの是非の問いを挑発する問題性、臨場感の高い映像と音、映画として文句のつけどころがない。
◆作品賞の最優秀候補だが、現実と重ね合わせて論じるやからは、反対するだろう。そのへんがハンデになって、「世界にひとつのプレイブック」に賞が行く可能性もある。
【2013/1/15】
【2013/1/20】
◆『リンカーン』のダニエル・デイ=ルイスは〝名演技〟すぎて、面白みがない。『レ・ミゼラブル』のヒュー・ジャックマンは、特にいいわけではない。ミュージカル・ソングの歌い手としてはものたりない。『ザ・マスター』のホアキン・フェニックスも、彼の俳優歴のなかでこれが傑出しているわけではない。『世界でひとつのプレイブック』のブラッドリー・クーパーも、たとえば『リミットレス』(2011)より前進しているかといえば、そうも言えない。その点で、これまでの蓄積のうえに新しい側面を出し切っているのは、『フライト』のデンゼル・ワシントンである。ただし、以上は、あくまで〝理論的〟判断であって、各俳優にまとわりつく政治的・経済的・人脈的係数が付加されて選ばれる賞の結果はわからない。
主演女優賞
【2013/2/24】
◆『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』のクゥヴェンジャネ・ウォレスについては、下の評価は撤回したい。この作品を大きな画面で見て、思ったが、このまったくの新人がアップの画面で見せる演技/地といった区別をこえる表情と目はすばらしい。職業俳優の演技とはまったく異なる〝演技〟をみせたという点で、(候補に選んだ以上)高い評価をあたえるべきだと思った。が、そうなると、他の候補者の演技がすべて否定されてしまうことにもなりかねず、クゥヴェンジャネ・ウォレスを受賞させるのは、アカデミーとしても冒険すぎるだろう。その意味で、依然、ジェシカ・チャスティンの受賞はかたそうだ。しかし、ウォレスの演技を評価して候補にした審査者がいるとしたら、演技の評価の幅が非常に柔軟になっているということだから、新鮮さということでジェニファー・ローレンスの線も考えられる。
【2013/1/20】
◆『ゼロ・ダーク・サーティ』のジェシカ・チャスティン、『世界にひとつのプレイブック』のジェニファー・ローレンス、『愛、アムール』のエマニュエル・リヴァの3人は、存在感や演技力の点では、互角である。
◆『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』のクゥヴェンジャネ・ウォレスは、映画のなかではほとんどしゃべらない。声はあとから入れたナレーションである。その意味で、彼女の演技力の全体を見るには条件が不足しすぎている。
◆津波の恐ろしさと悲惨な映像が猛烈にリアルに表現されている『インポッシブル』(ホアン・アントニオ・バヨナJuan Antonio Bayona監督、第25回東京国際映画祭WORLD CINEMA部門で公開)でのナオミ・ワッツはかなりいい。ちなみに、彼女の役の長男を演じるトム・ホランドは、もしクゥヴェンジャネ・ウォレスが主演女優賞にノミネートされるのなら、助演男優賞にノミネートされてもおかしくないほど感動的な演技を見せる。ただ、この映画にはあと一つ何かがほしいと思わせる部分があり、それがあれば、ナオミ・ワッツの演技ももっと光ったはずだ。
◆演技の質上位3人:(1)エマニュエル・リヴァ(2)ジェシカ・チャスティン(3)ジェニファー・ローレンス
◆自己の演技の更新度上位3人:(1)ジェニファー・ローレンス(2)ジェシカ・チャスティン(3)エマニュエル・リヴァ
助演男優賞
【2013/1/24】
◆『リンカーン』のトミー・リー・ジョーンズは、奴隷解放主義者役の魅力をオフビートに演じ、印象に残る。しかし、これが彼のこれまでの演技を更新しているかといえば、そうでもない。
◆『アルゴ』のアラン・アーキン、『世界でひとつのプレイブック』のロバート・デニーロ、『ザ・【2013/1/20】
マスター』のフィリップ・シーモア・ホフマンは、みな名優的演技を見せるが、彼らの従来の演技を更新しているとは思えない。その点で、『ジャンゴ 繋がれざる者』のクリストフ・ヴァルツは、より奥行と幅を広げた演技を見せる。助演男優賞は、彼で決まりだろう。
助演女優賞
【2013/1/20】
◆『ザ・マスター』にエイミー・アダムス、『リンカーン』のサリー・フィールド、『世界でひとつのプレイブック』のジャッキー・ウィーヴァーは、みな余裕で役を演じているように見える。うまいけれども、驚きがない。その点で、『レ・ミゼラブル』のアン・ハサウェイは、わたしには、ミュージカル版から見れば凡庸にしか見えない他の出演者(よかったのはエディ・レッドメインぐらいか)のなかで、ひと味違う演技と歌唱力を見せていた。しかし、『The Sessions』で〝セクシャル・サロゲイト〟(簡単に言えば〝セックス・セラピスト〟)を演じたヘレン・ハントの演技は、他の5人とは質が違う。自分では身動きのできない身障者の男性(ジョン・ホークス)に初めての性体験と新たな身体意識をあたえ、みづからも彼に惹かれていくが、安いラブストーリーの愛とは全く異質の情感をただよわせるヘレン・ハントの演技はすばらしい。彼女のこれまでの役のなかでも新鮮であり、ユニークな成果を達成した。これまでの蓄積をさらに一歩前進させ、かつユニークな表現を見せたという点を評価するなら、ヘレン・ハントが受賞すべきである。
【2013/1/20】
◆演出力という点では、『愛、アムール』のミヒャエル・ハネケが群を抜いている。彼の他の作品とくらべても隙がない。施設に頼らずに妻を介護し、衰え行く姿を見て、殺してしまう(そして自分もどこかで自死したのだろう)という形は、日本ではそれほど(数の問題としてではなく)センセイショナルではない。が、これは西欧社会ではかなりショッキングらしい。この点で、この映画は日本で想像される以上に高く評価される可能性がある。
◆適度のシリアスさと手堅く、キメの細かい演出、ゆたかなサービス精神という点では、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』のアン・リーだろう。
◆『リンカーン』のスティーヴェン・スピルバーグも、『世界にひとつのプレイブック』のデヴィッド・O・ラッセルも、映画からは監督(演出家)の顔が露骨に突出することはない。それも余裕であり、スピルバーグの場合は特に大家の奥ゆかしさなのだろう。その点、『ハッシュパピー バスタブ島の少女』のベン・ザイトリンは、画面から彼の顔がぎらぎらと見える感じだ。しかし、作品に身をひそめながら隠然とその存在感をみなぎらせるミヒャエル・ハネケと、せいいっぱい働きまわっている感じのアン・リーの2人が優先されるのはいたしかたない。
◆精神性に軸足が置かれれば、ミヒャエル・ハネケ、商業性なら、のアン・リーというところか?
【2013/02/24】
◆脚本多様でひらめきに富んでいるかどうかは、推測するしかないが、『愛、アムール』は脚本よりも演出と演技の強度が上回っている感じがする。『フライト』も、同様である。『ムーンライズ・キングダム』は、脚本のユニークさが想像できる。『ジャンゴ 繋がれざる者』も、脚本の奇抜さがなければ、作品の面白さは生まれなかっただろう。『ゼロ・ダーク・サーティ』も同様であるが、こちらは、〝事実〟という参考資料が豊富にあった。とすると、『ジャンゴ 繋がれざる者』と『ムーンライズ・キングダム』とがオリジナル・スクリーンプレイの優劣を競うことになるが、いまの時代との関連では、前者によりアクチュアリティがある。
【2013/02/24】
◆脚色は、原作と比較しなければ、その凄さや上手さは判定できないが、演出と演技に対してどの程度の重みを持ったかを想像することによって、脚色の重みを推測することはできる。
◆『アルゴ』は、事実があり、資料があった。演出も演技もしっかりしていた。だから、ある意味、脚色がメモ書きでも、出来ないことはなかった。それは、わたしの錯覚で、演出と演技は、脚本を忠実に追った結果であったということもありえる。まだ2作目の監督ベン・アフレックは、脚本に〝素直〟であることですぐれた成果を上げるひとなのかもしれない。
◆『ハッシュパピー バスタブ島の少女』は、脚色がどうであれ、ベン・ザイトリンの演出でしか出来なかった映画である。だから、彼は、監督賞の候補にあがった。
◆『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』も、アン・リーの演出と特殊効果の産物であって、それらが脚色を上回っている。
◆『リンカーン』は、脚色(トニー・クシュナー)がどうであっても、スピルバーグは同じ結果を得たような気がする。
◆『世界にひとつのプレイブック』は、ある意味、演出や演技よりも脚本のパワーが強いような気がする。
◆以上が正しい推測だとすると、『ハッシュパピー バスタブ島の少女』、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』、『リンカーン』は落ち、『世界にひとつのプレイブック』と『アルゴ』が競合することになる。が、そうなれば、『アルゴ』のほうがはるかに作品としての質が高いから、賞は、『アルゴ』に行くだろう。
【2013/02/24】
◆アメリカでの予想では、『メリダとおそろしの森』と『シュガー・ラッシュ』だが、ゲームマニアでないわたしには、後者のよさがわからない。前者の映像はなかなか魅力的である。が、映像の凝った面白さとストーリの点では、『パラノーマン ブライス・ホローの謎』がいい。完成度の点で『フランケヌィニー』と互角だが、いま性を感じさせるのは、前者である。
◆『The Pirates! In an Adventure with Scientists!』のキャラの『ウォレスとグルミット』的な口つきが嫌で、これはパスしたい。
◆そんなわけで、わたしは、『パラノーマン ブライス・ホローの謎』を取るが、受賞とはずれるだろう。
【2013/02/24】
◆『愛、アムール』が圧倒的に支持されているが、映像スケールの大きさと実話にもとづくドラマの感動性という点では『コン・ティキ』にも受賞の余地はある。『魔女と呼ばれた少女』のクールなアイロニー、『ロイヤル・アフェアー 愛と欲望の王宮』の(デンマークの外で)は知られざる出来事があばかれる面白さも捨てがたい。
◆『コン・ティキ』は、ノルウェイの人類学者トール・ヘイエルダールの『コン・ティキ号探検記』にもとづく映画で、監督は、「ナチスが最も恐れた男」(08)でもタグを組んだエスペン・サンバルグとヨアキム・レニング。ペルーでインカ文明の調査をしていたヘイエルダールが、南太平洋のポリネシア文明はペルーから舟で渡来したのではないかという仮説を立て、イカダを組んで仲間と102日間の航海ののち、それを立証する。海のシーンでは「ライフ・オブ・パイ」に劣らぬほど美しい個所があり、外国映画賞5作のなかでは一番夢多く、癒される作品だ。映画でも使われているが、ヘイエルダールは、その記録を16ミリフィルムに収めており、それは、1950年に発表され、第24回のアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。〝夢多い未来〟という観念がまだ生きていれば、わずかに受賞の可能性もある。
◆『No』は、民政を文字通り殺戮の暴力でなぎ倒したチリのピノチェット軍事政権への批判を忘れないパブロ・ララインが絡め手からチリ事件とその余波を追った『Tony Manero』、『Post Mortem』と続くとどめの作品で、アメリカ的なCMの手法を逆手に取り、選挙でピノチェットを倒した実際の話を映画化したもの。映像をアナログ時代のテレビの画質にして、1988年当時のテレビ映像やニュース映像をシームレスはさみこみ、ガエル・ガルシア・ベルナルのような有名俳優を使いながらも、ドキュメンタリーに見えるような体裁にしている。この作品を他の外国映画賞の作品と同列に置いて評価すると、その映像が〝わびしく〟見えて損をするかもしれない。その〝わびしさ〟自体が、いやましにどぎつくなる既存メディアの〝生々しさ〟への強烈な批判なのだが、アカデミー賞の基準ではフォローされないかもしれない。
【2013/02/24】
◆シネマトグラフィーということだと、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』が圧倒的に有利なのだが、『アンナ・カレーニナ』のミュージカル舞台を脱構築したかのような実験的なカメラワークも捨てがたい。『007/スカイフォール』には映像的新奇さをこれ見よがしにはしないが、ここにはいっときも手をぬかない、かぎりない映像的快楽がある。わたしの好みからすると、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』のこれ見よがしの映像よりも、『007/スカイフォール』の映像的な快楽度を取る。とにかくディテールとダイナミズムとのバランスがこれほど見事に表現された例は少ない。これに比較すると、『リンカーン』の映像は凡庸きわまりない。
【2013/02/24】
◆編集という点では、『アルゴ』と『ゼロ・ダーク・サーティ』は互角である。どちらも、寸分の無駄もない編集だ。『世界にひとつのプレイブック』でブラッドレイ・クーパーがジョギングをしていると、横合いからいきなりジェニファー・ジョーンズが姿を現すシーンのユーモアとか、面白いシーンはあるが、『アルゴ』と『ゼロ・ダーク・サーティ』にくらべると、遊んでいるという感じがする。遊んで悪いことはないが、賞の評価では、よほどの遊びがないかぎり、一段下がるものなのだ。『リンカーン』の編集には破綻がないが、いかにも映画の教科書的である。
【2013/02/24】
◆日本語で〝美術賞〟というのは、原語では〝Production Design〟である。映画の場合は、その作品の〝オシャレ〟度を決定する。その点では、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』は、多くの場面でオシャレではあっても、あいだにインタヴュー場面がはさまるところでオシャレ度をそこなっている。
◆『リンカーン』のは、オシャレなところはあまりない。
◆『レ・ミゼラブル』で民衆が登場するデモシーンはなかなかオシャレである。が、全体としてはそうでもない。
◆『ホビット 思いがけない冒険』は、オシャレというとは若干ちがう感じがするが、その映像の斬新さの基本は、ピーター・ジャクソンの他の作品でも見ることができる。
◆してみると、脚本を担当したトム・ストッパードのミュージカル作家としての特性を嗅ぎ取って映像化して独特の映像を構築した『アンナ・カレーニナ』が断然有利になる。
【2013/02/24】
◆映画自体は買わないが、『白雪姫と鏡の女王』のコスチューム(石岡瑛子)はなかなか斬新だ。公開まえに亡くなった彼女を追悼する意味ではこれを推したい気になる。『アンナ・カレーニナ』のコスチュームが単発的な多数性を展開しているとすれば、『白雪姫と鏡の女王』のコスチュームは、一つのユニークな美学的コンセプトを多様にヴァリエイトしていくスタイルである。
◆歴史のなかで現れたコスチュームを追っているとしても、コスチュームのひとつ一つのつながりがあまりないという点では、『アンナ・カレーニナ』と『レ・ミゼラブル』とは似たところがある。そして、その二つを比較すれば、前者は優雅であり、後者は世俗的である。
◆『スノーホワイト』のコスチュームは、シャーリーズ・セロンの役に集中していて、『アンナ・カレーニナ』と『レ・ミゼラブル』の多様さには負ける。
◆『リンカーン』のコスチュームは、歴史的事実を追おうとしたものだが、コスチュームだぞということで言うと、地味すぎる。
◆落ち着くところは、『アンナ・カレーニナ』だろう。
【2013/02/24】
◆『ヒッチコック』のアンソニー・ホプキンスのヒッチコックは、わたしが知っている実物とはあまり似ているとは思えなかった。アルマ・レヴィルを演じたヘレン・ミレンがいい演技をしていて、映画としては面白かったが、メイキャップの点で特筆すべき作品ではない。似ているという点では、アンソニー・パーキンスを演じたジェイムズ・ダーシーが本当に瓜二つであったが、これは、本人がそうなのであって、メイキャップのせいではない。
◆『ホビット 思いがけない冒険』と『レ・ミゼラブル』とのメイキャップは、同列には評価できない。作り方が全然ちがうからである。前者は、CGIに頼るところが大であるのに対して、後者は、ある意味で古典的である。もし、メイキャップという概念を古典的に取るのなら、『レ・ミゼラブル』に断然歩がある。
【2013/02/24】
◆もっと早くに書けばよかったが、発表まぎわの土壇場なので、YouTubeの検索枠に "oscar 2013 best original scores"と入れてみると、OSCARS 2012 - BEST SCORE NOMINEESというサイトがみつかり、オリジナル・スコア賞に挙がっている曲をインスタントに聴けた。
◆そのなかで、『リンカーン』が、アメリカ合衆国の多民族性を意識したさまざまなリズムやエスニックカルチャーの響きを意識的に取り入れているのが、面白かった。『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』の曲も複合的な奥行のある作品だったが、ジョン・ウィリアムズの『リンカーン』のための曲のほうが上だった。わたしは、ジョン・ウィリアムズには飽き飽きで、『アルゴ』のアレクサンドル・デスプラットの方が好きだが、今回は、ジョン・ウリアムズに歩があるような気がする。
【2013/02/24】
◆すべての曲をYouTubeで聴くことが出来たが、まずパスしたいと思ったのは、ヒュー・ジャックマンが歌っている"Suddenly"であった。歌う人を別にできないのだから、5作のうちでは、Adeleが歌う"Skyfall"が圧倒的であった。
【2013/02/24】
◆おおかたの予想は『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』だし、たしかによくできてはいる。が、見ていて、その映像のユニークさと作りの巧みさで舌を巻くのは、『スノーホワイト』に登場する変身のシーンである。なかでも、邪悪な女王ラヴェンナ( シャーリーズ・セロン)が雪の降りしきる林のなかでウィリアム王子( サム・クラフリン)に化け、スノーホワイト( クリステン・スチュワート)をたぶらかし、それに気づいた猟師エリック( クリス・ヘムズワース)が駆けつけ、斧をふるうと、すでに〝ラヴェンナ〟の本性をあらわにしていた彼女が、粉々にくだけ、その破片が黒いカラスに変身するシーンはすばらしい。しかし、こうした変身は、既存のCGテクニックを俳優の演技ともども巧みに駆使した結果であって、まったく新しいというわけでない。だから、映像のイノヴェーションという観点からの評価では、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』に負けるかもしれない。
◆『ホビット 思いがけない冒険』の、終盤のシーンは、その点で、CGテクニック的にも相当な蓄積が投入されている。アゾグが率いるオークたちに追われ、絶壁の大木の上にのがれたドワーフたちが見せる奇計(灰色のダガンダルフが松ぼっくりのようなものに火を点けて投げるなど)、その後の壮絶な戦いののち、危機に陥ったドワーフを救う大鷲たち、それぞれにドワーフを爪で支え、岩のうえに救い出す。このヴィジュアリゼイションはハンパではない。ここは、ピーター・ジャクソンのオタク的入れ込み方が嫌いなでも映像的に感動しないわけにはいかないだろう。しかし、受賞の是非となると、話は別で、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』のほうが一般性があるだろう。また、そのつ映像の革新を試みているにもかかわらず、シリーズの〝慣れ〟で見られてしまうのも、ハンデとなる。
◆『プロメテウス』にも美しいシーンがあったが、マイケル・ファスベンダーが『危険なメソッド』のときよりはるかにセクシーな演技をしていて、ヴィジュアル・エフェクトよりも演技の面が前面に出る作品だった。ヴィジュアリゼイションという点では、上の2作にくらべてスケールが小さい。
◆『アベンジャーズ』も、見せ場はドラマやキャラクター(マーヴェル・コミックの有名キャラクターが総出演)であって、ヴィジュアリゼイションはそれらを助けるためのものになっている。映画としてはそれがマットウであるわけだが、映像表現の目新しさ、ユニークさでは、上の2作に道を譲らざるをえないだろう。
【2013/02/24】
◆『壊された5つのカメラ』は、NHKのBSでも放映された。パレスチナ・ヨルダン川西岸のビリン村で一人の男が、イスラエル軍の非道な暴力行為と侵略を、負傷も恐れずビデオカメラで撮影し続ける。それは、村人の抵抗運動の一環であり、彼は弾丸の攻撃を受けて、カメラを次々に失うがめげない。ここには、非暴力の抵抗運動の優れた実例がある。
◆『The Gatekeepers』は、アーマンとモサドにならぶ3大秘密警察の1つであるシン・ベット(Shin Bet)がウエスト・バンクでやってきたこと(これまで国家機密とされた)のインタヴュー証言をまとめたドキュメンタリーとのことだが、残念ながら見る機会がなかった。
◆『How to survive a Plague』は、ニューヨークに焦点をすえてエイズ・アクティヴィズムの歴史を1980年代から今日まで追った通史である。市や国家とのやりとり、多くの集会の映像やアクティヴィストの発言が収録されている。
◆『The Invisible War』は、第2次大戦以後に動員された女性兵士・軍人が男社会に投げ込まれるなかでレイプやハラスメントを受けた近年の証言を集め、その女性兵士・軍人たちの現在までの後遺症を負う貴重なドキュメントである。裁判もあったが、当然、軍はそのことを公にはせずに来た。
◆『シュガーマン 奇跡に愛された男』が、前評判で抜群なのは、わからないでもない。アメリカでは1970年代にたった2枚のレコードで知られたが、その後忽然とその生存すらわからなくなってしまった男、ロドリゲス(本名シクスト・ディアス・ロドリゲス)の感動的なドキュメンタリー。この2枚のレコードは、まだ黒人差別の残っていた南アにもちこまれ、差別反対の主として白人たちの反対運動の心の支えとなり、プレスリーやローリング・ストーンズやビートルズ以上のビッグネームになるというのがまず感動的な話。が、50万枚以上売れたロドリゲスの行方は洋として不明。そこに2人のファン(一人はレコード店を経営し、ロドリゲスのレコードを売った)が調査を始める。しばらくして、ウェブサイトに載せた情報に反応がある。ロドリゲスの娘からだった。彼女によれば、彼は生きており、肉体労働で生計を立てているという。そして、急速に、ロドリゲスを南ア(すでに差別は廃止されている)に招待する企画が持ち上がる。そのプロセス自体が感動的だが、1998年に南アに招待されたロドリゲスが、彼が予想もしなかった熱狂的な大観衆のまえで、まったく動じることなく往年のオーラをただよわせながら〝シュガーマン〟を歌ってしまうのを目の当たりにするのは感動に涙する。ちなにみ、彼は1942年生まれであり、70歳をこえたいまもライブコンサートを続けている。