評点:★★ 2/5
◆いまテレビや新聞で問題になっている「老後」「死の始末」のようなテーマが見えるが、基本はひねった「夫婦愛」の話である。死を予感した妻(田中裕子)が、夫・倉島(高倉健)に旅をさせようと思いちょっとした「いたずら」を仕掛ける。富山の刑務所に務める倉島に長崎の郵便局局留めの郵便を送る。倉島は、そのことを、妻の死後「NPO法人 遺言サポートの会」経由で知る。なぜそんなまわりくどいことをしたのか? それは、映画を見ればわかるが、あえて言ってしまえば、それが夫への妻の最後のプレゼントだった。リモコンのプレゼントである。人を動かすというプレゼントもある。
◆映画は、ロード・ムービーにして全国のあちこちを見せ、そこに有名タレントをはめ込んで、そこそこ気になる作品を作るというねらいが見え見えだが、ドラマの骨子はわるくない。映画では吹き飛んでしまった部分を「原案に創作された小説」(森沢明夫、幻冬舎文庫)が補っている。こちらには、みな訳ありの登場人物の過去の詳細な記述があって、映画より奥がある。
◆オープニングで壁が映り、それがすぐ刑務所の壁であることがわかったとき、この映画は、受刑者の話かと思った。が、場面は職員寮らしきアパートの一室で高倉健と田中裕子が風鈴の話をしているシーンに移り、それがセピアの画面で映されることによって、過去の出来事であり、位牌と田中の遺影を飾った仏壇の映像で、高倉が演じる人物が最近妻(田中裕子)を失ったらしいことがわかる。
◆富山刑務所の指導技官である倉島英二(高倉健)と妻・洋子(田中裕子)は、彼女が童謡歌手として刑務所慰問に来たことがきっかけで知り合い、結婚した。彼女がそのようなヴォランティアに関わったのには事情があった。内縁関係にあった男が獄中者だったのだ。その彼が獄中で病死を遂げたあと、二人は結婚したのだった。
◆刑務所内が主要な場所ではないこともあって、現実から遊離した刑務所描写は見られない。まだ、人物設定がはっきりとしない段階で、長塚と高倉が食事をするシーンで、友人同士でありながら、長塚の態度がちょっと官僚的だと思ったら、長塚は、受刑者の厳しい命令を下さなければならない刑務官なのだった。長塚は、さすが研究して演技している。
◆浜井浩一の『刑務所の風景』(日本評論社)は、刑務所を社会の関数として論じていて、刑務官と受刑者との関係についても、一方に片寄するのではない見方がされていて、興味ぶかい。とはいえ、この映画に出てくる刑務所内の工場(倉島は神輿を作る「工場」で指導をしている)は、その名の通り、受刑者が労働を強いられる場所であるが、その賃金は驚くべきほど安く、労働条件も厳しい。映画では、工場が、受刑者が出所後に社会復帰するのに役立つ教習所的な機能を果たしていると解説するが、実際にはそうはなってはいない。
◆高倉健が演じる倉島英二の仕事は、刑務所で受刑者を監督・管理する刑務官とはちがう。規則に従った(ときには逸脱した)命令を下し、受刑者に怖がられる刑務官とはちがい、技術の仕事を教える彼と受刑者との関係にはとがったところがなさそうである。
◆高倉健は1971年2月16日生まれだから、いま80歳を越している。その彼が、定年後嘱託になった男(62,3歳?)を演じるのにはかなり無理がある。彼にふさわしい年令の役で彼の足がおぼつかなくてもいい。口がもつれるのも自然なことだ。しかし、年令より若い役を演ってそうなのは、役者としてはまずいことだし、それをやらせた方には大いなる責任がある。
◆〔追記〕2012-09-08にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で高倉健の特集をやった。明らかに、81歳になってこのへんで私的な面を明かしておこうという年齢的焦り、さらには、あんまり「孤高」の姿勢を貫きすぎると仕事がさっぱりこないという焦りのようなものを感じた。しかし、彼を「孤高の人」にしたのは周囲であって、必ずしも彼ではない。だから、テレビのカメラが恐々と近づいてみると、そこにあらわになる高倉健は、意外と小心で普通の男なのであった。たとえば、「俳優にとっては体が財産だ」と言いながら、顎の衰えを恐れ、始終マウウスピースを口にはめて歯を噛みしめる訓練をしているといい、「あんまり噛むと歯が痛む。歯の(治療)のほうが高いからね」と語るところには、彼のありきたりの性格が出ていた。この番組では、予想通り、ニューヨークでの生活や江利チエミとの生活のことは全く出なかった。私的な面で「初公開」というのは、行きつけの床屋と、朝食にいつもシリアルを食べるというところを見せたぐらいだった。この程度なら、見せないほうがよかったのではないか? スターとは、それ自体が虚像である。周囲の思い込みの結晶であり、それを維持するのがスターの宿命的な仕事になる。だから、実は・・・のような私生活は、見せるのならちゃんと見せるべきであり、さもなければ、渥美清やウディ・アレンのようにもう一つの虚像をつくって見せるか、あるいは、原節子のように全く見せないかのいずれかである。
◆妻の遺言で、遠く離れた九州の海まで高倉健が行くロードムービであるが、現場についてから、なかなか散骨を引き受けてくれる漁船がない。日本では、葬式の多様化の関心が強いが、現実には、土葬はもちろんのこと(だからイスラム教徒の死者を埋めるところはごく限られたところしかない)、散骨ですら、因習的な抵抗を受ける。アカデミー賞の発表の日に『ディクテーター』の宣伝のためにサシャ・バロン・コーエンは、キム・ジョン・イルの粉骨と称するものをいきなりライアン・シークレストにかけるというパフォーマンスをやったが、こんなことは日本では冗談でも出来ないだろう。
◆この映画には、ビートたけしと草彅 剛が出演しているが、お飾りタレントの印象をまぬがれない。彼らが出る部分が全体から浮いてしまうのだ。同情を買うような話で高倉に近づくビートたけしが、実は詐車上荒らしの常習犯だったとわかるオチは、たけしのキャラクターを活かした設定だとしても、この映画でそんな遊びはいらなかっただろう。警察官の役で出る浅野忠信は、カメオ出演的な出方で、黙認できる。佐藤浩市は、彼らとは一線を画した演技を見せるのはさすがである。余貴美子、綾瀬はるか、三浦貴大、大滝秀治、長塚京三、原田美枝子も不自然さはない。
◆ビートたけしが演じる男が、倉島に種田山頭火の詩集をくれて、「旅と放浪のちがいがわかりますか? 旅には行き着く目的があるが、放浪には行き着くところがないんです」とういうようなことを言うシーンがある。あいかわらず山頭火の人気は失せないようだが、日本は管理が厳しくて<放浪>などできないということ、山頭火はかなり意図的に旅をしていたことを知るべきだ。放浪幻想などくだらない。
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■粉川哲夫のシネマノート
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