粉川哲夫の【シネマノート】 
    
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6月公開作品短評

★★★★  光のほうへ (【ノート】←詳細/デンマークを舞台にしているが、個人指向が行くところまで行った「高度」福祉社会における家族・親子関係、アルコール・薬物依存症などなど、共通項は日本にもある)。
★★★★  バビロンの陽光 (イラクにおけるクルド人の位置、湾岸戦争とイラク戦争が残した傷。にもかかわらずしたたかに生きる少年。先に進むにつれ心に重くのしかかるロードムービー)。
★★★★★  ソリタリー・マン (日本公開の順序つまり製作順は逆だが『ウォール・ストリート』のマイケル・ダグラスを思い出し、身につまされる人もいるかもしれない。老いても若い女に手を出すサガと因縁。スーザン・サランドン、ダニー・デヴィト、ジェシー・アイゼンバーグなどが脇役として出ている)。
★★★★★  赤ずきん (このごろよくお目にかかるアマンダ・セイフリードを起用したのなら、もっと残酷さや血生臭さ、セクシーさを出すべきだった。俳優もやる監督キャサリン・ハードウィックの旧作『ロード・オブ・ドッグタウン』 (2005)、『トワイライト~初恋~』 (2008)などにくらべるといまいち)。
★★★★★  アリス・クリードの失踪 (『キネマ旬報』にレヴューを書いたが、役者もよく、細部にも凝っている。B級にとどまっているところがいい)。
★★★★★  テンペスト (【ノート】←詳細/演劇人が作った映画の典型。豊富なメジャー人脈が仇)。
★★★★★  127時間 (【ノート】←詳細/あちこちに色々書くハメになったが、他人を欠いている主人公が他者を見出すドラマとも言える。映像の美しさがどこか遊離している感じ)。
★★★★★  ロスト・アイズ (一見シュールな要素、二人一役などのスタイルに過大な奥行きを期待するが、事実は意外にシーケンシャルなホラー/サスペンス。視覚を失った姉と先天的な理由で視覚を失いつつある妹。視覚を失うというのは恐怖に違いないが、この映画のホラーはその点にあるわけではない。視覚を喪失した者は嗅覚や聴覚が鋭くなるが、その点は極めて鈍感に描かれる。映画的な「約束」でそうしたのなら、盲目はただの題材になってしまう)。
★★★★★  テザ 慟哭の大地 (歴史にもてあそばれたアルジェリアを舞台に、1975年の帝政廃止、共産革命のつかのまの夢とその後の悪夢を描く。主人公は、殺されたり亡命した僚友たちとは別に母国にとどまり、教育にささやかな夢をいだく。しかし、彼の現状は、ドイツで受けた差別的暴力で痛めた足を引き摺りながらさまよう遊民である。音楽もまた主人公)。
★★★★★  プッチーニの愛人 (サウンドアート的な「無セリフ映画」としてのスタイル的面白さはあるが、これならば、わざわざ歴史上の人物=プッチーニを出す必要はない。彼が愛したメイドが自殺を遂げた謎へのアプローチは中途半端。全体が、つかみどころがないあのプッチーニの表情のようだ)。
★★★★★  ロシアン・ルーレット (自作をゲラ・バブルアニ監督自身がリメイク。10人以上の男が連鎖的にロシアン・ルーレットを競うのに大金を賭ける殺人賭博だから、映画的には「壮観」だ。が、元作をほぼ同じになぞっているにもかかわらず、元作よりいいとは思えないのはなぜか? ジェイソン・ステイサム、レイ・ウィンストン、ミッキー・ローク、ベン・ギャザラといった大物を出しながら、その誰一人(とりわけミッキー・ローク)として本領を発揮しているとは思えない。いや、大物たちが端役で付き合ったということを評価すべきか?)。
★★★★★  スーパーエイト (【ノート】←スピルバーグ門下の優等生が作ったみたい)。
★★★★★  デンデラ (名だたる「老女」俳優を揃えたので、さぞかし凄いだろうと思いきや、若い監督とは思えぬ古い演出――悪い意味での「左翼民衆劇」風――が意外だった。男への復讐が、熊の出現でどこかに飛んでしまい、子供だましのホラーに終わる)。
★★★  メタルヘッド (家族が同乗する車の事故で母が死に、意気消沈している家庭で13歳の少年TJは、ディーラーの手に渡った車を自力で買い取ろうとしている。車は大破しており、ディーラーは不親切。そこにジョセフ・ゴードンが演じるヘッシャーという人物がやってきて、勝手に彼らの家庭に住みこむ。その風貌は粗野な「キリスト」。ナタリー・ポートマンがあえて演じなくてよかった年上の女への少年の想い。失望させるが、彼を大人にしてくれるヘッシャー。ある種のビルドゥングスロマン)。

今月のノート

ゴーストライター   ハンナ   サヴァイヴィング ライフ   明りを灯す人   復讐捜査線   スーパーエイト   サンザシの樹の下で   シャンハイ   ヒマラヤ 運命の山  


2011-06-23_2
★★★★★  ●ヒマラヤ 運命の山 (Nanga Parbat/2010/Joseph Vilsmaier)(ヨゼフ・フィルスマイヤー)  

――わたしが山に登らないせいか、絶壁に挑戦するシーンには感動できなかったね。雪崩のシーンもあるが、全体としてフィクション映画の作りだ。台詞も、一人ひとりが交互にしゃべる舞台調でライブ感がなかった。

――単独登山が好きなラインホルト・メスナー(フォロリアン・シュテッター)とギュンター・メスナー(アンドレアス・トビアス)の兄弟と、記録と名声指向で組織的な登山「事業」を敢行するカール・マリア・ヘルリッヒコッファー(カール・マルコヴィクス)とでは最初から合うわけがないが、メスナー兄弟の実力と実績を利用しようとヘルリッヒコッファーが彼らを起用したのがそのそもの間違い。兄弟は独自の行動を取って、ヒマラヤ山脈ナンガ・パルバートの初登頂を果たすが、隊から孤立、弟が遭難する。

――弟が遭難したあと、ラインホルトが独力で山を降り、途中でイスラム系村民に助けられるあたりが一番映画的によかったかな。あのへんの人って、最初助けても、毛布をかぶせたまま放置したり、食べ物も物々交換じゃなけりゃ渡さないとか、パキスタン国境の吊り橋のところで、足を負傷してやっと歩ける状態なのに、自分で橋を渡らせるとか、なんか非情な感じたした。

――あれはね、外国人や国境の問題があるんだよ。映画はそれをちゃんと描いている。へたなことをしたら、捕まっちゃうからね。ちゃんと国境地帯まで運んでくれたんだから、最高のほどこしじゃないの。

――このナンガ・パルバート壁初登攀(はん)は、カール・マリア・ヘルリッヒコッファーとラインホルト・メスナーとのあいだの訴訟問題に発展するんだが、そのことは描かれてはいない。両者が不穏な関係であることや、ヘルリッヒコッファーの権威主義などは暗示されてはいるが、メスナーが積極的に製作にも加わったわりには押しが弱い。

――ギュンター・メスナーという人は、子供のころから何でも自分でやらなけりゃ気が済まないところがあり、弟とのあいだでももめたくらいなんだよね。最初のほうにチロルの教会の壁を登るシーンで、弟より強引であることが暗示されている。要するにローナーなんだ。実際に、こののち、単身で難所をいくつも登攀し、2009年にはナンガ・パルバートを独力で再登攀しているんだそうだね。ならば、そういうポジティブなローナーの面を主題にすればよかったんだ。

――弟のギュンター役のアンドレアス・トビアスは、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』に出ているんだね。記憶には残らなかったけど。ヘンリヒコファー役のカール・マルコヴィックスは、『ヒトラーの偽札』や『アンノウン』でおぼえている。

――メスナー兄弟の母親役のレナ・シュトルツェは、実力のある俳優で、ちょっとした表情がうまかったけど、最近の『マーラー 君に捧げるアダージョ』でのマーラーの妹役よりも、何と言っても『白バラは死なず』(Die weiße Ros/1982/Michael Verhoeven) のソフィー・ショル役が圧倒的だね。ナチに協力した町の暗い過去を暴く中学生を演じる『Das schreckliche Mädchen』(1990/Michael Verhoeven) がいいらしいが、見ていない。
(フェイス・トゥ・フェイス配給)



2011-06-15_2
★★★★★  ●スーパーエイト (Super 8/2011/J.J. Abrams)(J・J・エイブラムス)  

――いや、まいった。

――何が?

――席が空いていたんで、今日は落着いて見れるなと思ったら、あとから来て俺の横に座ったのが上映開始直後にケータイつけるんだ。光がいやだったから、一列まえに移ったら、いきなり画面に人影が映る。さらに3,4人入ってきて、プロジェクションを遮ったわけ。ちくしょうと思っていると、いきなり暗闇から手が出て俺の膝をつかむんだ。ぎょっとして見たら、ジイサンが空席だと思って俺の膝の上に座ろうとする。げんなりしたね。

――そりゃ、上映後に客を入れるほうが悪いよ。「マスコミ試写」とかいっても、見るほうも見せるほうも、ダメなことがあるな。最初に会場の文句から入るときは荒れるんじゃない。わたしは楽しんだよ。まあ、スピルバーグ学校の優等生が作った卒業制作といった趣きがなくもなかったがね。

――スピルバーグの製作だし、彼のアイデアや基本形は全部網羅されている。まず、父親か母親がいなくて淋しさを感じているワンペアレント・ファミリーの少年・少女。子供だけが目撃してしまったという事件との遭遇。スケールの大きいアクション。軍(ミリタリー)の横暴と軍嫌いや軍の機密主義への反発。エーリアン。これに、スピルバーグ世代が出発点とした8ミリフィルムでの映画製作とその仲間のエピソード。

――子供たちが、ホラー、ロマンティック・コメディ、アクション、ガンエフェクト・・・と一応映画の定石を取り入れた8ミリ映画を作るというのがベースになっている。その撮影のさなかに、撮影現場に選んだ鉄道沿線で、とんでもない事故が起こる。

――その映画に出演している「女優」を演じるエル・ファニングが実にうまいね。というか、「うまい」ということを納得させるように演じる。エル・ファニングは、ダコタの妹だけど、ある意味ではハリウッドの「子役擦れ」してるわけだが、それをうまく利用している。

――スピルバーグの場合と比較すると、スピルバーグの映画と似た人間関係や事故が起こるが、スピルバーグのほうが奥行きがあり、深刻に受け取ろうとすれば出来ないことはないといった面があるのに対して、J・J・エイブラムスの場合は、意外と浅い。「異星人」が軍に捕まえられているというお馴染の設定があるが、その「知性」はスピルバーグに出てくる「異星人」より単純だ。ここでは、技能的には人間よりすぐれていても、地中のもぐったり、やることが単純。

――軍の機密を暴き、プロテストを強行する、少年たちの先生にしても、やることのわりには存在感がない。思想的にはスピルバーグにはおよばないが、その分、『M:i:III』や『スター・トレック』で見せたアクションの切れ味はスピルバーグより上かもしれない。より職人的なんだ。

――スリーマイル島の原発事故のニュースをテレビでやっている。1979年を示唆している。その時期に列車の大事故をならべるのは適切だったかな? でも、列車は映画ではどんなシーンでもサマになるね。映画の歴史は列車とともに始まったようなところがある。線路の傍にカメラを置き、列車が通過するのを撮るだけでも映画になる。キートンも列車の使い方でひとつの型を作った。スピルバーグの初期の短編に「ゴースト・トレイン」(『アメイジング・ストーリー』所収)というのがあったが、あれも少年と列車の話だ。いや、孫と老人と列車の話と言ったほうがいいかもしれない。



2011-06-14_2
★★★★★  ●明りを灯す人 (Svet-Ake/The Light Thief/2010/Aktan Arym Kubat)(アクタン・アリム・クバト)  

◆最初、求めに応じて電柱から勝手に電線を引いて電気をつないでやったり、電力メーターを操作して電気料をごまかす細工をしたりする「明り泥棒」と村人から呼ばれている男(藤竜也に似た監督のアクラン・アリム・クバトが自ら演じる)のとぼけた風貌が良い感じで、この映画は、体制の裏をかく愉快さを描く喜劇かと思った。しかし、それは、だんだんしぼみ、最後は中国の財閥とつながりのあるらしいキルギス・マフィアの陰惨な仕打ちで終わる。キルギスの現状を描いているという点ではリアリティがあるのだろうが、西欧にもアジアにもない雰囲気を出せる俳優たちをそろえながら、もったいないという気がした。
◆『キネマ旬報』(9月下旬号)の短評ではこう書いた――最初に聴こえる音に?!と思ったら風車の音だったり、すっとぼけた不思議な味わいの作品だ。原題の「明りを盗む人」には二重の意味がある。主人公は電柱から不法に「明り(電気)を盗み」、隣人たちに「明り」(未来)をもたらすのだが、中国ビジネスと結託する連中とヤクザは、・・不法・で・なく「明り(未来)を盗む」。格差やグローバリズムは拡大しはじめており、地理的に近い中国の力もじわじわと浸透してきている。キルギス人が中国人の有力者を接待するシーンにその屈折とせつなさが出ている。
(ビターズ・エンド配給)




2011-06-14_1
★★★★★  ●サヴァイヴィング ライフ (Prezít svuj zivot (teorie a praxe)/Surviving Life (Theory and Practice)/2010/Jan Svankmajer)(ヤン・シュヴァンクマイエル)  

――最初にシュヴァンクマイエル自身が登場して、別に大した映画じゃありません、ただの「切り抜きアニメです」、予算の関係でこうなっちゃいましたというようなことを言う。笑いました。チェコ的な苦いユーモアというか、言い訳がましいのはチェコ文化にあるんですかね?

――そうだと思うが、それが洒脱の域に達しているね。こういうのは、若くちゃできない。蓄積の貫禄というか、笑わせておいて、けっこう本気を最後まで通してしまう。シュヴァンクマイエル流のグロテスクなユーモアも手を抜いていない。イントロの最後にシュヴァンクマイエルの頭が骸骨に変わり、コロンと地面に落ちる。コロンと落ちる映像はウォーホルもやったが、骸骨になって落ちるグロテスクさは出さなかった。

――主人公のエフジェン(ヴァツラーフ・ヘルシュス)は、夢を見ることに憑かれている。それだけ、会社の仕事、妻(ズザナ・クロネロヴァー)にもうんざりしているわけだが、ジェラー・ド・ネルヴァルの「夢は第2に人生だ」を過激化して、「第1の人生」にしたいと思っている。このへんも、シュヴァンクマイエルの一貫したラディカリズムだ。

――原題の副題が「理論と実践」となっているんだが、フロイトとユングの「理論」の「実践」への揶揄は無論のこと、「理論と実践」の定式だらけの社会主義のチェコを経験したシュヴァンクマイエルの復讐のような気分が感じられなくもない。フロイトとユングの「理論」のあいだをゆれ動く精神分析医(ダニエラ・バケロヴァー)の診察室の壁にフロイトとユングの写真が飾ってあり、それが、たがいにパンチを食わせたりする。「切り抜きアニメ」のサービス。

――とにかく「夢」を見たいうんで、隠れ家みたい部屋で睡眠薬を飲み、ラジカセで音楽(アレクサンドル・グラズノフの?)をかけ、バッグの柄を口に加えてベッドに入るところが傑作。そのバッグは、街で出会って恋してしまった女エフジェニア(クラーラ・イソヴァー)の持ち物だったよね。

――このクラーラ・イソヴァーがすばらしい。まだ主役級の作品は少ないけど、大女優になるんじゃないかな。ハリウッドなんかには行ってほしくない。

――父親はシリア人だそうだ。アップでビクともしないあの目はチェコ人のとも違う。スケールが大きい。テレビのインタヴューではちょっと「小娘」ぽいところもあるんだが、濃艶や役や「美人」役だけじゃなくて、そういう軽い役も出来るということだね。

――俗流「理論」によれば、エフジェンは、マザコンで、それが、痛ましくも美しいクライマックスにつながっていく。試写でとなりにいた男性は涙を拭いていた。

――きみは?

――ほろっと来たね。浴槽のなかにエフジェニアがいる。水は赤い。エフジェンが近づく。驚きの顔。すると、彼の身体が「切り抜きアニメ」の技法で縮小され、浴槽の縁にやっと手が届く大きさになる。恋人と彼との関係が「母」と「息子」の関係にシームレスに変化する。途中、フロイトとユングの「理論」(「超自我」まで登場するからね)の揶揄遊びで眠くなるところもあるが、ここに至って、ヤン・シュヴァンクマイエルの「芸」に感動するよ。

――しかし、この映画、基本的に女を馬鹿にしてるんじゃないかな? 出てくる女の頭はニワトリだからね。卵を生む機械か?

――卵が地面に落ちて割れる。女を馬鹿にしているというのなら、「父親」や「息子」としての男も馬鹿にされている。シュヴァンクマイエルにかかれば、「現実」はシュールな批判の距離をはさみ込まれる。夫と妻、母と息子つまりは家庭というものを批判しているんだが、そのせつなさのようなものも出す。なかなかしたたかだ。

(ディーライツ配給)



2011-06-01
★★★★  ●ゴーストライター (The Ghost Writer/2010/Roman Polanski)(ロマン・ポランスキー)  

――さすが色々なところを遍歴し、過酷な経験をしてきたロマン・ポランスキーだけあって、奥行きのあるポリティカル・スリラーになっているね。この映画製作自体が実に政治的だった。

――ポランスキーは、1977年、アメリカにいたとき、13歳の少女に性的陵辱をくわえたというかどで逮捕されたんだけど、受刑者になるまえにヨーロッパに逃げた。しかし、この映画の製作中の2009年にスイスで逮捕されてしまったので、この映画の編集は、獄中から指示を出してやった。アメリカは鬼門になっちゃったから、この映画の「マサチューセッツ」のシーンは、ドイツで撮った部分が多いらしい。

――ロバート・ハリスの原作にもとづいていて、イギリスの元首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)は、トニー・ブレアとダブルんだが、ゴーストライター(ユアン・マクレガー)のほうは、辛苦をなめてきたポランスキーとダブるところもあるね。

――マクレガーがアダム・ラングの自伝のゴーストライターとして雇われるとき、会社で面接をする。面接といったって、面と向かうやつじゃなくて、くだけた面会だ。その出版社の社主を演じているのがジェイムズ・ベルーシなんだが、最初彼とはわからなかった。スキンヘッズにしてるんだよ。ロンドンの出版社ということになっているが、こういう感じのイカツイ男はイギリスにはいっぱいいるね。

――マクレガーがゴーストライターをやるのを手引きする友人とその打ち合わせで飯を食うシーンも雰囲気が出ている。日本食のレストランだ。二人は箸でいかにもあっさりしか感じの料理を食べている。こういう店がロンドンにかぎらず多くなった。知識人や気取ったやつは菜食しか食わない傾向がある。2012年から、「知覚力のある生き物としての動物」は殺さないという取り決めが出来るらしい。肉を食う奴は野蛮人だけといわんばかりだ。だから、アーティストなんかも、肉食う奴は少ない。肉は原発みたいなもんかな。野蛮な国だけが原発を持つ。まあ、トレンドの話だけど。

――原発事故で、日本では、あいかわらず「誰が決めるか」がいかにあいまいなのかがわかったが、マクレガーを採用するかどうかも、ベルーシの一存なんだね。彼に反対する奴がいても、編集長がウンと言えば、それで決まり。反対していた奴も従わなければならない。

――マクレガーは、早速アメリカに飛び、マサチューセッツ州のプロヴィンスタウンにフェリーで行くんだが、イギリスの元首相がアメリカに住んでいるというところがミソだ。要するにイギリスをアメリカに売ったという設定だから。トニー・ブレアは、ブッシュに同調してイラク戦争に全面協力した。エリザベス女王にへつらって馬鹿にされるところが、『クイーン』でも茶化されていた。

――秘密基地みたいな人里はなれた「城」で食事はアジア人のおばちゃんが作るんだが、果物や野菜のジュースがラングの好物のようだった。そういう細かいところがしっかりと描かれているのは、ポランスキーだったらあたりまえだとしても、関心させられるね。

――権力を持ったやつが、自分に都合のわるいことを人を殺してまで隠したりするのは、映画や小説のなかだけのことかと思っていたら、原発問題では、けっこうそういう陰謀めいたことで原発事業が維持されてきたんだなということがわかりました。放射能汚染の隠蔽だって、もう安い陰謀ドラマを見ているようだ。

――ラングがイラク戦争のとき捕虜の拷問を指示したりした戦争犯罪人であることを隠蔽するというプロットがこの映画のサスペンスを支えているんだが、その隠蔽工作がじわじわっと来るところがかえって恐い。

――マクレガーがイギリス人であるのを利用したユーモラスなシーンが何カ所かあるけど、それをステレオタイプ的には描かないところがいい。マクレガーがフェリーで島を出ようとしたとき追っ手の存在に気づき、フェリーに一旦は乗って、すぐに降りるんだが、フェリーの事務所で、ここから飛行機便はないかときく。すると、男が、「プライベートジェットでも持っていなければ無理だね」と言う。すると、マクレガーが、「じゃあ、執事にまかせよう」と言う。で、「あんたイギリス人かい」ということになって、二人が笑いあう。いいシーンだ。

――最後のアイロニーもふくめて、とても「大人」の映画ですね。必見です。

(日活配給)


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